「うた」と「うたう」の現在

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 「うた」というもの言いがある。

 「歌」でも「唄」でもいいし、場合によっては「詠」や「謡」、「唱」なども、表記にせよニュアンス的にせよ、そのカバーする意味あいのうちに含まれてきたりする。不思議なことにそれらの一部はまた、「よむ」の方にもひっかかっていたり。

 国語辞典でも漢和辞典でも引いて見ればそれなりに定義や意味、その来歴などについて教えてくれるのだろうけれども、それら外から押しつけてみる既成の枠組みとは少し別なところで、他でもない現在、〈いま・ここ〉を日々生きている自分たちの身の裡の感覚として、この「うた」というもの言いがどういう位置づけになっているのか、そのあたりがとりとめないことながら、ずっと気になっている。


 「うたわせたろかい」というタンカがあった。

 これはもう相当にガラのよろしくない、大阪やその界隈に棲息するある種の人がたがある究極の局面においてうっかり繰り出すような常套句。最近もまだ活きて使われているのかどうか、少なくとも自分自身、ナマで耳にしたことは現実にほとんどないようにも思うのだけれども、それでも確かにある感覚と共に、こういうタンカがうっかりほとばしり出てしまうような局面が日々の暮らしの裡にあり得ること、そしてそれによって喚起される「あ、これはヤバい」という総毛立つような感覚もまた、なぜかこの身の裡に抜き難く〈リアル〉なものとして刷り込まれている。

 「うたわせの三兄弟」というのもいた。

 あれは70年代は『週刊漫画アクション』連載、どおくまん出世作『嗚呼、花の応援団』、例によっての大阪はミナミを根城にブイブイ言わせていた名物三人組というキャラクター。もめごとから喧嘩になってゆく過程で、ある決定的な局面で「うたわせたろかい~」と3人揃ってタンカを切る。もちろんタンカだけでなく、三人三様それぞれの流儀で暴力的に「うたわせる」ための手練手管を存分に持ち合わせているわけで、だからこその通り名であり、対峙することになった相手の意志や意向など一切お構いなく、暴力的に強制的にこちら側の都合と意図でとにかく「うたわせるぞ」、「音を上げさせるぞ」という意味のこのタンカの凄みも増すというもの。

 そうだ、「音を上げさせる」と言えば、「キャン言わせたれ」という同工異曲なもの言いもあった。

 これは中場利一の『岸和田少年愚連隊』、井筒和幸がまだ正気だった頃に映画化された往き脚満点な作品のワンシーン、喧嘩に負けて帰ってきた主人公チュンバがリベンジへ出向こうと何か「道具」を家の中で物色、当時流行っていたペラペラにのした学生カバンに鉄板焼きの焼き板らしきブツを潜ませて再度出撃しようとしてゆく際、「それ、あとで返してや、イカ焼いたりするんやさかい」と故笑福亭松之助師演じる半ばボケたようなジイちゃんがいい味のからみ方をした後に、同じく茶の間で漠然とテレビを見ていたかに見えた石倉三郎のオヤジが、出てゆく息子チュンバのその背中に一転、表情をキメて声かける、あの場の声色でいつも再生される。

 それが犬の鳴き声としての「キャン」であることは言うまでもないのだが、しかしそのようなもっともらしい理にかなった説明以前に、野良犬同士の組んずほぐれつな喧嘩が路上にあたりまえにあり得た時代、先に声をあげて鳴いた方が負け、という彼ら生きもの同士の日々の掟もまた、われら人間世間の側にも同じ生きものとしてまっとうに認知され共有されていた状況だからこそ、のっぴきならない皮膚感覚と共にしみじみと〈リアル〉に響くもの言いだったはずなのだ。声をあげる、たとえキャンという畜生の肉声であっても、生身の発声をすることの意味が、生きもの同士ののっぴきならない関係における感覚と結びついてあること。それらを媒介するもの言いとしての「うた」であり「うたう」であるらしいこと。

 あるいは、ああ、これもまた漫画表現の記憶を介してのことになってしまうのだけれどもお許しあれ、青木雄二の傑作『ナニワ金融道』の桑田あたりの、いずれゼニカネ絡みの抜き差しならぬ路上稼業の手練れが、不動産の登記書や戸籍謄本、裁判所の命令書などのいずれ「公」の「文書」を手にしながら、その一部をはっきり指し示しつつ、「ここにはっきりと、うとうてあるんや」と宣言してみせる時の、あの「うたう」に込められた気分なども、また。

 紙の上のしるし、単なる記号に過ぎない文字の連なりによって構成されているそれ自体なんでもないどこにでもある文章の、そのある一部分だけが突如「うたい始める」。文字の、それも公的な文書が主体となって「うたう」という事態のこのただならなさは、まさにこの「うたう」というもの言いを介しているがゆえに、ねっとりとからみつくような感覚を伴ってこちら側に否応なく思い知らされることになってくる。その間の機微にもまた、この「うたう」というどこかなまなましくもあやしい、手もとで制御不能な事態をうっかりその場に引きずり出してしまうかに思えるもの言いが、間違いなく作用しているのだと感じる。


