身だしなみとしての「サヨク」「反日」

 

 「反日マスコミ」というもの言いがある。

 TBSやNHK、朝日新聞共同通信、いわゆるマスコミの第一線で、どう見てもある一定の思想信条や立場に偏った報道をやっているとしか見えない、そんなメディアをひとくくりに言い表すのに便利なこともあって、主にネット界隈から発して、それ以外の場所でもこのところ少しずつ使われるようになっている。

 出回り始めた当初はこのもの言い、正直何かあざとさ、どぎつさを多少感じていた。善意に発したものにせよ、結果として安易なレッテル貼りになってしまう、そのことに対する鈍感さへの違和感。けれども、えらいものもので最近ではそんなに耳ざわりでもなくなってきた。その程度に、その「反日」の具体的中身としての「サヨク」「プロ市民」ぶりに対する認識は、ここ数年の間、わがニッポンの世間の最大公約数のところで、相当に深まってきているということなのだと思う。

 もちろん、とりあえず悪いことではない。彼ら「反日マスコミ」がよく言うのと全く逆の意味でそれは、メディアリテラシーの向上、に他ならないし、どう考えてもそれはヘンだろ、という素朴な疑問が、ある気分と共にこれまでより広い範囲で共有されるようになってきたことでもある。それは彼ら「反日マスコミ」が言いたがるような「右傾化」や「偏狭なナショナリズム」とは別の、いま、このニッポンに棲んで生きてゆく上でのあたりまえでまっとうな「われわれ」意識の発露、という側面が強い。

 だが、と同時に、ならば彼ら「反日マスコミ」がなぜ、今この状況でなお、そうなってしまっているのか、ということも、問われるべき問いになる。特に、いまどきここまで逆風が吹いているはずなのに、なお何の反省もないかのように同じモード、同じ論調で報道という稼業をしのいでゆこうとしている、それらの鈍感さも含めて、いったい何なんだ、これは、というところを静かに見つめて考えようとすること。それらもまた、こういう状況だからこそ、必要な部分がある。

 たとえば、TBSである。朝日新聞やNHKとはまた少し別の意味で、民放テレビにおける「反日マスコミ」の代表、偏向報道の総本山のように言われる。

 間違いではない。そのように思われても全く仕方のないところは、言うまでもなく山ほどある。ある一定の方向に報道をミスリードし、時に捏造としか思えないようなひどい「やらせ」までどうやらやらかし、何よりそれでそのことについてまるで何も感じていないような無自覚ぶりの厚顔無恥で、今日も今日とて変わらない。そのことに憤りを覚えることも、とりあえず正当である。

 しかし、そんな「反日マスコミ」の所行をあげつらい、批判することは今日、ある意味すでにたやすい。たやすい分、「そこから先」についても見えなくなりやすい。

 彼ら彼女らは、いつからこのように「反日」だったのか。その「反日」を少し前まで、どうしてみんなヘンだと思わなかったのか。いま、眼の前の「反日マスコミ」に違和感を正当に抱いたならば、その先にそのような問いをつむいでゆくことでその「反日」の来歴が見えてくるし、何よりもそのように気づいていった「われわれ」の本当の意味での歴史についても眼を開いてゆくことができる。〈いま・ここ〉に還元して未来を選択しようとする時、役に立ってゆけるような歴史の理解とは、そのような目の前のたやすさに安住することからもう一歩先、へ踏み出すことから、ようやく獲得できるようなものだ。

 



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 おそらく、こういうことだ。

 ひとりの個人の確固とした思想信条として、「反日」をやっている人間など、実はTBSの社員の中に何人もいやないだろう。断言してもいい。それはTBSに限ったことでもなく、朝日新聞でもNHKでも共同通信でも何でもいい。今、「反日マスコミ」と見られてしまうような、その組織の現場に、そこまで「反日」思想に忠誠を誓っているような個人は、実はほとんどいない。なにも不思議ではない。今のTBSならTBSの社員という地位を全く離れたところで、それでもなお今のような「反日」報道の性癖そのままに、自分の思想信条を胸張って披瀝できるような人間は、おそらく例外的に少数だろう、それくらい今のニッポンの高度大衆社会状況というのはある意味で成熟の様相を呈している、ひとまずそれだけのことだ。

