「民俗」化するハロウィーン?

 ハロウィーン、今年はにわかにえらいことになっていたようです。

 小生の暮らす北海道は札幌では特段のこともなかったのですが、テレビその他のメディアを介して教えられる東京などでは、少し前までと違う様相を呈し始めているようでした。また、それに引きずられて京阪神や九州あたりでも例年にない盛況だったらしく、いずれにせよこの外国由来の習慣、少なくとも首都圏やそれに準ずる「マチ」の若い人たちにとっては、かのバレンタインデーなどと同じような外国由来の新たな年中行事、とにかく街頭に出ておおっぴらに騒げる日、といった理解が定着したということかも知れません。

 振り返れば数年ほど前、観光客か在留民か忘れましたが、外国人のグループが東京は山手線の車輌をハロウィーンの異装で占拠、はた迷惑な狂態を見せたとかでニュースにもなっていた、その頃はまだ日本人の間にここまでの浸透はしていなかったはずで、せいぜいが菓子メーカーなどが仕掛けるハロウィーン関連商品を消費するくらいのもの、それも若者というより子どもたちの間で「トリック・オア・トリート」の合い言葉と共にお菓子をもらう形式が、それも大人の事情で流行らされているといった態でした。

 それがここに来て一気に自発的なお祭り騒ぎに変貌、それこそ渋谷の交差点を半ば占拠するほどの規模になっていたわけで、東京都内ではその他の場所でも思い思いの装束を身につけた人がたがそれなりに跋扈していた由。コスチュームプレイ、つまり敢えて普段と違うキャラクターに変身することを仲間同士で楽しむ「コスプレ」のための衣装類が安価に手に入りやすくなり、かつまたその様子を互いに動画や写真で撮影して共有、流通させることのできるスマホとネット環境の普及ともあいまって、いまどきの若い世代の間でそれらの趣味趣向をおおっぴらに解放できる機会としてこのハロウィーンも勝手に「翻訳」されてしまったようです。

 当初はある一部の世間で始まったものが、後に子どものために大人が設定する行事として市民権を得てゆき、商業主義を介して若者をも対象に拡げてゆくというのは、かつてのクリスマスの普及過程とも似ています。そう考えると、異性同士がつながる機会というか方便としての性格を強めてゆくのも、また共通しているような。このへん、「出会い」が少ないなどと言われて少子化の一因にもあげられる、昨今の若い世代の恋愛事情にも関わっているかも知れません。

 外国人の配ったお菓子に毒が入っていた、というデマが流されたり、はたまたなんと神社の祭礼にも「ハロウィーン」をうたった献灯があったとかなかったとか、さらに大学などでも日を限ってハロウィーンの扮装で登校しても可、にしたところも出てきた由。まあ、こうなってくると、かつて町衆が思い思いの異装で路上にうかれ出たちょうちょう踊りやええじゃないかの類につながるような、予期せぬ尾ひれや想像を越えた展開を見せてくれる程度に、これは「民俗」の様相を呈し始めているようです。もとはキリスト教の文化だから、などという通りいっぺんの理屈や、商業主義に踊らされて、といったしかつめらしい能書きの類はひとまずそれとして、まずは素直に眼前の事実、同時代の〈できごと〉としてこのハロウィーン騒動に垣間見えたあれこれを、今後のためにもちょっと気をつけて見つめておきたいと思っています。