 しかも、ここはしつこくこだわってみるのだが、この場合のブツは文書である。しかも公的な文書である。それが「うたう」ことを始めるとなると、「公」の強制力が必然的に併せ技で立ち上がる。もうそうなったらどうしようもない、それまでは眼前の生身同士の関係、日々の暮らしの中にいくらでもあり得る交渉ごとやもめごとでしかなかった現実に、突如それらと異なる水準、予期せぬ位相からのただならぬ事態がみるみるうちに出来してしまう。いや、実際にそうなるかどうかはまだその時点ではわからないにせよ、少なくともそうなることについての予感だけは間違いなく、そのうたい始めた文書の一行なり一文の界隈から濃厚にたちのぼり始める。いわば呪いの言葉、魔界召喚の呪文みたいなもので、そこから先の事態はどのような方向にせよ決定的なものになってゆかざるを得ないだろう。少なくともその場に関わる当事者たちの間にはそうなる必然が半ば諦めと共に、その場に居合わせてしまった者たちである以上等しく受け入れなければならない宿命のように共有され、浸透してゆく。「縁」というもの言いもまた、こういう局面により深く響いてゆくようなものなのだろう。

 「ここにはっきりと、うとうてあるんや」という宣告は、それがこの場の状況をある方向に一気に確定するための決定的な切り札であることを思い知らせるだけの内実を伴っているし、ただの記号に過ぎない文字の群れが「うたう」ようになる事態をある種の比喩として使うことで、その内実を相手の身の裡により直接的に、肉感的にめりこまれてゆくような効果を持たせることになる。ことほどさように、「うたう」というのは剣呑でもある。

 敢えて表明する、力を込めて負荷をかけ、こちら側から向こう側へ、此岸から彼岸へ、ある意図と意志とを確実に込めながら、ぎゅっと押しつけるように何かを伝える、そういう意味あいを確かに込めなければならない時に使われる「うたう」。これもまた「うた」の動詞化、生身に「うた」が宿ろうとする時の気分をことばに乗せてみた表現のひとつではあるらしい。いずれそういう現実をうっかりと引っ張り出してしまい、日々の日常の流れの中に「公」のような全く異なる水準のからくりを介在させ、起動させてゆくためにも、この「うたう」は日常のなにげない連続の中にふいにさしはさまれてくる。また、だからこそ畏れも伴うし、それだけのリスクや危険性を引き受ける覚悟のある立場にある者でない限り、おいそれと使い回していいものでもなかったのだろう。

 改めて思う。この「うた」というのは、いや、単に名詞としてのそれだけでなく動詞となって生身と紐付けられる「うたう」も含めて、果たしてどういう歴史なり民俗なり記憶なりを介して、いずれ生きものとしてこの世を何とかやりすごしてゆくしかないわれわれの身の裡にわだかまる何ものかと紐付けられているのだろう。おそらくそれは、単にひとつの楽曲や唱歌、楽譜なり記録媒体なりにかたちあるものとして定められる対象物としてなどでは到底なく、もっと広大な、とりとめない人間世間の広がりの中で確実に今もなお、〈いま・ここ〉に現実に作用するだけの力を宿した領分でもあるらしい。でなければ、「うた」が、生身と紐付けられた「うたう」を介してこうまで何か決定的な局面で、定型的なタンカや決め台詞のような形でひそんでいるはずがない。

 日々の暮らし、日常の流れの中でかわされることばやもの言い、普段の肉声とは違う音声を介して立ち現れる「うた」の〈リアル〉。それは通常のことばやもの言いによって媒介され流通する意味とは別の、音そのものの響きや調子自体が異なる水準の意味をはらんで「場」に浸透してゆき、ただごとならぬできごととしてその場にある人々の生身を共振、共鳴させてゆくような効果を生んでゆく。われわれ人間世間の側にある者だけでもない、畜生たちも「うたう」し、山川草木もまた同じ。いや、何も生きものだけでなく、時至れば万物全て「うた」をはらみ得るし「うたう」こともある。紙に書かれた文字ですら「うたう」「うたわせる」、そういう容易ならざる事態をあたかも現実にあり得るかのように思わせる、聴かせる、そんな生身の技術や技芸、おそらくは芸能と呼ばれてきたような領分とも通底してゆく何ものか。そのあたりの気配に〈いま・ここ〉を生きるわれわれの生身がすでに反応しなく、できなくなっているのだとしたら、そしてそうなってしまっている可能性は実はもう十分過ぎるほどあると思っているのだが、しかしだからこそなおのこと、未だこの世の人間世間を生きながらえているこの自分自身の身の裡に、そのような「うた」と「うたう」感覚の痕跡みたいなものを、まだあるものならば少しゆっくり探してみるようなことを始めてみたい。

「懲戒解雇」以後――嶋貫和男という「盾」

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 前号、何やら奥歯にもののはさまったようなもの言いでしか語れなかった「内部的には醜聞、いや、外から見てもまずは格好のスキャンダル、ないしはゴシップ系のネタとしてまずは取り扱われるような案件」ですが、もう勿体つけなくてもいい状況になったので、お話ししましょう。

 要は、自分の勤め先であった札幌国際大学という北海道の小さな大学が、昨今どこでも悩まされている定員割れとそれに伴う経営状態の悪化に苦しむあまり、外国人留学生(と共に実はスポーツ特待生も、なのですがそれはとりあえず別途)を見境なく入れ始めたものの、その入試から在籍管理からいろいろ無茶で外道なことをやらかしていた、それを内部で自浄、自主的に改善しようとしていたもののどうにもならなくなって外部の関係諸機関、文科省出入国在籍管理庁その他、報道機関などにも内情を暴露し、世間の眼に公正に判断してもらう段になってしまった、というのが前号あたりまでの状況でした。

