札幌国際大学、燃ゆ

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 6月29日付けで、札幌国際大学より「懲戒解雇」されたことについて、7月13日付けで札幌地方裁判所に、地位保全及び賃金仮払い仮処分命令申立書を提出し、受理されました。

 大学側からの「懲戒解雇告知書」に記載されていた「懲戒の事由となる事実」は以下の4点でしたが、処分の決定理由として主にあげられていたのは下記①と③で、「本学の関係者全体の名誉を損なう」「本学の組織運営の健全性を損なう性質の違法行為」とのことでした。

① 令和2年3月31日、城後豊前学長が実施した記者会見に同行したこと。


Twitterにおいて、複数回にわたって本学の内部情報を漏洩したこと及び誹謗中傷の書き込みをしたこと。


③ 教授会の決議や権限に基づき作成されていない「教授会一同」名の文書や教授全員の総意に基づかない「教授会教員一同」名の文書について、これら文書がその権限や総意に基づかない文書であることを認識しながら、城後豊前学長がこれら文書を外部理事に手交する行為に同調しその手交の場に立ち会ったこと。


平成27年4月1日~令和2年3月31日までの期間において65回開催された教授会に、8回しか出席しておらず、他の教授と比してその出席状況が著しく不芳であり、その状況につき正当な理由がないこと。

 これら4点のいずれも「懲戒解雇」の前提となる事実として不当なものであること。そして、これらは昨年春以来紛糾していて、この3月以来は各報道機関などによっても世間に周知されるようになった、同大学の外国人留学生の不適切な入試や在籍管理などをめぐる問題に関連した報復的な処分であり、解雇権の濫用、内部告発者と目した者に対する見せしめ的な恫喝、威圧でありハラスメントであると考えざるを得ず、仮処分の申し立てをさせていただきました。

 これは、大学教員であり研究者である自分の地位や名誉に関わる事案であることと共に、それ以上に、大学の前期半ばでいきなり即時解雇に等しいやり方で学生たちの学ぶ権利や自由を奪ったことでもあり、それについて深く心を痛めています。

 今期、自分は講義科目3つに演習科目2つを受け持っていましたが、15週の予定の約半分、7週ほど消化した時点でいきなり講義も演習も中断されざるを得なくなりました。しかも、中断後2週間以上たった今日15日の段階でも、大学側は未だ学生たちに誠実な対応をしておらず、後任の担当者など含めて受講科目の処遇が決まらないまま。学生たちからは不安の声や今後の相談などが自分のところにも寄せられていますが、大学側は自分が学生たちと接触することを禁じてきており、また、この処分についても「自主退職」であるとだけ説明、学生たちからの質問にも「個人情報に関わるので答えられない」などと対応、外部からの報道関係などの問い合わせに対しても同じような対応を続けていました。仮処分申し立ての翌日14日に開いた記者会見を契機に報道機関などからも問い合わせがあったのか、15日の午後になって学生向けの言い訳を学内限定のポータルサイトに、その後外部から見える場所にも「懲戒解雇」を認める文書をあげましたが、掲載期間が30日までとなっていて、これも本号が世に出ると間もなく削除されることになります。

 コロナ禍への対応で、4月以来ずっとZoomを介した遠隔授業で、学生たちにもいろいろ慣れない環境でのストレスがたまってきているところですし、特に1年生などは入学式もオリエンテーションもやっておらず、大学に足を一歩も踏み入れず、同級生とも顔を合わせていないままの状況で、いきなりこのような講義の中断となっています。このような大学として最優先に考えねばならないはずの学生に対する教務的な対応すら事前に考慮しないまま、講義や演習を担当している現場の教員に対していきなり「懲戒解雇」という処分をおこなったことは、学生たちの学ぶ権利や自由に対して配慮する意識の乏しい大学だということを、残念ながら証明してしまっています。

 ……とまあ、ガラにもないお行儀はとりあえずここまで。

 大学をいきなりクビに、それも「懲戒」という次の間つきで、というのはただごとではないわけで、それが証拠に気の早い知り合いなどは、おいおまえ、いったい何やらかしたんだ、カネの使い込みか、破廉恥沙汰か、またキレて暴れて傷害沙汰か、と心配顔でワクワクしながら根掘り葉掘り詮索してくる始末。てやんでえ、こちとら北海道に蟠踞するようになってからはロクに連絡もしてこなかったくせに、いやもう、情けないことおびただしい。