 ミもフタもない言い方をする。彼ら彼女らが今、そういう「反日マスコミ」のもの言いや身振りに安住しているのは、TBSならTBSの社員であることで結構な給料がもらえ、世間一般とは違う(と思える)世界と身近なところで仕事をし、そこそこラクに世渡りができるから、だから「反日」をやっている、のだ。それは、単なる世渡り上の方便、そういう組織に属しそういう仕事をこなしてゆく上での身だしなみとしての「反日」であり「サヨク」に過ぎず、そのニンゲン個人が自分の経験から確かに自分のものと信じて発されているものではない。だから、本当の意味でも思想でも信条でもない、そのような身振りやもの言いをすることで何か具体的な実利があるからそちらにおもねって、しかし当人としては至極大まじめにやっている、そんな習い性に過ぎない。

 そう、昨今目の当たりにする「反日マスコミ」の「反日」とは、その見てくれの見事なまでの整い具合とは別に、いや、見事に整っているからこそ、いずれそういうミもフタもない、だからこそどうしようもなく避けられない実利、損得勘定とべっとりと貼り合わせになっている。個人の生き方と抜きがたくからんだようなしちめんどくさい思想信条として、では断じてなく、まただからこそあそこまで型通りな、ほんとにどこか大号令をかけている大悪人、まさにラスボスでもいるんじゃないか、と思えてしまうくらいの、仕込んだような「反日」を恥ずかしげもなくやらかせている、らしいのだ。

 考えてもみよ。仮に彼ら彼女らが何かのはずみでTBSを、今の職場をクビになり、マスコミの現場からも離れねばならなくなったとして、それでもなお、今のように「反日」ぶりを標榜し続けるものかどうか。「反日」の損得勘定がまだきくような出版や学校界隈でなく、それこそ普通の契約社員やフリーターとして暮らしを立ててゆくことになったとして、今と同じような「反日」ぶりを日頃からふりまいてゆけるだろうか。あっという間にヘンな奴、困った人としてまわりから引かれてしまうこと必定。その程度に、今の世間は「サヨク」「プロ市民」的「反日」ぶりには感度が上がっているだろう、良くも悪くも。

 そんなことはない、「反日マスコミ」には在日の社員だっているじゃないか、と言う向きがある。彼らが在日の世界観でニッポン人を洗脳しようとしているのだ、と。在日の採用枠があるらしい、という噂もある。そりゃあ、そういうこともあり得るだろう。何もマスコミ界隈だけでなく、他の業種の一般企業でも昨今、そのようなことは、まあ、ある。在日だけではない、部落でも身障者でも知恵遅れでも人殺しでも前科者でも創価学会でも、タテマエとしての社会的な責任やら何やらとのからみあいで、企業がそういう採用枠を持っていても、それ自体はそう不思議なことでもない。しかし、そのような事実があったとして、そのことと眼の前の「反日マスコミ」のありようとをそのまま直結させることには、かなりの短絡が必要になる。

 在日の特権的な地位、ということも言われる。最近、特にそれは意識されるようになった。事実としてだけでなく、半ば都市伝説と化しつつある水準も含めて。だが、仮に事実の部分に限ったとしても、そのような特権に浴してしまった、トクしている、という意識を当人が持った瞬間から、その「在日であること」は裏返しに桎梏にもなる。この地位、この立ち位置を失わないようにしないと、という意識が働き、それまでよりさらに「反日」の身だしなみが過剰になってくることは、人の自然として想像に難くない。それは収入やそれにまつわる特権といった具体的なものからだけでもなく、そのような特権に浴せない同胞への責任感、贖罪意識なども、しちめんどくさくからんでくるだろう。どちらにしても彼、または彼女はもう、失敗できない。「在日」というステレオタイプに自ら縛られ、本来自分が何を思い、何を感じ、何をどう考える人間であったのか、までも見失いかねない。具体的には、たとえば、あの姜尚中の、あるいは辛淑玉の、在日を看板として世渡りする手合いのメディア露出の際の顔つきと立ち居振る舞いを思い起こしてもらってもいい。あるいは、戦時中、最前線に送られて奮戦したアメリカの二世部隊たちの心情なども。