 で、そこから先、であります。

 事態を改善しようとしていた城後豊学長を事実上解任にひとしい形で3月末に退任させ、4月から大学側はあからさまに自分たちの言いなりになる人事を強行、理事会や評議会はもとより教学側の学長、学部長らまでもきれいに一新、以前にも増して留学生ビジネスに臆面なく邁進する体制をとり、その勢いで、前学長と共に問題解決に奔走していた自分を、学内的に見せしめという意味もあったのでしょう、なんといきなり「懲戒解雇」に附してきたのが6月末でした。

 学校と宗教はタチが悪い、とよく言われます。いわゆる公益法人、世にある「学校」なり「宗教」なりが枷としてはめられている法律的・制度的な枠組みにおいて、ということですが、税制上の優遇措置その他優遇してもらっているのをいいことにあれこれやりたい放題(らしい)、というのは、普通に本邦の世間に生きている人がたならばある程度、それこそ「そういうもの」として認識しているようなものでしょう。そして実際、今回の札幌国際大学の場合もまた、まさに「そういうもの」の一典型であることを改めて、思い知ることに。

 たとえば、新たな理事のひとりとして嶋貫和男という名前が表に出てきた。他でもない、かの文科省天下り」利権の元締めだった前川喜平の実施部隊として利権の匙加減を塩梅していたと言われる御仁。それまでもこの大学が留学生ビジネスに前のめりになるのを陰に陽に後押ししてきていた形跡があったのですが、ここに来て堂々と表に姿を現わしました。実は留学生だけではない、スポーツ特待生という枠組みでスポーツの得意な学生を多く集めて、これもまた定員充足率をあげるためにこの大学が利用しているスキームなのですが、それらにもまた何らかの影響力を行使している可能性もあり、いずれにせよ元文科省OBの力、あるいはご威光というのは実にこういう形で発揮されるもののようです。

 地元北海道出身で大学も北海学園大学卒という、いわゆるノンキャリア組。にも関わらず、異例の出世をしたと言われていたのは、「人事課が長くて再就職を長く担当して、歴代の人事課長も官房長も重宝していた」(ある取材記者)それなりに「能吏」であったかららしい。「天下り」再就職斡旋問題でも「文科委員会でしょっちゅう答弁をしていましたが、キャリアの局長や官房長よりも落ち着いていて丁寧な答弁で責任回避もせず、立派な態度に見えた」との声もあり、そう考えるとノンキャリアの事務方ならではの仁義で「天下り」問題に関わっていた上司その他、キャリア組含む関係者のいわば盾となっていた、という見方もできなくはない。

 

 ちなみに、この7月に文科省の人事異動があり、大学を管轄する高等教育局長には伯井美徳という御仁が留任していました。この伯井氏、かつて人事課長を務めていた時は嶋貫氏の上司だったという経歴の持ち主で、くだんの「天下り」再就職斡旋事件では減給10分の2(9カ月)の懲戒処分も受けている、いわば一味同心ではあったわけで、さてこのへんの事情がどのようにこの札幌国際大学をめぐる問題に影をおとしてくるのか。「基本的に(去年問題になった)東京福祉大学と同じ枠組みの問題」というのが、霞ヶ関周辺での認識のようではありますが、その東京福祉大学は結果的に以下のような処分を、出入国管理庁との連携でくだされています。

 ◆ 当面、学部研究生の新規受入れを見合わせるよう指導し(文部科学省)、申請があった場合にも在留資格「留学」の付与を認めない(出入国在留管理庁)
 ◆ 制度運用及び事務局体制の適正化に向けた改善の指導・フォローアップ
 ◆ 私立大学等経常費補助金の減額・不交付措置の検討(文部科学省

*1:『宗教問題』連載、掲載原稿

*2:前号、というのはこれ(´・ω・)つking-biscuit.hatenablog.com

札幌国際大学、燃ゆ

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 6月29日付けで、札幌国際大学より「懲戒解雇」されたことについて、7月13日付けで札幌地方裁判所に、地位保全及び賃金仮払い仮処分命令申立書を提出し、受理されました。

 大学側からの「懲戒解雇告知書」に記載されていた「懲戒の事由となる事実」は以下の4点でしたが、処分の決定理由として主にあげられていたのは下記①と③で、「本学の関係者全体の名誉を損なう」「本学の組織運営の健全性を損なう性質の違法行為」とのことでした。

① 令和2年3月31日、城後豊前学長が実施した記者会見に同行したこと。


Twitterにおいて、複数回にわたって本学の内部情報を漏洩したこと及び誹謗中傷の書き込みをしたこと。


③ 教授会の決議や権限に基づき作成されていない「教授会一同」名の文書や教授全員の総意に基づかない「教授会教員一同」名の文書について、これら文書がその権限や総意に基づかない文書であることを認識しながら、城後豊前学長がこれら文書を外部理事に手交する行為に同調しその手交の場に立ち会ったこと。


平成27年4月1日~令和2年3月31日までの期間において65回開催された教授会に、8回しか出席しておらず、他の教授と比してその出席状況が著しく不芳であり、その状況につき正当な理由がないこと。