 よし、上等だ。ならば、そもそもなんでこういうワヤなことになっちまったんだ、というあたりのことを、この場をお借りして少し語ってお聞かせしますので、しばしおつきあいください。実はこれ、かなりシャレにならない背景や人脈がからんでいる事案のようなのでありますからして。


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 そもそも、ことの発端は去年の4月、この大学が外国人留学生を積極的に入れる方向に大きく舵を切って、多くの留学生が一気に入ってきたことからだった。それまでも提携校との間での交換留学生はいたものの、それはわずかで、また相手校も責任持って送り込んでくる優秀な学生ばかりで特に問題はなかったのだが、この時入ってきた留学生たちの中には、日本語能力自体疑わざるを得ないのがこってり混じっていた。

 留学生も大学に正規で入学するためには、大学の教育レベルについてゆけるだけの日本語能力を持っていることが要求されていて、それには一般的に、①日本語留学試験(EJU)200点以上、②日本語能力試験(JLPT)N2以上相当、が必要とされている。この「N2」に届いているかどうかは、専門の日本語教員が少し見れば察知できるらしく、最初の授業から「あれ、これはちょっとレベルのバラつきが……」と懸念があった由。同じような声があちこちから出てきたので、ならばもう一度、こちらで自前に日本語能力を確かめてみようとJ-CATという日本語能力判定システムを活用して別途プレイスメントテストを施したところ、案の定およそ半分近くの新入生がどうやらN2相当に足りないことが判明したという次第。

 入試の段階で日本語能力を大学の責任においてちゃんと確かめる、というのが、留学生としての在留資格(ビザ)を与える出入国在留管理庁(入管)との間の信頼関係なわけで、これが事実ならその信頼関係を根本から崩すことになるし、もし意図的に不適切な入試を行っていたことが明らかになれば、それはまた、学校法人の監督官庁である文科省にとっても見過ごせない問題になってくる。

 事態に気づいた教員たちは、そのことを当時の城後豊学長に報告、学長もことの重大さを理解し、入学させた学生に対しては責任を持たねばならない、という教育者の責任感から、先のプレイスメントテストの結果をもとに能力別のきめ細かなクラス分けを試みるなど教員たちと協力して動くと共に、法人側にも報告をあげ、5月には今後の留学生入試のあり方などについて現場の教学側と話し合う機会を設けたのだが、なんと理事長以下の法人側は最初から聞く耳を持たず、「どうしてこんなデータを出すんだ、レベルの低い学生を教えるのが教員の仕事だろう」「こんな会議はやめろ、論外だ」などの発言続きで、会議はそれ以降開かれることなく自然消滅。それどころか、6月になると理事長自ら理事会を構成する外部理事に対して、「学長は留学生に対して切り捨て教育、差別教育をしようとしているから解任したい」と打診、驚いた外部理事から学長にことの真偽について問い合わせがあり、これに応じて学長は先のテストのデータや関連資料と共に外国人留学生をめぐる現状を説明、ここで初めて問題が理事会にまで聞こえることになった。

 ちょうどその頃、東京福祉大学で外国人留学生が多数行方不明になっていることが問題化、新聞その他で広く報道され知られるようになっていた。それらの報道を見聞きしたこともあったのだろう、外部理事から大学の留学生問題に関する臨時の理事会の開催が要請され、7月、8月と2回開かれた理事会には教学側から学長も出席、データや資料と共に4月以来の留学生をめぐる問題状況を理事会に説明した。つまり、募集の段階からすでに不適切な募集や入試が行われていたのではないか、という疑いが明確なエビデンスと共に示されたわけだ。