 このようなココロのメカニズム、「弱者」とその特権の間に横たわる自意識の政治性は、在日に限ったことでもない。同じように近年、ようやく表沙汰になってきた部落解放同盟の利権にしても、構造として似たところがあるし、障害者や女性などいわゆる「弱者」アイデンティティとそこにまつわる利権もみんな同じこと。それらもろもろを全部ひっくるめた最大公約数として立ち現れる「反日」ぶりの型どおりというやつ自体、それら具体的な損得勘定や特権があるところに根を張ってゆくものであり、だからこそ、言葉本来の意味での思想信条、ひとりのニンゲンの確かな考え、とは少し別の成り立ちをはらんでしまっている、ということなのだ。

 そのように、「反日マスコミ」はすでに型通りであり、今の情報環境において半ば自動的に上演されるようになっているステレオタイプとしての左翼ぶり、である。だからこそれは「サヨク」とわざわざカタカナ表記もされるのだし、ゆえにまた、ともすればそこに属するひとりの人間に収斂して想定されてしまうような「サヨク」像自体、そんなに確かなものでもなくなっている。少なくとも、かつて思想や信条がひとりの個人の生の経緯の中で、ある程度逃れられない時間の流れ方と共に形成され、生身に宿ってゆくようなものだった頃の左翼のポートレイトとひき比べるならば。

 一方で、今の「反日マスコミ」の「反日」ぶりはあまりにステレオタイプで、しかもそれが韓国や中国がメディアを介して示してくる身振りやもの言いと申し合わせたかのように一致していたりもする分、ともすればそれらの間に何か関係があるに違いない、という発想にも連なってゆきやすい。一番わかりやすいのは、そのようなもの言いや言説を作り出して指示している人物なり組織なりがあるのだ、という発想。「悪の枢軸」というのもこのテだが、まあ、かつての「ショッカー」や「死ね死ね団」と構造的には同じ、あるいはまた、ユダヤフリーメーソン、GHQやかつてのソ連なども同様、いわゆる陰謀論、である。いずれ「どこかの誰かが世界を支配している」という想像力のわかりやすさが、そのわかりやすさゆえに必然的に産み出す発想。

 まさに、ラスボス、である。世のすべてはそのラスボスに向かって収斂してゆかざるを得ない、という想像力。俗に言う陰謀論は、このようなラスボスを必ず設定してしまう、その心の動きから始まっている。そして、そのような「ラスボスがどこかに必ずいるはず」ということを前提とした陰謀論は、その発想の根をたどってゆけば、実は学校に起因していたりもする。

 

 

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 学校の教室、小学校や中学校のホームルームのような場で、ひとまず耳ざわりのいいものとして聞こえるもの言いや、そこでの立ち居振る舞い、それこそが「反日マスコミ」に象徴されるサヨクぶりや、プロ市民的もの言い、つまり「反日」の発生地点である。

 学校的世界観、ないしは、学級民主主義、と言うことを、以前からあたしは言っていた。それはある意味で「優等生」の身だしなみ、であり、その限りでそれは「先生」という立場にほめられる、評価されるためのもの、という縛りがかかる。

 昔からこういう「優等生」は存在した。イメージとしてはたとえば、『ドラえもん』のスネ夫に代表されるような型通り。多少は裕福な家の子で、親はホワイトカラー系で教育にもそこそこ熱心で、そいつ自身もまた「勉強ができる」ことについて何かプライドを持っているし、まわりもそのことは認めている。けれども、そう人望があるわけでもなく、だからリーダーにもなれない。それら表現された「優等生」の型通りに、メガネをかけ、運動は苦手で、といった属性が設定されるのも、それらが学校の教室において初めて輪郭を確かなものにしてゆけるようなキャラクターだったことの反映に他ならない。

 と同時に、そのようになったのはむしろ戦後のことで、戦前の表現、たとえば少年小説などでは、それら「優等生」はおおむね完全無欠のいい子であり、望ましいキャラクターとしてゆるぎないものだったことも、一方で確認しておきたい。そんな戦前的「優等生」像がゆらいでいったのも、大きくは「戦後」の言語空間が本質的にはらんでいた相対化の視線、の効果だった。「優等生」のある部分を増幅させた「ガリ勉」というもの言いにしても、旧制高校ではポジティヴな響きが強かったのが、「戦後」の民主主義が介在して、何か姑息で卑怯なイメージをまつわらせていったところがある。このあたりのことはまた、別の機会にゆっくり論じてみたいことだ。