 これら4点のいずれも「懲戒解雇」の前提となる事実として不当なものであること。そして、これらは昨年春以来紛糾していて、この3月以来は各報道機関などによっても世間に周知されるようになった、同大学の外国人留学生の不適切な入試や在籍管理などをめぐる問題に関連した報復的な処分であり、解雇権の濫用、内部告発者と目した者に対する見せしめ的な恫喝、威圧でありハラスメントであると考えざるを得ず、仮処分の申し立てをさせていただきました。

 これは、大学教員であり研究者である自分の地位や名誉に関わる事案であることと共に、それ以上に、大学の前期半ばでいきなり即時解雇に等しいやり方で学生たちの学ぶ権利や自由を奪ったことでもあり、それについて深く心を痛めています。

 今期、自分は講義科目3つに演習科目2つを受け持っていましたが、15週の予定の約半分、7週ほど消化した時点でいきなり講義も演習も中断されざるを得なくなりました。しかも、中断後2週間以上たった今日15日の段階でも、大学側は未だ学生たちに誠実な対応をしておらず、後任の担当者など含めて受講科目の処遇が決まらないまま。学生たちからは不安の声や今後の相談などが自分のところにも寄せられていますが、大学側は自分が学生たちと接触することを禁じてきており、また、この処分についても「自主退職」であるとだけ説明、学生たちからの質問にも「個人情報に関わるので答えられない」などと対応、外部からの報道関係などの問い合わせに対しても同じような対応を続けていました。仮処分申し立ての翌日14日に開いた記者会見を契機に報道機関などからも問い合わせがあったのか、15日の午後になって学生向けの言い訳を学内限定のポータルサイトに、その後外部から見える場所にも「懲戒解雇」を認める文書をあげましたが、掲載期間が30日までとなっていて、これも本号が世に出ると間もなく削除されることになります。

 コロナ禍への対応で、4月以来ずっとZoomを介した遠隔授業で、学生たちにもいろいろ慣れない環境でのストレスがたまってきているところですし、特に1年生などは入学式もオリエンテーションもやっておらず、大学に足を一歩も踏み入れず、同級生とも顔を合わせていないままの状況で、いきなりこのような講義の中断となっています。このような大学として最優先に考えねばならないはずの学生に対する教務的な対応すら事前に考慮しないまま、講義や演習を担当している現場の教員に対していきなり「懲戒解雇」という処分をおこなったことは、学生たちの学ぶ権利や自由に対して配慮する意識の乏しい大学だということを、残念ながら証明してしまっています。

 ……とまあ、ガラにもないお行儀はとりあえずここまで。

 大学をいきなりクビに、それも「懲戒」という次の間つきで、というのはただごとではないわけで、それが証拠に気の早い知り合いなどは、おいおまえ、いったい何やらかしたんだ、カネの使い込みか、破廉恥沙汰か、またキレて暴れて傷害沙汰か、と心配顔でワクワクしながら根掘り葉掘り詮索してくる始末。てやんでえ、こちとら北海道に蟠踞するようになってからはロクに連絡もしてこなかったくせに、いやもう、情けないことおびただしい。

 よし、上等だ。ならば、そもそもなんでこういうワヤなことになっちまったんだ、というあたりのことを、この場をお借りして少し語ってお聞かせしますので、しばしおつきあいください。実はこれ、かなりシャレにならない背景や人脈がからんでいる事案のようなのでありますからして。


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 そもそも、ことの発端は去年の4月、この大学が外国人留学生を積極的に入れる方向に大きく舵を切って、多くの留学生が一気に入ってきたことからだった。それまでも提携校との間での交換留学生はいたものの、それはわずかで、また相手校も責任持って送り込んでくる優秀な学生ばかりで特に問題はなかったのだが、この時入ってきた留学生たちの中には、日本語能力自体疑わざるを得ないのがこってり混じっていた。

 留学生も大学に正規で入学するためには、大学の教育レベルについてゆけるだけの日本語能力を持っていることが要求されていて、それには一般的に、①日本語留学試験(EJU)200点以上、②日本語能力試験(JLPT)N2以上相当、が必要とされている。この「N2」に届いているかどうかは、専門の日本語教員が少し見れば察知できるらしく、最初の授業から「あれ、これはちょっとレベルのバラつきが……」と懸念があった由。同じような声があちこちから出てきたので、ならばもう一度、こちらで自前に日本語能力を確かめてみようとJ-CATという日本語能力判定システムを活用して別途プレイスメントテストを施したところ、案の定およそ半分近くの新入生がどうやらN2相当に足りないことが判明したという次第。

 入試の段階で日本語能力を大学の責任においてちゃんと確かめる、というのが、留学生としての在留資格(ビザ)を与える出入国在留管理庁(入管)との間の信頼関係なわけで、これが事実ならその信頼関係を根本から崩すことになるし、もし意図的に不適切な入試を行っていたことが明らかになれば、それはまた、学校法人の監督官庁である文科省にとっても見過ごせない問題になってくる。

 事態に気づいた教員たちは、そのことを当時の城後豊学長に報告、学長もことの重大さを理解し、入学させた学生に対しては責任を持たねばならない、という教育者の責任感から、先のプレイスメントテストの結果をもとに能力別のきめ細かなクラス分けを試みるなど教員たちと協力して動くと共に、法人側にも報告をあげ、5月には今後の留学生入試のあり方などについて現場の教学側と話し合う機会を設けたのだが、なんと理事長以下の法人側は最初から聞く耳を持たず、「どうしてこんなデータを出すんだ、レベルの低い学生を教えるのが教員の仕事だろう」「こんな会議はやめろ、論外だ」などの発言続きで、会議はそれ以降開かれることなく自然消滅。それどころか、6月になると理事長自ら理事会を構成する外部理事に対して、「学長は留学生に対して切り捨て教育、差別教育をしようとしているから解任したい」と打診、驚いた外部理事から学長にことの真偽について問い合わせがあり、これに応じて学長は先のテストのデータや関連資料と共に外国人留学生をめぐる現状を説明、ここで初めて問題が理事会にまで聞こえることになった。

