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「老害おじさん炙り出し競技でもあるのかと思ったオリンピックでございますわよ」
閉会式の8月8日夜、Twitterに流れていたとりとめないつぶやきの中の、ほんのひとつ。何気ないひとことで何かをうっかり射抜いてしまう――ああ、世間一般その他おおぜい名無しの集合的無意識な眼力とは、実にこういうことであります。
開催の1年延期を余儀なくされた元凶のコロナ禍が国内的にどうにもうまく制御しきれないまま、かつ、開催をめぐる問題やトラブルが事前からあれこれ立て続きに起こって紛糾続きの中、半ば見切り発車のむりやりのような形で開催強行に踏み切ったTOKYO2020オリンピック、もれなくついてくる近年イチ推し抱き合わせ販売のパラリンピックがまだ控えているとは言え、ひとまず何とか閉会式を迎えることはできました。
莫大な金額に膨れあがったと言われる予算規模からスポーツとカネの問題、国威発揚のマス・イベントの是非、IOCという勧進元のさらに元締めの無理無体な横ぶりから、本邦ならではの「学校」と結びついて定着してきたスポーツのあり方とそこに根ざした指導体質の文化的背景……などなど、オリンピックにからんで必ずあげつらわれるお題群で例によっての百家争鳴、まして今回はコロナ禍下での興行という異例の条件で無観客開催に踏み切ったこともあり、いつもの開催以上にあれこれ物議を醸したのも、これはまあ、致し方ないところではあったでしょう。
成功か失敗か、相も変わらぬ単純な二分法で採点しようとする手合いが跋扈するのも本邦メディアのいつもの風景。そもそも「成功」はともかく、「失敗」というのは具体的にどのような状態をイメージしてのことなのか、前々から謎ではあります。かつてのミュンヘンの如くテロリスト集団が襲撃して死傷者が山ほど出るような異常事態が起こることを想定しているのか、今回ならばコロナ禍が猖獗を極めて選手間にも蔓延、観客はバタバタ倒れて競技続行できないような光景を創造していたのか、何にせよ雑な図式まかせの後出しジャンケン合戦の風景ですが、それでもそんな中ただひとつ、確実にわれら国民同胞その他おおぜいの眼とココロとに映り、焼きついたであろうことがあったとしたら、それは個々の種目それぞれの競技において、与えられた機会に応じて全身全霊全力で自らの可能性を限界まで確かめようとする、競技者ひとりひとりの生身のカラダの躍動が引き出すある種の〈リアル〉、眼前の〈いま・ここ〉に現前している同時代のまごうかたない生の確かさ、であったでしょう。
いずれ分厚くこってりと取り巻くメディアの重囲を介してしか、われらの手もと足もとにはやってはこない、そういういまどきのマス・イベント「コンテンツ」としてのオリンピックではあれど、しかし、そのように「現場」に「臨場」することから引き離され、ナマで体感するはずのまるごとの感動から遠ざけられているかのように思える情報環境においてだからこそ、むしろかえってうっかり濾過され精製されて伝わってしまう何ものか、というのもどうやらあるらしい。
無観客開催という条件が、期せずしてむしろ奏功したという面もあるのかも知れません。観客席やスタンドにいるのは基本的に関係者と限られた報道陣だけ。世界各国から観戦に訪れる観光客はもとより、通常ならば地元開催、それこそ物見高さにおいては人後に落ちないわれらが同胞のこと、なんだかんだ言いながら競技場に押し寄せていたはずのいつもの光景、プロ野球から大相撲、サッカーや競馬などの競技を介した本邦「ショウ」「エンターテインメント」的な見世物興行の場の否応なしに醸し出す日常と地続きの雑踏っぽさ、良くも悪くも盛り場的なごった煮感みたいなものが、こと今回のオリンピックに関してはきれいに取り除かれていたことは、さて、どれくらい国民間に自覚的に意識されていたでしょうか。