 これに対して理事長以下の法人側が主張したのは、留学生の日本語能力はN2相当であればよく、その「相当」という基準は大学側に裁量範囲があるので問題ない、というもの。どうやらこれは法人側の防衛線になっていたらしく、後にはN2は東京福祉大の問題に対する指導文面において初めて具体的な文言として現われたのであり、それ以前は文科省自身N2を具体的に問題にしてなかった、などというワヤなことまで言い出す始末だったが、実は何のことはない、ちょうどこの頃、すでに前年から経営戦略委員会という法人お手盛りの組織にまるっと入り込んでいた文科省OBが理事会にも呼ばれて出席、N2に関しては大学側の裁量範囲がある、と示唆する発言をやっていて、それをお墨付きにしてこの「N2は問題ではない」防衛線が構築されたらしい。この文科省OBとは、嶋貫和男。そう、あの「天下り斡旋」でその名を天下に轟かせた前川喜平文部科学省次官の片腕であり文科省天下りOBルートの元締めでもあったという、少し前まで霞ヶ関界隈で絶大な権勢を誇っていたという御仁であります。

 大学の正規留学生のN2基準に関してそういう理解で本当にいいかどうか、ここはやはり文科省と入管に確認してみようということになり、法人側と教学側が共同で担当者に面談して本学の留学生の現状を示して問題がないかどうか確認することと、同時に、法人の監事がこの問題を内部監査することの2点がひとまず決定された。その頃はまだ、理事会も何とか機能してはいたらしい。

 しかしその後、法人側は単独で文科省と入管に手前味噌でお座なりの電話確認をしたのみでお茶を濁し、さらに監事の監査も作業が延び延びにされたあげく、なんと年明けの今年1月になってようやく報告された上、その中身もずさんな調査と聞き書きの都合の良い部分だけの切り貼りで、「本学の留学生をめぐる入試も在籍管理も適正である」という結果だけが予定調和のごとく特筆大書された代物だった。


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 もともとこの札幌国際大学は、前身の静修短期大学と呼ばれた時代から数えると創設以来50年を越える、地元札幌圏内では小さいながらそれなりに知名度もあり、また卒業生も幼児教育などの方面に多く人材を輩出してきていた学校だった。

 それが創業理事長の和野内崇弘氏が逝去した2016年以降、上野八郎という弁護士が新たな理事長に就任してから一気に雲行きがあやしくなった。それまでも経営状態だけは全国でもトップクラスと言われ、現金で100億近くの預金を持っていると半ば公然とささやかれていたくらい。一方で教職員の給与は安いのでこれまた有名だったが、それはどうでもいい。いずれそれだけの屋台骨を一代で築き上げた創業理事長の資産を、ここは心機一転、少しは大学の将来のために思い切って使え、という当時の理事会の後押し提言を真に受けてこの弁護士理事長殿、みるみるうちに蕩尽に邁進し始めたとおぼしめせ。

 確かに、どこも少子化で大学経営に厳しい逆風の吹き荒れる中、ましてや北海道の小さな私大のこと、ご多分にもれず定員割れに苦しんでいるのにも関わらず、10階建ての新しいビル校舎や体育館を建てるだけでなく、それまで吝嗇一辺倒で辛抱させられていた古い施設や学習環境の改善にも大盤振る舞い、教室にエアコンをつけ、学内にWi-Fiを飛ばし、学生用トイレにはウォッシュレットを奢るという、それはそれで結構な施策をやってくれはした。同時に、法人直轄の部署を作って経理の聖域とし、そこに女子駅伝や陸上、卓球など特定の部活動を大学宣伝の看板と称してぶら下げて厚遇。それなりに有力な高校生ランナーごと持ってきた女子駅伝などはいきなり北海道代表になり全国大会に出場、テレビ中継にも一瞬映るくらいにはなったものの、同時にそれらの学生選手たちの多くにはスポーツ特待生として学費の免除や減免を約束していて、しかもそれらの枠をよっしゃよっしゃと増やしていったので、人数は増えても収入は増えず、逆に経費ばかりがかさんでゆき、収支帳尻あわぬことに。

 外国人留学生も同じことで、学費の免除や減免で収入につながらない人数増という手口は変わらない。2018年には理事長自らトップ外交と称しつつ、お供を引き連れ年に十数回も中国その他海外へ出かけて新規に提携先を●●校開発、そこから留学生を連れてくるという謳い文句だったが、実際は直接にではなく、瀋陽にある小さな日本語学校に「札幌国際大学」の看板を使わせ代理店のように仕立て、そこを経由して留学生を仕入れる仕組み。そこは日本語学校とは言え、実際に訪れたことにある者によれば雑居ビルの一隅で教員もごくわずかしかおらず、代表は中国人だったが、印象では朝鮮族か何か、少数民族かも知れなかったとのこと。新規に大学の留学生として応募してくる者だけでなく、中にはすでに日本国内の日本語学校や専門学校で留学生として在留していたものの、そこから正規の大学留学生として受験できるN2の資格もとらず、あるいはとる気もなく働いていたりで期限が来てビザが切れたのでいったん帰国、改めて今度は大学生として在留資格を取るためにその瀋陽事務所を介するという、言わば「ビザ・ロンダリング」をしてやってくるような剛の者もどうやら交じっていた。