 ちょうどその頃、東京福祉大学で外国人留学生が多数行方不明になっていることが問題化、新聞その他で広く報道され知られるようになっていた。それらの報道を見聞きしたこともあったのだろう、外部理事から大学の留学生問題に関する臨時の理事会の開催が要請され、7月、8月と2回開かれた理事会には教学側から学長も出席、データや資料と共に4月以来の留学生をめぐる問題状況を理事会に説明した。つまり、募集の段階からすでに不適切な募集や入試が行われていたのではないか、という疑いが明確なエビデンスと共に示されたわけだ。

 これに対して理事長以下の法人側が主張したのは、留学生の日本語能力はN2相当であればよく、その「相当」という基準は大学側に裁量範囲があるので問題ない、というもの。どうやらこれは法人側の防衛線になっていたらしく、後にはN2は東京福祉大の問題に対する指導文面において初めて具体的な文言として現われたのであり、それ以前は文科省自身N2を具体的に問題にしてなかった、などというワヤなことまで言い出す始末だったが、実は何のことはない、ちょうどこの頃、すでに前年から経営戦略委員会という法人お手盛りの組織にまるっと入り込んでいた文科省OBが理事会にも呼ばれて出席、N2に関しては大学側の裁量範囲がある、と示唆する発言をやっていて、それをお墨付きにしてこの「N2は問題ではない」防衛線が構築されたらしい。この文科省OBとは、嶋貫和男。そう、あの「天下り斡旋」でその名を天下に轟かせた前川喜平文部科学省次官の片腕であり文科省天下りOBルートの元締めでもあったという、少し前まで霞ヶ関界隈で絶大な権勢を誇っていたという御仁であります。

 大学の正規留学生のN2基準に関してそういう理解で本当にいいかどうか、ここはやはり文科省と入管に確認してみようということになり、法人側と教学側が共同で担当者に面談して本学の留学生の現状を示して問題がないかどうか確認することと、同時に、法人の監事がこの問題を内部監査することの2点がひとまず決定された。その頃はまだ、理事会も何とか機能してはいたらしい。

 しかしその後、法人側は単独で文科省と入管に手前味噌でお座なりの電話確認をしたのみでお茶を濁し、さらに監事の監査も作業が延び延びにされたあげく、なんと年明けの今年1月になってようやく報告された上、その中身もずさんな調査と聞き書きの都合の良い部分だけの切り貼りで、「本学の留学生をめぐる入試も在籍管理も適正である」という結果だけが予定調和のごとく特筆大書された代物だった。


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 もともとこの札幌国際大学は、前身の静修短期大学と呼ばれた時代から数えると創設以来50年を越える、地元札幌圏内では小さいながらそれなりに知名度もあり、また卒業生も幼児教育などの方面に多く人材を輩出してきていた学校だった。

 それが創業理事長の和野内崇弘氏が逝去した2016年以降、上野八郎という弁護士が新たな理事長に就任してから一気に雲行きがあやしくなった。それまでも経営状態だけは全国でもトップクラスと言われ、現金で100億近くの預金を持っていると半ば公然とささやかれていたくらい。一方で教職員の給与は安いのでこれまた有名だったが、それはどうでもいい。いずれそれだけの屋台骨を一代で築き上げた創業理事長の資産を、ここは心機一転、少しは大学の将来のために思い切って使え、という当時の理事会の後押し提言を真に受けてこの弁護士理事長殿、みるみるうちに蕩尽に邁進し始めたとおぼしめせ。

 確かに、どこも少子化で大学経営に厳しい逆風の吹き荒れる中、ましてや北海道の小さな私大のこと、ご多分にもれず定員割れに苦しんでいるのにも関わらず、10階建ての新しいビル校舎や体育館を建てるだけでなく、それまで吝嗇一辺倒で辛抱させられていた古い施設や学習環境の改善にも大盤振る舞い、教室にエアコンをつけ、学内にWi-Fiを飛ばし、学生用トイレにはウォッシュレットを奢るという、それはそれで結構な施策をやってくれはした。同時に、法人直轄の部署を作って経理の聖域とし、そこに女子駅伝や陸上、卓球など特定の部活動を大学宣伝の看板と称してぶら下げて厚遇。それなりに有力な高校生ランナーごと持ってきた女子駅伝などはいきなり北海道代表になり全国大会に出場、テレビ中継にも一瞬映るくらいにはなったものの、同時にそれらの学生選手たちの多くにはスポーツ特待生として学費の免除や減免を約束していて、しかもそれらの枠をよっしゃよっしゃと増やしていったので、人数は増えても収入は増えず、逆に経費ばかりがかさんでゆき、収支帳尻あわぬことに。