たとえば、あれはどういう素姓の人だったのか、確かどこか地方の実業家だったと記憶しますが、オリンピックとなればどの国の開催であれ必ず出没、日の丸入りの派手な陣羽織や扇を手にシルクハットなどで満艦飾、種目不問で代表選手を応援していた「オリンピックおじさん」。ああいう巷の篤志家めいた「お祭り好き」も含めたわれら本邦国民同胞その他おおぜいのある一面、良くも悪くも「大衆」であり「通俗」であるようなあり方も含めたマス・イベントの姿を「オリンピック」として見せられ、意識させられる局面がほとんどなかったわけで、これぞまさに無観客開催ゆえの現象。そしてそれが、今回のオリンピックの「コンテンツ」としての流通、消費において、期せずしてある本質を露呈させることになったように感じています。
それはもちろんある程度普遍的なものであるだろうと共に、しかしまた確実に本邦特有の文脈における普段意識されず、うまく自覚もできないままな、われわれの裡にある〈いま・ここ〉を生きる意識のあるわだかまった部分を漉し出してくれたようです。「分断」が言われ、同じ国民同胞としての意識をどこかで集約してゆくための足場を探しあぐねているわれわれの現在に、果して何がそうさせているのか共に腑に落ちるためのヒントを「ほら、要はこういうことだったんでね?」とひとつ、わかりやすく眼前に差し出してくれることになった。今回のTOKYO2020が期せずして示してくれた教訓とは、どうやらそのあたりのようです。
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冒頭あげた「老害おじさん炙り出し」というもの言い。ある名無しのweb上の集合的無意識がうっかり表現したその「老害おじさん」には、なんでもないように見えて、実は結構いろんな意味が含まれています。
まず総論として、それはIOC主導の巨大規模なマス・イベントと化して久しい現代のオリンピックを21世紀の本邦に引き込んで舞台裏含めて開催を万事取り仕切り、粗相のないよう実際にまわしてゆくはずの、言わば「興行」の担当者としてのさまざまな組織や携わる関係各方面の、今回のオリンピックに至る過程も含めて露わになった、そのありかたについての評言であることは間違いない。まあ、世の「エラいさん」(これも死語ですか)一般に対して世間が常に抱く「ああ、結局はそういうことなんだよなぁ、ああいう連中のやり口は」という昔ながらの気分を裏打ちしてくれるもの、ではあります。
確かに、すでに報道などでも知られているように、今回のTOKYO2020は2013年に正式に開催が決定し、そのためのプランがあれこれ具体的になり始めた当初からトラブル連続、何かに呪われているかのような経緯をたどりました。
まず、旧国立競技場をとりこわして新たに作るメイン・スタジアム新国立競技場の設計案が二転三転、招致の段階から織り込まれていた国際的にも著名で実績のある建築家ザハ・ハディドの手がけたプランが、建設費が増大したことを主な理由に着工直前の2015年に白紙撤回、内外の建築家や国内建設業界とそれにからむ界隈から、公費を注ぎ込む政府以下パブリック・セクターの思惑もからんで事態は紛糾、再度コンペの結果、結局は隈研吾設計案が採用されたものの、予算の圧縮に加えて工期の短縮など新たな縛りもかかり、果してわざわざザハ案を白紙撤回する必要があったのか否か、例によってあれこれいらぬ憶測を引き出すダシにもなりました。
そこから7月には公式エンブレムに模倣・盗作疑惑が勃発、デザイナーの佐野研二郎は否定したものの、海外ベルギーのデザイン事務所からフェイスブックを介して発された疑義が端緒だったこともあり、いまどきの情報環境のこと、webも含めた世論ぐるみの炎上が止まらず、結局「取り下げ」という形でキャンセルになり再度公募に。
