「馬政」の必要を説く

 「馬政」が必要です。何よりもいま、「馬政」が求められています。

 かつては確かにあった、なのに今はもうそんなもの言いさえも忘れられてしまっているようなもの言いですが、だったらいま、ニッポン競馬をめぐる状況がこういう時代だからこそ、もう一度ちゃんと復活させないといけない、それくらいに僕は思っています。

 馬に関する政策、制度についての意志決定を責任をもって行う部局。陸軍馬政局、というのが戦前はとても大きな役割を果たしていました。軍だけでもない、地方によっては農事部農政部といった部署に「馬政」と冠をつけられた課がありましたし、だから「馬政官」というような役職だって立派にあった。

 国策の重要な柱として富国強兵があり、その目的を達成するために馬匹を改良することは、優れた軍馬をこしらえるという意味で、国家存亡に関わる案件でもありました。だから、「馬政」に携わる者たちが責任を持つべき範囲はとにかく日本の馬に関する制度、政策全般でした。

 その中のひとつに競馬もあった。本来は刑法で禁じられている賭け事、ギャンブルではあるのだけれども、国策として馬の改良に欠くべからざるものだから、という理由で、競馬法というのをこさえて、その前提で「馬事振興」という名目で馬券を売り、競馬をやるようになった。こんなことは本紙の読者諸兄には釈迦に説法でしょうが、でも、われらがニッポン競馬のそういう歴史を、いまだからこそもう一度、思い起こして欲しいのです。

 戦争に負けて、戦地に趣いた馬たちも帰ってこず、国内から馬自体がほぼ姿を消してしまった。競馬場にわずかに残っていた競走馬も、厩舎関係者と共に、空襲の後かたづけなどに狩り出されたと聞きます。ダービー馬のカイソウが行方不明になったというのも、そういう世相の混乱が背景でしたし、食うのが精一杯で馬のことまで考えていられない、というのも現実だったでしょう。

 それは、競馬が「国」から切り離されることになった、ということでした。それまで国策ということで例外として認められていた競馬の、その後ろ盾がいきなりなくなった。けれども、競馬を仕事としていた人たちは現実に生きてゆかねばならなかったし、何より、競馬の愉しみを知ってしまったファンというのも、同じ時代に確かにいた。もちろん、それは今とは比べものにならない数や質だったろうけれども、でも戦前、昭和初年からの大衆競馬のそのはしりで、競馬のおもしろさを知ってしまった人たちが現実にいたからこそ、やっぱり競馬をもう一度やりたい、競馬場で馬たちが疾駆するのをこの眼で見たい、という想いの熱さは、厩舎だけでなく世間のファンも含めて、当時の競馬を支えようとした人々には確かにあったんだと思います。

 戦後のニュース映像の中に、そんな混乱期の競馬を写したものがあります。八王子や戸塚といったすでになくなった当時の地方競馬の競馬場での賑わいが、「平和」な日常の風景という意味も込めて、古ぼけた白黒の画面と時代がかったナレーションと共に記録されている。ラチはむき出しの木材で、スタンドだって仮設のにわか造りなのはありあり。それでも、人々はみんな大口をあけて熱狂し、馬たちは今と同じように砂埃蹴立てて走り抜けてゆき、長いあぶみの騎手たちもまた懸命に仕事をしている。かつて山口瞳地方競馬を評して言った、私はなにごとも一生懸命というのが好きである、その一生懸命というのが地方競馬にはある、という言葉の意味が、そのままそこにある。いや、そんなそれなりの競馬場以外でも、いわゆる草競馬、おまつり競馬の映像だって同じように「平和」の点景として、当時の映像に残されていたりします。それは制限なしに馬券が買えるようになったことによる混乱であり、一攫千金に狂奔する民衆、といった視線から切り取られているものでもありますが、しかし同時に、そういう「自由」、そういう「平和」を謳歌する感覚というのも必ず、当時の人々の心には共有されていたはずです。

 昔ばなしをするのが目的ではありません。言いたいことは、いま、日本の競馬に携わる人たちの中に、かつて敗戦後に、やっぱり競馬をもう一度見たい、という想いだけで奔走し、後ろ盾がなくても競馬はやってのけられる、ということを身体ごと証明していった当時のホースマンたちのあの素朴な熱さが、果たしてどれくらい受け継がれているのか、ということです。

 いまの農水省競馬監督課に、そのように競馬が好きで、馬券だって好きで、馬と人が一生懸命に共に勝負する場所に身を置くことが何よりも愉しい、といった御仁は、いらっしゃいますか? 全国の地方競馬の主催者はどうですか? JRAは、地全協はいかがですか? 

 「ホースマン」なんてカタカナじゃなくても、そんな熱さ、損得抜きで一生懸命であること、が、今の日本競馬に最も欠けているものなんじゃないかと、改めて思うこのごろです。