 外国人留学生も同じことで、学費の免除や減免で収入につながらない人数増という手口は変わらない。2018年には理事長自らトップ外交と称しつつ、お供を引き連れ年に十数回も中国その他海外へ出かけて新規に提携先を●●校開発、そこから留学生を連れてくるという謳い文句だったが、実際は直接にではなく、瀋陽にある小さな日本語学校に「札幌国際大学」の看板を使わせ代理店のように仕立て、そこを経由して留学生を仕入れる仕組み。そこは日本語学校とは言え、実際に訪れたことにある者によれば雑居ビルの一隅で教員もごくわずかしかおらず、代表は中国人だったが、印象では朝鮮族か何か、少数民族かも知れなかったとのこと。新規に大学の留学生として応募してくる者だけでなく、中にはすでに日本国内の日本語学校や専門学校で留学生として在留していたものの、そこから正規の大学留学生として受験できるN2の資格もとらず、あるいはとる気もなく働いていたりで期限が来てビザが切れたのでいったん帰国、改めて今度は大学生として在留資格を取るためにその瀋陽事務所を介するという、言わば「ビザ・ロンダリング」をしてやってくるような剛の者もどうやら交じっていた。

 このような留学生やスポーツ特待生を入学させて定員充足率をあげることで、定員割れで減っていた助成金を取り戻して経営立て直しに寄与する、という能書きは一見もっともらしくても、実際には任期の4年間で一説に30億以上、直近では額面7億、実際には10億近く溶かしていると囁かれ、しかもその上さらに詳細不詳な使途不明金までついてくるという経営実績では、定員充足で補助金回復という経営方針自体、説得力がまるでない。

 それでもなお、理事長以下法人側は彼らの信じるらしい道を、臆面なく驀進しました。

 秋になると、年度末3月で任期満了予定の学長の選考委員会が立ち上がった。法人側の方針に異を唱えてきた城後学長は最初から再任されるはずもなく、暮れの教授会には議事録も明らかにされぬまま決定された新しい学長候補を一方的に押しつけに理事長自ら乗り込んできて、城後学長を事実に基づかない誹謗中傷で批判、否定する大演説を延々とやったところ、ふだん滅多に口を開かなくなっていたこの大学の教員たちの顰蹙を買って糾弾されて立ち往生。有志たちがこの時の記録を文書化、城後学長に提出したことで、年明けには学長が教員たちに自らの立場を説明する会合を設定、ここでようやく学内の教員や職員に4月以来の留学生問題とそれをめぐる紛糾の実態が資料と共に共有されることになった。

 だが、時すでに遅く、1月の理事会で法人側の学長候補が信任され城後学長の年度末での任期満了、事実上の解任が確定。もはやこれまでと判断した学長は、内部での自主的な自浄や改善は見込めないと、事態を外部のしかるべき関係機関や報道関係に通報、3月末には地元の新聞各紙や雑誌などに、事態の概略が広く報道されるようになった。それらの流れの上で、冒頭の記者会見云々などのこじつけ言いがかりもあり、なんだかんだでついには小生に対する「懲戒解雇」とあいなったという次第。いやほんとに、人生いくつになっても何が起こるかわからないし、また、時に応じ場に臨んで過程に獅子奮迅せざるを得ないのもこれまた宿命みたいなもの、と、普通は滅多にもらえるものでもない「懲戒解雇」通知書を傍らに眺めつつ、日々未だ全力交戦中なのであります。

 いずれにせよ、事態の真相は今後、法廷の場やその他報道などでも随時明らかにされてゆくことになるでしょうが、期せずして当事者として現場から見聞してきた結果、この場で指摘しておきたいのは、これは単に外国人留学生の問題にとどまらず、いまの地方の中小私大の置かれている窮状とそれに陰に陽にからんでくる勢力、とりわけなまじまだ資産を持っているところを狙って浸透してくる連中がいるということ、そしてそれは単に私腹を肥やすとか甘い汁を吸いたいというだけでなく、いまやうっかり国境を越えた何らかの政治的思惑や意図などまで知らず知らずのうちに関係してきかねない構図すら、どうやら垣間見えてしまうということです。

 事実、ご当地北海道では、すでにさまざまな資源や資産が外国系の資本に買われることが起こっていると言われています。何も土地や観光施設だけではなく、大学や学校とて例外ではない。苫小牧駒澤大学稚内北星学園の例をあげるまでもなく、それら外国勢力からの見えない浸透、静かな侵略の本体は、もしかしたらこの小さな大学のそれ自体は情けないとしか言いようのない痩せたもめごとの向こう側にも、すでに長くその影を落としているのかも知れません。

*1:『正論』9月号掲載原稿の草稿。掲載時タイトルは「何があったかお話しします」。

*2:草稿なので、掲載稿とは例によってビミョーに違ってたりするところもあり、為念。

「懲戒解雇」の顛末――でぶ太郎、野に放たれる

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 勤めていた大学から、「懲戒解雇」を申し渡されました。北海道は札幌にある札幌国際大学という、今年で創立51年目になる小さな私大です。地元の人たちには、静修短期大学という名前の方が今でも通りがいいかも知れません。