2019年には、JOCの竹田恒和会長が、東京への誘致活動の際、シンガポールのコンサルタント会社に200万ドル払っていたことが贈賄疑惑としてフランス司法当局の捜査対象となっていたことを受けて辞任。さらに、開催予定だった去年2020年、コロナ禍が出来。7月の開催予定の3ヶ月前の3月になって開催の1年延期を決定。追加予算2900億あまりが必要となりましたが、その目算もはっきりしないままの措置で、これまたただでさえ金権主義だカネまみれだとの批判が手ぐすね引いている中、絶好の叩きどころに。さらに暮れには「コロナ禍による社会状況の変化や簡素化などの観点から再構築を進め、迅速かつ効率的に準備を進めるため」という理由で、前年に選出されていた開会式・閉会式の演出企画チームの解散が発表され、前回リオ五輪の閉会式の「アベ・マリオ」演出含めて好評で、世間的にも期待されていたチームのこの降板は、思えば本格的なケチのつき始めだったような。
明けて今年2月には、JOCの臨時評議員会での組織委員会会長の森喜朗の「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかる」という発言が拾われ、海外メディアのニューヨークタイムズやAFP通信などを介して報じられたことから例によって国内報道も連鎖的に炎上、Twitterでは「森喜朗は辞任してください」というハッシュタグまでつけられての「女性への差別発言」という昨今ポリコレ的正義に依拠した総攻撃の前には、「誰かが老害、老害と言いましたけども年寄りは下がれというのは、どうもいい言葉ではないので、子どもたちに対する、何と言うんですか、いろんな言葉がございますけども、老人もやっぱりちゃんと日本の国のために、世界のために頑張ってきているんですが、老人が悪いかのような表現をされることも極めて不愉快な話であります。」と懸命の抵抗をしたものの、「しかし、そんな愚痴を言ってもしょうがないことでございます。」「このあと、ぜひ忌憚のないように、この(オリンピックの)運営をしていかなければならんと思いました。私がいる限り、ご迷惑をかけるということになったので、これまでの努力が全く無になってしまいます。」(以上、2月12日会見)と潔く辞任を表明せねばならぬ事態に。
追い討ちをかけるように3月には、開会式・閉会式の演出を統括するクリエーティブディレクターの佐々木宏が、1年前の3月に内輪のLINEに投稿したアイデアが、web媒体の文春オンラインを介して流出、出演構想に入っていたらしいお笑い芸人渡辺直美の容姿を揶揄する内容だったことからこれまた問題化、当人は謝罪したもののこれまた世論に抗しきれず辞任。ここからはもう怒濤のがぶり寄りで、7月の開幕に向けて開会式・閉会式のコンセプトや演出その他に関わるメンバーが発表されると、その中のメンバーにまるで仕込んだかのような「キャンセルカルチャー」沙汰が立て続けに発覚。まずは元コーネリアスのミュージシャン小山田圭吾が過去の雑誌に表明していたいじめが論われ炎上して辞任、引き続き絵本作家ののぶみも過去の同様の事案がほじくり出されて早々に降板し、さらに開会式直前、まさに前日の22日にもショーディレクターが予定されていたお笑い芸人「ラーメンズ」の小林賢太郎が、ホロコーストをネタにしたコントをやっていたことを論われて速攻で降板のダメ押し、とまあ、ざっと経緯をおさらいしてみただけでも、よくもこれだけワヤな綻び具合が立て続けにバレる運びになったものだと、改めてしみじみします。
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世間の風向き、その他おおぜいの気分や空気の方向性みたいなものを察知するのは、古今東西政治家/屋の必須の能力のはずです。
