ざまあみやかがれ、アメ公

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 ざまあみやがれ、アメ公!
 ……てなことをいきなり言うと、いまどききれいにアブナいシト扱い、周囲十数メートル以内に誰もいなくなること必定でありますな。
 あ、いや、いかにあたしだとて場所もわきまえずそんなこと言やしませんし、そこらの保守オヤジみたいにふだんからアメリカ憎しに凝り固まってるわけもないんですが、それでも、冷戦構造崩壊後の昨今の世界におけるアメリカの脳天気なグローバリズム謳歌ぶりには、腹の底では「ええんかい、ほんまに」という気分を拭いがたく持っていたのもまた確か。ことほどさように、例のニューヨークの「同時多発テロ」ってやつは、遠くわれらニッポン人のココロの中にまで難儀な影を落としているようであります。
 「テロリスト」というもの言いも、毎日新聞や雑誌を賑わすようになっています。その意味は、イコール「世界共通の敵」。ハリウッドメイドの映画にお約束の天下御免な「悪者」とほとんど同じようなもんで、その思想的背景だの政治戦術的必然性だの、そういうところは今やまったくほったらかしなんですが、でも、以前はこの「テロリスト」ってのは例の日本赤軍に代表されるニッポン人の専売特許。「自爆テロ」なんてつまりは「カミカゼアタック」ってことで、その意味じゃ事件当初、一部のアメリカのメディアが日本赤軍関与説を流したのも、あながち早トチリとも言えないところがあります。何より、これまたもうみなさんあっさり忘れちまってるようですけど、かのオウム真理教サリン事件だってあれは立派に「テロリスト」の仕業。先進国の街なかでサリンを実際にバラ撒いた、ってことは、無差別に核兵器使ったのと意味は同じなわけで、そのからみでもまた、「ニッポン」ってやつが、今回あちらの白人さんたちのアタマの中には確実によぎったはずです。
 そのニッポンときたら、湾岸戦争の時、ゼニだけ思いっきりむしりとられてロクに感謝もされないままだった失敗の反動で、今回は小泉首相以下、とにかく根性見せんことには、とまなじり決してますなあ。でも、あの時はバブル景気で余裕があったってことはテキも十分お見通しなわけで、それが証拠に今回は自衛隊だって気前よく出しまっせ、ってやっても、おめえんちは最近、ふところ具合があやしいじゃねえか、邪魔だからあっち行ってろ、と、足もと見られて相手にされない始末。つくづく、ゼニのないニッポンってのは、世界サマから見て存在価値なんざない、ってことを改めて思い知らされてるような次第じゃないすか。ああ、情けねえ。
 イスラム原理主義ってのは、つまり「攘夷派」だよな、と言った乱暴者が知り合いにいます。乱暴ですが、でも間違いでもない。幕末のわれらニッポンにしたって、当時の「攘夷」派なんて今のタリバン程度、イスラム教を錦の御旗にどんどん内側に凝り固まる手合いと同じ程度に、当時の西欧諸国の眼には映っていた可能性は高いわけで、乱暴ついでに言えば、この二一世紀になってなお、西欧向こうに回して馬関戦争、薩英戦争をやらかそうとしているアフガニスタンまわりの状況ってのは、百五十年ばかり前のわれらニッポン人の直面していた現実と重ね合わせてみて初めてわかるところってのもあるはず。世界の華やかな部分は確かに西欧主導の資本主義と民主主義にシメられちまったのは事実で、その中でしか今やわれらニッポンもやってけないのも確かですが、だからこそ、です。かつてやっぱり西欧向こうに回して大喧嘩売って、間違って原爆二発も落とされちまった経験を持つバツイチ、非西欧圏のわけわからん土人成金国家として、〈いま・ここ〉で起こっていることを眼ン玉見開いて見すえてやろう、という気構えが少しはあったってあなた、バチは当たらないってもんじゃないでしょうかねえ。
 テロはいけない、なんて腑抜けたことも、あたしゃ言いたくない。憎むべき相手があり、それだけの理由だってあれば、人間どんなことだってありありなわけで、それは肌の白い黒いは関係ない。問題は、テロなり復讐なりの行為をどうやって時空を超えた正義にしてゆくのかという、広い意味での政治に関わってくる。そういう手練手管も含めて世界はミもフタもなく成り立っているのだ、というのは、他でもない当のアメリカの事件後のなりふりが一番よく示してくれているじゃないですか。
 いい機会だ、学びましょうや、みんなして。その「みんな」ってのがどのへんのみんななのかはともかく、そうやって学ばないことには世界はほんとに変えられやしない。それくらいのひでえ歴史は、われらニッポンだって立派に背負ってるはずなんですから。そうでしょ?

*1:どうやら成稿はこれらしく。結局「アメ公」に戻してたりしますな。