 このような留学生やスポーツ特待生を入学させて定員充足率をあげることで、定員割れで減っていた助成金を取り戻して経営立て直しに寄与する、という能書きは一見もっともらしくても、実際には任期の4年間で一説に30億以上、直近では額面7億、実際には10億近く溶かしていると囁かれ、しかもその上さらに詳細不詳な使途不明金までついてくるという経営実績では、定員充足で補助金回復という経営方針自体、説得力がまるでない。

 それでもなお、理事長以下法人側は彼らの信じるらしい道を、臆面なく驀進しました。

 秋になると、年度末3月で任期満了予定の学長の選考委員会が立ち上がった。法人側の方針に異を唱えてきた城後学長は最初から再任されるはずもなく、暮れの教授会には議事録も明らかにされぬまま決定された新しい学長候補を一方的に押しつけに理事長自ら乗り込んできて、城後学長を事実に基づかない誹謗中傷で批判、否定する大演説を延々とやったところ、ふだん滅多に口を開かなくなっていたこの大学の教員たちの顰蹙を買って糾弾されて立ち往生。有志たちがこの時の記録を文書化、城後学長に提出したことで、年明けには学長が教員たちに自らの立場を説明する会合を設定、ここでようやく学内の教員や職員に4月以来の留学生問題とそれをめぐる紛糾の実態が資料と共に共有されることになった。

 だが、時すでに遅く、1月の理事会で法人側の学長候補が信任され城後学長の年度末での任期満了、事実上の解任が確定。もはやこれまでと判断した学長は、内部での自主的な自浄や改善は見込めないと、事態を外部のしかるべき関係機関や報道関係に通報、3月末には地元の新聞各紙や雑誌などに、事態の概略が広く報道されるようになった。それらの流れの上で、冒頭の記者会見云々などのこじつけ言いがかりもあり、なんだかんだでついには小生に対する「懲戒解雇」とあいなったという次第。いやほんとに、人生いくつになっても何が起こるかわからないし、また、時に応じ場に臨んで過程に獅子奮迅せざるを得ないのもこれまた宿命みたいなもの、と、普通は滅多にもらえるものでもない「懲戒解雇」通知書を傍らに眺めつつ、日々未だ全力交戦中なのであります。

 いずれにせよ、事態の真相は今後、法廷の場やその他報道などでも随時明らかにされてゆくことになるでしょうが、期せずして当事者として現場から見聞してきた結果、この場で指摘しておきたいのは、これは単に外国人留学生の問題にとどまらず、いまの地方の中小私大の置かれている窮状とそれに陰に陽にからんでくる勢力、とりわけなまじまだ資産を持っているところを狙って浸透してくる連中がいるということ、そしてそれは単に私腹を肥やすとか甘い汁を吸いたいというだけでなく、いまやうっかり国境を越えた何らかの政治的思惑や意図などまで知らず知らずのうちに関係してきかねない構図すら、どうやら垣間見えてしまうということです。

 事実、ご当地北海道では、すでにさまざまな資源や資産が外国系の資本に買われることが起こっていると言われています。何も土地や観光施設だけではなく、大学や学校とて例外ではない。苫小牧駒澤大学稚内北星学園の例をあげるまでもなく、それら外国勢力からの見えない浸透、静かな侵略の本体は、もしかしたらこの小さな大学のそれ自体は情けないとしか言いようのない痩せたもめごとの向こう側にも、すでに長くその影を落としているのかも知れません。

*1:『正論』9月号掲載原稿の草稿。掲載時タイトルは「何があったかお話しします」。

*2:草稿なので、掲載稿とは例によってビミョーに違ってたりするところもあり、為念。