いまどき本邦政治家は小選挙区制ともあいまって「地元」≒選挙区を喪失したような環境に棲息させられている分、その能力に深刻なバグが仕込まれるのが党派不問で共通の症状になっているようですが、それは「広告」「広報宣伝」を稼業としとる界隈にも同じように罹患して久しいようで、大衆社会化の位相がひとつある時期までと異なる次元に移行していった結果、それらの裡に棲息する意識や気分の動態を最前線で測候するのが稼業の界隈において、共通するバグがそれなりに広汎に共有されるようになっていったらしい。それはいわゆる「電通」(とひとくくりにされているけれどもとりあえず)的なワヤ、近年誰の眼にもあらわになってきている彼ら広告代理店稼業とそれに否応なく随伴せざるを得ない生態系でエサを拾わざるを得ないメディア関連情報産業界隈の全面的煮崩れ症状とも、それらは必然的に関連しているはずです。
TOKYO2020開幕直前まで、いや、それどころじゃない、開会式が終わって翌日、実際に競技が始まる日のその朝までは、本邦同胞国民の世間一般その他おおぜいの気分としては、すでにかなりの程度シラけていました。そのことは間違いない。むろんコロナ禍で1年延期された上、肝心のコロナ禍への対応もまた悪戦苦闘の連続で疲弊していたのもあるにせよ、なんの、そうは言っても本来お祭り好きの軽佻浮薄で付和雷同が骨がらみな国民気質だから、なんだかんだ言ってもいざ始まっちまえば「ニッポン頑張れ!」で盛り上がってくれるはず、といった感じで半分多寡をくくり、残り半分おそらくは片手拝みな気分でやり過してきていたそれら大会関係者「老害おじさん」界隈の、前回1964年は東京五輪以来の習い性まかせの「パンとサーカス」原理主義な思惑が根こそぎ無惨に裏切られるくらい、今回のオリンピックへのいわゆる「国民的期待」はほぼ底をついていたと思います、少なくとも7月24日の朝までは。
それは冒頭の「老害おじさん炙り出し」という評言に含まれていた、まさにオリンピックという国民的規模での、かつ世界的な市場価値の裡で催行されるような「興行」を責任もって取り仕切るべき立場にある人がたの、その実務能力についての本質的な疑念や不信感でした。そしてそれは、彼ら彼女らが実際に生物的な年寄りであるかどうかでもなく、それ以上にそれらのたてつけ、実務をまわしてゆくからくりの中に安住したまま〈それ以外〉が見えなくなってしまった人がた一般に対する「ああ、やっぱりそうなんだ」という、少なくと平成このかた、「失われた30年」をこの国で生きてきたその他おおぜいのそれぞれ半径身の丈での既視感に下支えされた理解でもあったはずですし、さらに敢えて言えば、いまどきの本邦同胞国民の間に広く根深く共有されている政治や公共団体や企業その他、いわゆる「公共」への疑念や不信感ともしっかり地続きなはずです。
けれども、であります。その「老害おじさん炙り出し」はその後、希望も見せてくれた。何も日本選手団の空前のメダルラッシュや好成績といったことではなく、開会式・閉会式に代表されるオリンピックの「興行」としての仕切りの側の現われとは全く別に、その中身内実を支える競技とそこに躍動する選手たち、そしてそれらを現場で支えるさまざまなスタッフやボランティアや、いずれそういう「縁の下の力持ち」の役回りにあった同胞らのありかたが、「ああ、いろいろあったけど、やっぱり開催してよかったじゃん」とひとまず思えるような何ものか、を示してくれていた、そのことです。