 彼らはしかし、学校の教室の、ホームルームや授業の枠の中では「優等生」でいられることはできても、“それ以外”は必ず存在した。そこでは「優等生」は別のものさしで計測され、生身の彼や彼女もまた、その“それ以外”のルールに従うのが当然だった。“それ以外”と教室との緊張関係が高まってゆく中で、キャラクターとして輪郭が定められていったのが、ネガティヴなキャラクターとしての、まさに「戦後」の、スネ夫的な「優等生」だった。

 だが、今のコドモたちは、休み時間はもちろん、学校から離れてからの“それ以外”時間があるのだ、ということを、おそらくあたしたちの世代などよりもずっと、想像以上の深刻さで実感できなくなっているらしい。だからこそ、学校民主主義は学校と教室という枠の外側へと、自然に流れ出していってしまうようになった。本来は違うルール、日常の約束ごととと連なっていたはずの“それ以外”までもが、教室と同じものさしで統括されるようになってゆく。まして、塾などが常態化すればなおのこと。教室と同じく「先生」という一点透視の視線から「見られている」ということを常に意識し続ける状態が、学校以外の生活空間でも早い時期からあたりまえになってしまう。そしてその「先生」は、容易にラスボスの方へと横転、増幅されてもゆく。教室の世界観はそのまま、日常の側にまで折り返され、それぞれのココロを浸食し始めてゆく。

 とは言え、少なくとも「原っぱ」に象徴されるような“それ以外”の場での内輪のソリダリティ、というものは、それら教室の政治とはまた別もの、のはずだった。コドモの間の年齢階梯。同じ小学生でも高学年と低学年とでは、カラダの大きさや内面の成熟度など、発達段階において大人に対するほどの距離感がある。それらの落差も全部ひっくるめて、とにかく共に遊ぶ、時間を過ごすための知恵や約束ごともまた、そこには宿らざるを得なかった。年長者の責任とはそういうもの、であり、穏当な弱者とはその関係の中にあるものであり、そしてそれらの中でまた、本来のリーダーシップもソリダリティも宿り得た。 

 しかし、学校民主主義、にはそういう仲間同士、同じコドモ同士のソリダリティの気配は薄くならざるを得ない。「先生」という一点に向かって収斂してゆく自意識。もう少し正確に言えば、「先生」という目の前のオトナの向こう側に広がる、漠然とした「正しさ」、決して自分たちのコドモのリアルの側からはそのままつながりようのない「タテマエ」みたいなものが、その場を差配する「神」となってゆく。

 大げさではない。まさに「神」に近い形象になるのだ、そういう「正しさ」は。ラスボス、をついうっかりと想定してしまうようなココロの習慣、習い性まで、もうあと一歩だ。

 かつて、かのアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に漂う世界観を評して、あたしは「研究という『神』」と評した。

このような「世間」という拘束具を失ってある種野放しになった「好きなもの」は、もちろんむき出しのまま、『新世紀エヴァンゲリオン』という表現の中に組み込まれているわけではない。それは違う形をとって、〈おはなし〉の中に潜まされている。その、ある神の気配が僕には気になって仕方がない。

言おう、それは――「研究」という名の神だ。

 「学校」的世界観とネルフ――人型決戦兵器エヴァを使って人類補完計画を画策している、とされる組織との間が短絡していること、そして、そこを差配しているのが、かつての「好きなこと」がそのまま「研究」と化した神であること、について、ここでは指摘している。それはこの場の文脈に即して敷衍するならば、学校民主主義の内側で育まれた自意識の肥大がそのまま温存されてしまった果てに宿る妄想の質、について述べていることになる。

