競馬場の「風景」から

 そう言えば……ということは、身近に案外あります。別にそんなに大したことでなくてもいい。ふだんは別に意識もせず、だから改めて気づきもしなかったことが、何かの拍子に、ああ、言われてみれば確かに、と思いいたってしまう、そんなこと。

 先日、大井の厩舎を歩いていて、あ、そうだ、舗装されちゃったんだ、ここの地面は、と気づいたのもそんな感じの「そう言えば……」でした。

 不肖大月、地方競馬とそのまわりの仕事の場をうろちょろするようになって、思えばもう四半世紀以上。特にこの大井競馬場の厩舎は、学生時代に最初におそるおそる足踏み入れるようになった場所なので、なんかもう生まれ故郷とまでは言えずとも、育ててもらった地元、みたいな感覚は正直、あったりします。個人的には、ほんとに自分の生まれた家や育った場所は、もうなくなってたり、震災にあってまるで風景も変わっちまってたり、で、「故郷」「ふるさと」などと呼べるようなものが具体的にもう何も残っていないていたらくなのですが、いいのか悪いのか、地方競馬の競馬場や厩舎施設は四半世紀ぐらいはそうそう変わっていないのが現実。いや、もちろん大井はいまやあの府中競馬場と同じ設計によると聞く新しいスタンドもありますし、ということはかつての「戦後」の匂い横溢していた一号スタンド(でしたっけか)はもう跡形もないわけで、他の競馬場に比べれば変化があるのですが、それでも厩舎まわりはかつておっかなびっくり足踏み入れた頃のほぼそのまんま。建物も洗い場も、外観は変わっていませんでした、この間までは。

 なんだかんだで忙しくなり、そんな大井に顔を出すことも以前ほどはできなくなったこともあって、あまり意識してなかったのですが、そう、大井の厩舎地域の地面ってきれいに舗装されちゃってたんですよね。

 厩舎からの排水が運河に流れ込んでの汚染が問題になって、だったら地面にそれら汚水がしみこまないようにしないと、といった経緯で工事がされた。そのことは知ってましたし、工事中もその後も見ていたのですが、その結果何がどういう風に「変わった」のか、ということは、あまりちゃんと思い知ってなかったってことなのかも知れません、恥ずかしながら。

 それがこの間、改めて、はっとした。ごぶさたしていた厩舎の間を歩いていて、あれ、なんか違うなあ、なんだろうなあ、と思いながら、そうだ、春先の風に舞い上がる砂埃、寝藁の屑といった「うまや」ならではの風景のあの大事な部分が、ここにはもうないんだ、ってことに。

 いや、今回よりもっと前、ずいぶん昔に一度、厩舎の地面をゴム貼りにしようとしたことがあるんだよ、というのは古手の厩務員さんの話。それこそ昭和40年代か、それよりまだ前のこととか。でも、当時はゴムもそれを敷き詰める技術もよくなかったから、じきにはがれて馬がつまづく事故もあって、またすぐ取り除いた由。それに比べりゃ今はほれ、こんなクッションのいい材料で舗装して、また丈夫だからなあ、とこれは時代の変化、「進んだ」ってことなんでしょう、一応は。

 でもなあ、と僕はやっぱりちょっとだけさびしかったりもしました。街なかはもちろん、いなかの道までもがくまなく舗装されてしまったのが高度経済成長このかたのニッポンの「豊かさ」。だから、馬たちもまた日常から追い出されて競馬場くらいにしか棲息できなくなったわけですが、今やその競馬場からまでも、土や砂のままの地面はなくなりつつあるらしい。そりゃ大井は特別だよ、他の競馬場より儲かってるから――そう言って何だかよくわからないなぐさめられ方をされましたが、でも、時の流れというのは同じこと。環境汚染なんてことはどこの競馬場でも問題になり得ることですし、あるいは、スタンドや施設のの老朽化は全国共通、それこそ耐震強度や災害時の対処などが本気で問題にされれば、どこの競馬場でもお手上げじゃないでしょうか。

 競馬をめぐる社会のあり方、環境そのものからして大きく変わりつつある。だからこそ、競馬も変わらねばならないというのは、その「変わる」中身も含めてほんとうに考えてゆかねばならない時代なんだなあ、と改めて思った次第。砂埃も寝藁屑も、土に響く蹄の音さえもきれいになくなった競馬場だけになってしまう未来も、ニッポン競馬の選択肢のひとつ、ではあるのでしょうが。