野球やソフトボール、卓球や体操や柔道といったこれまで日本のお家芸的に知られていた種目だけでなく、自転車やボクシングにフェンシングなど、これまでの本邦「スポーツ」のたてつけからすればどちらかと言えば日陰にあった種目から、さらにスケートボードやサーフィンやスポーツクライミングといった、これまでとても「スポーツ」として意識されてはこなかったような種目まで、いまどきの同胞アスリートたち、殊にこの「失われた30年」に生まれた新たな若い衆世代ど真ん中なコたちの躍動が、「観客」という夾雑物のない無観客開催の環境で、テレビや新聞・雑誌など旧来のマスメディアだけではないwebを介した実況や動画サイトなどをも縦横に介することで余計にくっきりと、身近に切実に「見えた」。競技におけるパフォーマンスだけでなく、その後の取材やインタヴューへの対応などまで含めて、これまでの本邦「スポーツ」の習い性になっていた定型の縛りから解き放たれたかのような良い意味での自然体で、それこそ「自分の身についたことば」で語ろうとしていた。競技や種目で濃淡はあれ、これもまた開会式・閉会式だけが別の世界で行われていたかのような「格差」がうっかり露わになったこととおそらく関連する、広告資本にドライヴされた組織・団体やメディアの濃厚な閉鎖的環境による仕切りで展開される「興行」汚染から自然体で身をよじって逃れ得る世代感覚の予兆なのだとしたら、それは確かにひとつの「希望」だったと思います。
「スケボーでメダルを取れたというのは、よく街中で滑って遊んでて、怒られてばかり居たようなコが、なんか知らない間にオリンピックに出ちゃってメダルを取っちゃった、ってことだよね」(あるtweetより)
「お国柄が出ている。日本は凄いなと思ったのは選手が伸び伸びしてる。日本がいかに自由でやりたいことができる国だということ。楽しそうに伸び伸びと明るい若者は日本という雰囲気の中でないと、そういう選手は育たない。他アジア選手と違う」(YouTube「李相哲TV」での同氏の発言)
思えば、「甲子園」の高校野球もかつてはそんなものだったはず。本邦の「運動」――「スポーツ」というカタカナ表記だけがあたりまえになってゆく過程のある時期までのそれらもまた、そういう身近にある若い衆の力、社会に世の中に活力をうっかり与える役回りでもあるようなそういう存在のまぶしいまでの生命力を、凝縮した形で見せてくれるものだったはずです。
開会式以上にほとんど何の印象も残すことのなかった閉会式の後、海外メディアの中に「今回、コロナ禍の中、日本はよくやった」的な挿話を伝えるものが散見されました。その多くは無名のボランティアや、「バブル」方式と称した選手村と選手たちを隔絶する環境の中でそれでもわずかに垣間見えた本邦同胞その他おおぜいの断片を、印象的に伝えるものでした。それもまた、もしかしたら無観客開催という、いまどきの情報環境からすれば全く相反する方向での縛りのかかった中での、予期せぬ果実として世界に向けて示すことになった「日本の〈いま・ここ〉」だったはず。
なんだかんだあるけど、どうやらこの日本と日本人ってのはそう悪いものでもないらしい。少なくとも海外の大方からはそういう風に思ってもらえているらしい――それもまた、今回五輪で本邦同胞世間一般その他おおぜいに「見えた」ことのひとつでしょう。
「老害おじさん」とひとくくりにされてしまうような存在が良くも悪くも作り、支えてきた戦後76年、そのうち4割近くをすでに「失われた30年」と自嘲的に言わざるを得ないような停滞としてくぐり抜けてきて、さて、この先どのような「日本」にしてゆかねばならないのか。習い性まかせのやみくもな「統合」「一致団結」でもなく、考えなしの赤毛氈で「分断」「格差」を助長する緊縮ネオリベ・グローバリズムでもなく、すでに眼前に否応なくはらまれてあるズレや違いをまず素直に認識しながら、その上でこれまでと違う文法、異なるありようの「公共」の「まとまり」をどう編み上げてゆけるのか。そのためのささやかな教訓、開かれた教材としてのオリンピックという意味では、もしかしたら今回のTOKYO2020、予期せぬところで意外な徳を積んだのかも知れません。
*1:例によっての草稿段階。ゆえに掲載稿は手入るかもだがとりあえず……210816
*2:さっそく削れとご指示が飛来……( ノД`)
*3:改稿手直し後の掲載版はこちら(´・ω・)つ king-biscuit.hatenablog.com