もしも、あなたはとんでもない権力を持った存在ですね、と彼ら彼女らに問えば、全くそうだ、と認めるだろう。だからこそそれだけの責任を自覚しながらやってるわよ、と抗弁するだろう。先の「ほんとはみんなこわいんじゃない?」という問いかけに「あったりまえでしょ」と、冷や汗びっしょりの横顔で低くつぶやく応答のひとコマなどは、まさにこの「責任を自覚している」ことのアリバイとしてさしはさまれている。

 全く同じことを、今のいわゆるマスコミの現場にいる者にあてはめてみて、違和感はない。「優等生」の世界観のまま、どうやら特権的な立ち位置を獲得してしまったらしい者が、そのような立ち位置についてどのような解釈を与え、納得してゆくか、についての説明としても、これはかなりわかりやすいもののはずだ。世間の気分を操作できる、何か高みから身の丈を超えたものを動かすことができる、というある種の全能感。「権力」という漢字の二文字熟語でなく、まさに“power”という単語の響きに重ね合わせれば、その恍惚の素性もほの見えてくる。

 学校と、その延長線上にある世界。たとえば、テレビやラジオ、出版といったいわゆるマスコミ、大学などの学者・研究者から学校の教員、そして役所に医者、弁護士……何のことはない、昨今いわゆる「勝ち組」と称されるような職種の多くは、それら学校民主主義の型通りが跋扈する場としてふさわしいものになっている。

 だから、もう一度わかりやすく定義しておこう。サヨクプロ市民といった「反日」の身振りは、そのような学校民主主義の「優等生」たちの身だしなみであり、その限りにおいてそれはまさに戦後、高度経済成長期以降に輪郭をあらわにしていったニッポンのエリートカルチュアの、あるコアの部分、でもあった。

 身だしなみである以上、それはいちいち考えなくてもいいもの、になっている。マナーとしてのサヨク、とにかくそういうもの、としての「反日」。なぜネクタイをしなければいけないのか、なぜ靴をはかねばならないのか、といったことをいちいち考えながらこなしている者はいない。同じように、すでにその場のマナーと化してしまったサヨクぶり、プロ市民らしさは、いちいち疑問を呈するようなものでもなくなっている。「反日マスコミ」のあの反省のなさ、世間から浴びせられている視線についての自覚の欠如は、それほどまでに彼らの「反日」が単なる習い性、深く考えた上で自覚的に選択されたものなどではとうになくなっていることの、雄弁な証拠に過ぎない。

 

 

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 しかし、である。

 もう忘れられているところがあるようだけれども、少し前まで、マスコミはあたりまえにサヨクだった。いや、もう少していねいに言えば、当時の世間も含めた身だしなみ、習い性みたいなものとして、それらサヨクはすでにあった。

 そう、マスコミに限らず、世間の気分自体が微妙にサヨクであった。誤解も反論も承知で言いっ放せばそういうことだ。それは、個々の日々の暮らしの感覚とはまた別に、何か社会的なもの言いをしなければならない際の約束ごとであり、その限りで冠婚葬祭の決まり文句や時候の挨拶みたいなものだった。たとえば戦時中、出征兵士を送る場での送辞や答辞、「お国のために」を枕詞にしなければおさまりが悪かったこととも、それは通底している。そういう意味で少し前までサヨクは当たり前であり、身だしなみであり、当時それは何も「優等生」だけでもなく、普通の世渡りをしている世間一般にとっても、ある程度常識となっていたのだ。そしてその常識がタテマエとしてでなくいつしか自分の身とひきはがすことのできないような怠惰と横着のままトシをとり、暮らしの垢が身についてしまっただけの人たち、というのが、おそらくはかなりの程度、今も「反日マスコミ」の現場にはまだ生きている。普通に生きている世間よりは、ずっと高い比率で。

 そりゃあさ、と、あるテレビの報道に身を置く四十代が言う。

 さすがに今の世の中で「反日」やっても通じないな、ってのはあるよ、でも、そんなこと言ったって、こっちだって生活もあるんだし、そういう立場でやってきたことをいまさらいきなり変えるわけにもいかないし、何よりそんなのめんどくさいじゃないか――そう眼の前で開き直られてなお、〈いま・ここ〉から「反日マスコミ」をまっとうに糾弾できる言葉や技術を、あたしはまだ持っていない。おそらく、あたし以外の世間もまたそんなもの、だろうと思う。「反日」の習い性に安住したままの、彼ら昨今のマスコミ人に対して、ひとりの人間として不誠実であり、ずるい、ということは言えても、生きてゆくことの正義、の前ではそれさえも口ごもりがちになってしまう。と言って、それを一気に乗り越えようとすると、「反日マスコミ」のレッテル貼りの不自由から、また一歩も先に進めない。

