「給仕」ということ

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「書生の本領」、というのは、16年ぶりの看板である。元の連載がいつ、どこの雑誌で店開きしていたものか、は言わない。ただ、そうだよなあ、時代ってこうやって変わるんだよなあ、ということだけを、今さらながらにふと、言い添えておく。

 「書生」とはこれまた古色蒼然、何のことやら、と言われるだろう。

 16年前だって言われた。いまならなおのこと。それでもやっぱりこの「書生」の語には、看過できない気分がある。今使われる語彙で近いものを敢えてあてはめようとするなら、まあ、「学生」くらいだろうか。

 でも、実はそれでは含まれる意味や印象の半分以下。何より、「学生」だけが「書生」でもなかったわけで、もっと広汎でその分、いろんなイメージもはらみこんでいたようなもの言い、ではあったのだ。

 たとえば、「志」だの「大義」だの、「立身」だの「出世」だの、ついでに「青春」だの「熱血」だの「故郷」だの「錦を飾る」だの、何でもいいがそれらこれまた大時代な、今となっては暑苦しくもうっとうしい一群のことばが、この「書生」の周辺には無駄に熱く、ハイテンションでとりまいていた。

 なにせ、もとは明治時代のもの言い、致し方ないのだけれども、その後、良くも悪くも独立独歩が心情、ものの読み書きをよすがにうっかり「自分」を形作ってしまったような、難儀でめんどくさい内面を抱えた個体の気分をさししめすものにもなっていた。少なくとも、高度経済成長期くらいまでは。

 いつかはひとかどの者になる、そのつもりだけれども、でも今はまだ修業の途上、現実には政治家の玄関番だったり、どこかの社長のかばん持ちだったり、何にせよそういう仮住まいの境遇で勉強中。だから一人前に、「個」として扱われなくても仕方ない。自分の顔と名前を確かに持った存在としてまわりに認めてもらえるようになるために、今はそんな自分に甘んじているのだから、と。

 若い衆、とはまずそういうものだった。いつかは「衆」から抜きん出て「個」になる日を期する、そんな希望をそれぞれがはらんでいる眼前のひとかたまり、それが「若い衆」だった。

 何も身体を動かす仕事の場ばかりでもない、会社にだっていた。「給仕」というやつだ。これまたいまや「女中」などと並んで、すでに内実のわからなくなっている言葉だけれども、素直に接客業、ウエイターやウエイトレス、ボーイの類とだけ解釈していては、見落とす部分がある。何も水商売の現場だけでなく、いわゆるサラリーマンの世界、事務職主体の職場においてもこの「給仕」というのは、平然とそこにいた。とりあえずはとるにたらない存在、として。

 最近、DVDでも再発されてレンタルショップでも手にとりやすくなったクレイジーキャッツ全盛時のサラリーマンもの映画、その頃の彼らのレパートリーのひとつ、谷啓がリードをとった「あんた誰?」に、こんな一節がある。

「見かけぬ顔の学生に/「給仕、お茶だ!」とどなったら/振り向く顔に見覚えが/社長の息子であったよな」

 学生と給仕とは、かように見間違えられるくらいのものだった。

 それは当然、学生服を着ていたりするから、でもあるわけで、そんな詰め襟の少年が昼間の職場をうろうろしている。そして、同じ彼は会社をひけた後、もしかしたら夜学に通っていたりする。そういう存在も含めてあり得たのが、かつてのニッポンの会社、でもあった。

 あるいは、敗戦直後の混乱期に人気を博していた南部正太郎の新聞連載マンガ『ヤネうら3ちゃん』も、給仕として会社にもぐりこんでいた時期があった。天涯孤独の戦災孤児のような3ちゃんでさえも、「見どころがある」と判断すれば雇うこともある、そんな時の受け皿が「給仕」だった。後に、職場の事務系女子社員、いわゆるOLが「お茶くみ」をさせられるのが当たり前になっていった過程の前提には、このような「給仕」の存在もあった。

 もちろん少年だ。少年がオトナのオトコの世話をする、軍隊や全寮制の学校、あるいは運動部などで当たり前にあった関係が、もちろん職場にだってあった、それだけのことだ。だったはずなのだが、しかし、その「それだけ」がすでにもう、歴史の彼方。そして、その歴史を現実に生きていた世代のオヤジたちが、眼前のOLに同じように「お茶!」と言ってしまうことが予期せぬ厄介を引き起こすようになり、「お茶くみ」はくだらない、とるにたらない仕事の代名詞として語られるようになってゆく。もちろん、その「お茶くみ」を仕事とすることの意味も共に、また。


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 これは、世の中が「若い衆」をどのように遇していたのか、という大きな、切実な問いにつながる断片のひとつ、でもある。

 言い換えれば、ある時期まで世の中をあたりまえに支えていたオトナのオトコたちの側が、自分たちの後輩としての「若い衆」=未だオトナになり得ていない少年、に対してどのような視線を投げかけ、そして関わろうとしていたのか、ということについてのひとつの民俗資料、言葉本来の意味での「歴史」を再び役に立つように組み立ててゆくための、ささやかな素材ににもなり得る事象である。

 その頃、未だ世の中にオンナは存在していなかった。オンナや、そしてコドモは「家」にだけとどまっているもの、だった。

 多少は暮らし向きに余裕の持てる家ならば、それは「家庭」だったりした。その中ではコドモもまた「児童」「子女」などと微妙に意味を変えてゆき、そしてその分「女中」も抱えたりもしていた。

 それでも、大枠として世の中を支えている存在の中に、それら「家」「家庭」の側にいる者たちは数えられていなかった。そんな時期、あっぱれ世の中に姿を現わすオンナがあり得るとしたら、それは不特定多数の世の中の視線、当時のオトナのオトコの眼と意識とにはっきりととらえられるようなた輪郭とたずまいをもった、特別なオンナだけに許されるようなものだった。

 彼らはそれを「クロウト」と呼んだ。呼んで、「家」「家庭」とは別の世界の作法でつきあうことにしていた。

 ならば、少年は? 「若い衆」にはらまれていた彼らは? あるいは、少女は? 世の中にあらかじめなかったことにされていたオンナの側の、それでも間違いなく現世に存在していたはずの彼女らの領分とは? そして何より、それらがその頃の世の中の枠組みの中に織り込まれてゆく道すじの個別具体というのは?

 たかだか「給仕」という言葉ひとつが宰領していたものの手ざわりすら、わからなくなってしまった世の中には、自分たちのあとを恃むべき「若い衆」の内実もまた、見届けられないものになっている。

 いま、それぞれの時代にさまざまな形で出されている流行語辞典の類をあたってみても、「女給」はあっても、この「給仕」の項目は、まずない。そして、新たに「メイド」がその「女給」「給仕」との関連で華々しくも場違いに、書き加えられていたりする。

*1:朝日ジャーナル』での連載の標題だったものを、『正論』(だったとおも)で復活した時のもの、のはず。でもこの「書生の本領」という言い回しは、自分ではちょっとお気に入りで、それなりのこだわりもないではない。