 こういう地方の私大のご多分にもれず近年は定員割れが続き、藁をもすがる起死回生の策ということだったのでしょうか、昨年春の2019年度入学生から外国人留学生を大量に入れるようになった。ところが、その入れ方がずさんで、大学で学べるだけの日本語の能力の目安とされて留学生受け入れの条件になっている「N2」という日本語能力試験の基準をクリアしていない学生をたくさん入れてしまい、なおかつ、留学生を抱えた大学に課されている在学中の在籍管理――勉学面のみならず、一定時間以上のバイトをしていないか、とか生活面についてもあれこれ面倒を見なきゃいけない義務の履行もいろいろあやしげなまま、といった難儀な実態が昨年春の新学期早々から発覚、これを何とか是正しようとあれこれ学内で当時の城後豊学長以下、同僚有志たちと対策を講じて頑張っていたのですが、経営側がそれを察知して学長を解任しようと画策、暮れには議事録も明らかにしない選考過程を強行して新しい学長を一方的に決定までするようになり、もうこれ以上内部での事態改善が求められないと判断した学長が、今年に入ってから入管や文科省など外部の関係諸機関に実情を知らせ、同時に報道機関などにも協力を求めた結果、3月末に事態がいよいよ表沙汰になったという経緯が背景の舞台装置。

札幌国際大学(札幌市清田区)で、定員充足のため、2019年4月に留学生を急増させた経営側の対応に対し、一部の教員が「日本語能力が大学に入学させる基準に達していない学生が多く、安易な受け入れだ」と反発。入国管理局や文部科学省に調査するよう求めるなど、学内が混乱している。学生確保に苦しむ地方大学が活路を見いだす留学生の増加に、日本語能力を向上させる環境整備が追いついていない現状が背景にある。」(『毎日新聞』2020年3月31日付)

 この学長が任期満了という形で事実上解任される最後の3月31日に北海道庁で行った記者会見の場に同席していた、というのが「懲戒解雇」の理由のひとつ。その他、都合4点の理由がもっともらしくあげられ「本学の関係者全体の名誉、組織運営の健全性を損なう行為」だから、と理由づけされていましたが、要は「おまえ、前学長と一緒になって留学生を入れようとする経営側のやり方に楯突いて邪魔していただろう、けしからん」というだけのこと。「懲戒解雇」にあたるまっとうな理由も理屈も何も見あたらない代物でした、というお粗末。

 とは言え、お粗末であれ何であれ、売られた喧嘩は買わなきゃ損、という性格ゆえ、もちろん即刻喧嘩支度にかかり、地位保全の仮処分などできる限りの法的措置を講じて全力で交戦中、というところです。

 どうしてこういうワヤなことになったのか。それは今後の法廷で明らかにされてゆくでしょうし、またその都度、できる限り世間の皆様の眼に触れるような機会を作ってゆくつもりですが、紙幅の限られたこの場では、その「どうして」を解いてゆく際の大事なカギになるだろう、以下のいくつかの事実だけ。

・ この4月からこの大学の理事会に、嶋貫和男という名前が新たに加わっていること。


・ この御仁はこれ以前、2018年度から経営戦略委員会という名前の組織にも名を連ねていて、外国人留学生を入れる際の「アドバイス」を理事会などでしていたこと。


・ そして何より、この島貫和男氏というのはあの前川喜平氏の文部科学省時代の「天下り利権」の番頭格、言わば前川の片腕として以前から斯界で有名だった人物であること。

 現場からは、ひとまず以上です。北海道、今年の夏は肌寒いです。 

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*1:Newsweek日本版の依頼原稿、の草稿。200714掲載分の。

*2:「暴力でぶ太郎」の通り名を、ひさびさに使われる機会になったことはちと面映ゆくもなつかしい。

*3:掲載原稿はこちら。微妙に手入れられているあたり、ご賞味いただければ幸い ⇒ www.newsweekjapan.jp

「放馬」について

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地方競馬だけで事故が続いてしまっていることと、その理由についてお考えをいただければと思います。地方競馬全国協会の方は、「『河川敷のような場所』と『改善できない経営状況』が理由では」ということをおっしゃっていましたが…

 まず、確認しておかねばならないのは、馬の仕事をしている限り、放馬は必ず起こり得る「事故」、それも珍しくない事故だということです。事故ですから必ず起こる。だから、起こった後の対処も含めて、馬と仕事をしている人たちはそれらを見越して日々仕事をしています。それは地方でも中央でも、競馬場でなく牧場でもみんな同じことです。

 そう。馬の仕事の現場では、放馬は珍しくない事故なんです。

 最近「放馬」が問題になるのは、まず、昔と違って、競馬場も厩舎も都市的な環境の真っ只中に存在するようになったことで、放馬した馬がうっかり世間の日常に関わってしまうから、という面があります。

 たとえば、馬と乗用車が接触したり、住宅地の中をウロウロしたり、といった事態は、放馬自体よりその放馬した後にそのような競馬場以外の普段の日常に馬が放り出されたことが「異常事態」として認識されるから、ことさらに報道されるようになる。

 競馬場の厩舎やトレセンの中での放馬ならば世間から見えないままですし、それは本当に馬の仕事にある種つきものの事故と言っていい。ただ、それがうっかり競馬場や厩舎の外の日常に出てしまうから問題が大きくなってしまう。

 さらに、日本にはもう農耕馬その他、ふだんの生活の中に生きた馬がいなくなって久しいわけで、日常に突然現われた馬はそれ自体「異物」です。だから余計に眼につくし、人目も集めるし、だから「報道」にも捕捉される。

 地方競馬だけで事故が多い、というのは当たりまえなんですよ。中央競馬はある時期からもうずっと美浦栗東の大きなトレセンに馬たちは集められて管理され、競馬を使う時に競馬場に輸送する形になっている。一方、地方競馬の多くは今でも競馬場の中に厩舎があり、働く人たちも日々、馬と一緒に暮らしていれば、競馬もそこで開催されている。日常生活が競馬場で完結している、ある意味昔ながらの競馬場のあり方になっている。