 これもまた信じられないことかも知れないが、かつて、学生運動への一般の共感も相当に広まっていた。機動隊に追われて逃げまどう学生活動家を、地元の商店街のおっさんやおばはんがかくまった、という話も珍しくはない。それは「学生」という立場に対するロイヤリティが世間の側にまだあったから、だし、もっと言えば、親戚の子供に対するような、自分もまた彼ら彼女らの庇護者たるべき、という世間の普通の人が共有していた意識のなせるわざだったのだろう。もちろん、それらに甘えた学生側の問題というのも平等にあったはずだ。けれども、いずれにせよそれくらい、左翼の運動に対する許容度はまだ世間の側にあったのだ。ここでもまた、良くも悪くも。

 逆に言えば、当時のそのような状況で、暴力学生の思い上がり、ということをはっきりと言えるというのは、偉いと同時に、その程度にヘンな人だった、ということでもある。あの福田恒存にしても江藤淳にしても、誰であれ当時「保守」と呼ばれていたような思想信条を披瀝していた人たちは、そんな「ヘンな人」だった。それが当時の世間のタテマエの最大公約数だった。「保守」には「反動」というもの言いがつきものだったし、「封建」だの「ファシズム」だののもの言いも時にはあっさりくっついてもきた。〈いま・ここ〉から誤解してはいけないのは、当時はそういうもの言いを世間の側もまた、かなりの程度共有していたということだ。そう、今の「反日マスコミ」「サヨク」「プロ市民」を共有しているのと同じような感覚で。

 だからこそ、なのだ。

 いま、この状況で、何か思想信条として鉄壁のようなサヨクが存在している、それこそまるでラオウやガッツのようなプロ市民のヒーロー、邪悪な「反日」の権化のような奥の院のラスボスがどこかにいる――そんなイメージでサヨクプロ市民反日マスコミを口にしていることをあまり考えなしに続けていると、近い将来、きっと何かで足もとをすくわれることになるだろう。今の与党政権をアメリカの手先、ブッシュの「ポチ」、と揶揄することと、「反日マスコミ」の背後に「特亞」がいる、と憤って見せることの間に、果たしてどれくらいの違いがあるのか、もしかしたら同じことの裏表じゃないのか、そういう問いもまた、眼が開かれてきているのならその分、あたりまえに発されるべきなのだ。

 冷戦構造、とは、そのような大きなラスボスがふたつ、世界に君臨している時代だった。少なくとも、そのように見える、そんな時代だった。一方のラスボスがいきなり倒れ、ダンジョンのルールも変わった。にも関わらず、ラスボスを幻視してしまう人々のココロというのは、そんなに簡単には変わらないものらしい。

 実際、TBSやその他の「反日マスコミ」がここまでグダグダのままというのは、大風呂敷広げれば、ニッポンのテレビ事業、いや、ニッポンのマスコミ報道やジャーナリズム自体にとっても大きなマイナス、ではあるのだ、いや、ほんとに。「報道」のクオリティなんてたかだかこの程度のもの、ということを、日々自ら証明しちまっているようなもの。メディアが形作る情報環境への不信感がこのような形でなお蔓延してゆくことは、これから先を生きてゆく上で、決していい方向には働かない、そのことは確かに言っておいていい。

 いま、あたしたちは「戦後」がゆっくりと終わってゆく過程を、日常として生きてきている。そういう時代のめぐりあわせ、居合わせてしまったということを、良くも悪くも自覚しておくしかない。メディアの「戦後」もまた、ゆっくりと終わっていっている。TBSに典型的に見られるような「反日マスコミ」の凋落と迷走は、そのひとつの比喩であり、象徴なのだ。そのグダグダ具合、心萎えるスカのありようからそれぞれがさて、何を学ぶか、が、そろそろもう真摯に考えられてもいい頃なのだ、と思う。