ハロウィーン、当世風

 クリスマスだのバレンタインデーだのに続いて、今度はハロウィーン。海外由来の、それも商売がらみで普及していったそういうお祭りの類、昨今のもの言いだと「イベント」になるのでしょうが、まあ、これまでもあったことだし、新手のそういう類の流行りものなんだろう、と横目に眺めていたら、今年はそのハロウィーンをダシに渋谷の街頭に集った若い衆たちの傍若無人で無軌道なノリが路上の軽自動車を横転させる暴れっぷり。いまどきのことで現場の様子を撮った動画や画像などもweb上にばらまかれたこともあり、一部のメディアでは「暴動」と見出しをつけられるまでの事件になってしまったようです。

 渋谷の街頭は、近年、何かきっかけがあると若い衆を中心に何かと人が集ってしまう、お約束の場所になってはいます。たとえば、サッカーの日本代表が海外の試合で勝った時など、誰が言い出すわけでもなく集って盛り上がる、どうやらこれは2002年の日韓合同開催となったワールドカップの頃から始まった現象のようですが、当初は自然発生的なものだったようで、当時を振り返る記事にもその様子がこのように描かれています。

大騒ぎや、混乱という雰囲気ではない。みんな信号を守り、青信号になると四方から交差点に入り、向こうから渡ってきたサポーターと合流すると、ハイタッチをして通り過ぎた。基本は青信号のうちに向かい側に着こうとしている。信号が変わったあとにたどり着くことも多いが、それは、ふだんのスクランブル交差点の様子と同じである。(…)そのうち青信号で通りすがるときに、缶ビールを振り回して、ビールかけをする連中も出始めた。そういう時代だった。私も繰り返し交差点を行ったり来たりしていたのだが、ビールがかかっても喜んでいた。ふつうの心理状態ではないから、べつだん気にしていない。」(堀井憲一郎「2002年と2018年、W杯日本勝利後に2つの渋谷で私が見たもの」)

 「ハイタッチ」という身振りが若い衆世代を中心に、特にスポーツの場を介して広まり始めていたこと。贔屓のチームが素晴らしい結果を出したことを「共に」喜ぶこういう身振りは、以前ならばあの手放しのバンザイだったはずですが、それがいつの間にかこのハイタッチに取って代わられるようになっていた。それは今回はたまたまノリやはずみにせよ「暴動」まがいの逸脱まで見せるようになっていた、昨今の自然発生的に「集まる」若い衆たちのココロとカラダの関係にはらまれ始めていた微妙な変化の、ひとつの指標かも知れませんが、それはまた別の話。

 今回、渋谷の騒動だけが注目されましたが、これらハロウィーンをダシにした「イベント」の類は全国的に広く行なわれていたらしい。それはハロウィーンがコスプレ(仮装)と結びついて理解されていることとあいまって、規模の大小や質の違いはあれど、首都圏や京阪神だけでなく県庁所在地やそれなりの都市ではどこもハロウィーンをダシにしたイベントが、広告宣伝や商売がらみのお仕着せのものだけでなく自発的な呼びかけと共に行なわれるようになっていたようです。殊に、ハロウィーン本来の趣旨に沿った「子ども」のためのイベントという意味での受容が、単発的にでなくある程度の習い性として生活に根ざし始めている気配がありましたし、それらも含めて、おおっぴらに「コスプレ」をして楽しんで構わないイベントとしての理解は根づき始めている。そういう意味ではある種の現代的な「民俗」としての萌芽的ありようと見ていいのかも知れません。

 ただ、それがどのようなものであれ「地域」に、「地元」に根ざしたものとして運営されてゆくのかどうか。今回の渋谷のようにうっかり暴発することのないよう制御してゆく意味でも川崎その他、すでにある程度の自主的な管理を前提にしたイベントとして運営する試みも始まっているようですが、都市部の、それもある程度の人口や情報環境などとの関わり方などに規定されているような場所に限ってしか現状、イベント化しない/できないらしいことは、それこそかの「地方創生」のかけ声の空回りなどにもつながる、昨今の「地域」や「地元」「地方」といったもの言いの内実をどう立て直してゆくのか、といった大きな問いを考えてゆく際にも、良くも悪くもひとつの糸口を与えてくれているようです。