 もっと昔は、厩舎は競馬場のまわりに散在していて、ふだんの暮らしの中に農耕馬がいるように競走馬も生きていた。「外厩」と呼ばれる形ですが、それが地方競馬の競馬場のあたりまえでした。

 今でも岐阜県笠松競馬場などにはその名残りが見られますが、日々競馬場へ馬を連れてゆく道行きがあたりまえの風景になっていても、今は昔と違って競馬場のまわりも住宅地が増えて都市化したことで、たとえ放馬したわけでなくても、その道すがら、乗用車と接触する事故も起きてしまう。

 だから、数字だけを見て地方競馬ばかりが放馬事故を起こしている、といった解釈をすることは、地方競馬の現場のあり方を知らないか、知っていてのことならば、何らかの偏った見方や意図的な解釈が前提にあってのこと、同情なき見方だと思います。

地方競馬で、放馬事故が起こらないようにできる対策について。経営が苦しいなかでも、何を優先すべきでしょうか。
・先ほどのお電話でおっしゃっていた世界とのズレについて。

 地方競馬の厩舎まわりの施設その他の改善は、できることはもちろんするべきですし、そのための財源も、売上げその他がケタ違いに恵まれた中央競馬に比べれば貧しいのは確かです。その中で手当てすべきところは手当てして、改善してゆく、それはあたりまえにやらねばならない。

 ただ、それらとは別に、もっと本質的で構造的な問題、も横たわっています。それは、馬を扱うことのできる人間が足りなくなっている、ということです。

 日本の競馬は、農耕馬その他、日常生活の中に馬という大きな生きものが事実上いなくなった社会で、中央と地方あわせて年間を通じて競馬がほぼ毎日開催されているという、世界の基準からすればかなり奇妙な競馬です。

 馬が日常にいないから、馬を扱える人もいなくなっているし、馬という生きものそのものがどういう生きものなのか、さえよくわからなくなっている。そんな社会で競馬だけが生きた馬を使って日々開催されている、ということの異様さを、少し立ち止まって考えてみてください。それこそ自転車に乗るように若い人も大人も馬にまたがることができる、そんな環境があたりまえな海外の馬文化先進国と違い、日本人はどうも馬という生きものとつきあう歴史と文化について、蓄積が乏しいままだったらしい。それでも生来の器用さで競走馬も見よう見真似で扱う技術を身につけ、競馬も開催するようになった。それでも、高度経済成長の現実は、それまで日々にまだかろうじて生き残っていた農耕馬その他、仕事をする馬たちの姿も最終的に見えないものにしてゆき、その結果、馬のいない社会に競馬だけが栄えることになりました。

 北海道の牧場はもとより、最近は競馬場でも外国人の厩務員が入ってきています。実際、彼らを入れないと仕事がまわらなくなっているわけで、競馬の売上げは一時の低迷から底を打ち、殊に地方競馬などは無観客開催でも売上げのレコードを記録するように回復しているし、競走馬のせりも売買はまた伸びてきていれば、馬主も新しい世代が参入してきている。世界で戦える日本生産・調教馬も珍しくなくなって、ファン層も競輪など他の公営ギャンブルに比べればそれなりに世代交替も進んで、またその眼も肥えてきている。一見、いいことづくめのように見えなくもない。

 ただ、馬という生きものを現場で扱い、日々つきあうことのできる人間が、この国には決定的に足りなくなっています。現場の人たちもそれは身にしみて感じている。だから育ててゆくしかないのですが、さて、それが果して間に合うかどうか。

 日本で競馬が衰退するとしたら、それは人間が要因になるだろう、ということは、もう20年以上前から言ってきているのですが、はからずもそれが現実になりつつあるのが最近の日本の競馬をめぐる現状だと、自分は思っています。

 放馬した馬が、うっかり競馬場の厩舎やトレセンの外に飛び出してきたとしても、そこらの人たちの中に馬を扱える人があたりまえに混じっていて、とりおさえて落ち着かせてくれる。そんな社会にもう一度、われわれは戻れるのかどうか。夢物語ではなく、かつての日本はある意味そんな部分も含み込んだ、ふくらみのある社会でした。でも、もうそこへは戻れないのだとしたら、われわれはこの先、果してどのようにこの馬という大きな生きものとつきあってゆくべきなのか。

 「放馬」問題というのは、実はそのような「隠された大きな問い」をあらわにしてくれる触媒のような意味あいも持っている、そう感じています。

*1:朝日新聞」の、それも東京本社の警視庁記者クラブ所属という記者からの電話取材。このところ続く「放馬」事故についてコメントを、ということだったので、例によって電話取材は原則として受けない、いくつか質問項目をくれたらそれに対してしゃべった形でのコメント草稿を渡すからそれでいいなら好きにつまんでくれ、と伝えて渡したのがこれ。その後どういう記事になったのかならなかったのか、まるで音沙汰ないままなのでわからん。

*2:掲載された。ちと時間かかったのは先方の都合の由……200814 www.asahi.com (ニュースQ3)ヒヒーン!地方競馬で脱走相次ぐ:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/DA3S14586457.html

*3:字数の関係で難しかったようで仕方ないが、地方競馬は以前は民家を厩舎にしていた時期もあって、という文脈をうまく盛り込んでもらうことができなかったのが、ちと心残り。