ものみなすべて「ネズミ講」 にハマる――高度大衆消費社会にからみついた「群を抜く力」の不幸

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 ああ、布施博だ、と思った。

 厚手のつややかな紙にフルカラーで刷られた誌面に、ずらり並んだ明るくさわやかな顔、顔、顔……。撮り方にもよるのだろう。しかしそれでも、ここまで同じ明るさを等量に放射する写真を並べるためには、撮る側の意図や技術とはまた別に、その撮られる側の表情と、その表情を裏打ちする身体のありかたに、かなりなめされた均質性がないことには不可能だと思う。

 そこに並ぶ男たちの顔のどれもが、俳優の布施博の顔と不意に重なりあった。なぜかはわからない。『抱きしめたい!』などの鎌田敏夫系男女複数バトルロイヤルTVドラマで人気を獲得し、具体的な結婚相手として「おいしい男」の典型とされて世の女性たちのどこかなれなれしい視線を浴びる彼のイメージは、決してトンガっていず、といってネクラではなく、適度にひょうきんで、そこそこにウブで、根本的には健全な「良識」の持ち主で、要するにオンナたちにとってたやすく取り扱い可能でわがままを許容してもらえそうなぬいぐるみか家電製品のような男、といったものだ。

 別の言い方をすれば、テニスやスキーといった十把一からげに大量消費されるスポーツのインストラクターたち、あの表情に近い。どの顔をとっても、突き抜けて「いい人」という印象しか引き出せないのだ。かつて『めぞん一刻』で仇役を振られた三鷹コーチ、あのカリカチュアライズされたキャラクターが決して冗談にならないほどに、白い歯、よく整えられた髪、そしておだやかな眼を持った顔が実際の人間のツラとして整然と並んでいる。もとより、誰もが納得する見るからに不快な表象として流通するようになってしまったあの「おたく」ヅラではない。むしろそこから対極に位置する、まず誰に聞いても「好青年」という答が返ってきそうな、けれどもやはり確実に不快な顔。例えば、受験産業でひとくくりに私大文系と呼ばれるそのもっとも中ぶくれの部分、偏差値にしておよそ55から60そこそこ、どう頑張っても70まで伸ばすことはできないが50以下に落ちることはないあたりが、人並みの「キャンパスライフ」の後に人並みに世間につつき出されていった果て、2DKマンションに詰め込まれた無印良品と薄っペらなエコロジーとそこそこのエリート意識と横着な市民主義とにまぶされた難儀を無自覚に刻み込んだツラ――いっそここまで差別的に言えばわかってもらえるだろうか。

 仕出し役者のプロダクションやモデルクラブのカタログではない。洗剤や家庭用品を無店舗訪問販売する外資系企業、アムウェイの機関誌だ。

 1950年代末のアメリカ、ミシガンの片田舎グランドラピッズに住むオランダ系移民の息子ふたりによって創業されることになったこの会社は、その後1960年代から1970年代にかけて飛躍的な成長をとげた典型的な「アメリカン・ドリーム」の依代となっている。ニュートリライトという今で言うところの健康食品の直接販売から身を起こした彼らは、その会社を逆に併合してしまうまでに巨大になってゆく。「ほとんどのダイレクト・セールス企業は、長年にわたって「ブルーカラーの会社」というイメージを強く持たれている。一般大衆はダイレクト・セールス会社というと、家計を助けるために洗剤や聖書あるいは真空掃除機などを訪問販売で売り歩く失業者、学生アルバイト、主婦が集まる会社を連想する」といういずこも同じ状況で、アムウェイはそのような「持たざる者たち」の欲望を組織してゆき、のちには社会的に比較的高い地位にある者たちをもその版図に収めるようになっていった。(チャールズ P.コン『アムウェイビジネス』)

 このアムウェイの日本法人である日本アムウェイが設立されたのは1977年6月。実際に家庭用品や一般消耗品の直接販売を開始したのは二年後の1979年5月だった。そこからわずか五年の間に売り上げにしておよそ六十倍という成長率を記録している。(グループシータスリー『驚異のアムウェイビジネス』)ネズミ講、およびネズミ講に類似したいわゆるマルチ商法が社会問題としてクローズアップされたのが1970年代前半と1980年代半ばだったことを考えれば、このアムウェイの上陸時期はビジネスチャンスとして決して有利な時期だったとは言えない。だが、その後の成長は、そのパンフレットに並ぶ「成功者たち」の脳天気な顔が物語っている。

 石鹸や洗剤など、台所まわりの生活用品を家庭に直接届けてくれるというこのビジネス、ちょっとそこまで、という具合に買物に出かけることがしにくい広がりをもった多くのアメリカのコミュニティの日常生活を考えれば、確かに「便利」だったに違いない。だが、POSシステムが導入されたCVSが増殖し、石鹸、洗剤はおろか犬猫のエサ、果ては「ベルリンの壁」に至るまで、あらゆるものが二十四時間体制で手軽に買うことができるようになったこの国の80年代にとって、このアムウェイアメリカにおけるほど具体的な「便利」を与えてくれていたとは思いにくい。

 「とにかく「チャンス」とそれを「選ぶ」ってことをしつこく言うんですよね」

 かつて、友だちにすすめられてほんの少しだけアムウェイに関わっていたという女性はこう言った。

 「パーティっていうのかな、普通のマンションで開かれた集まりに呼ばれたんですよ。上の方の会員の人の家何ですけど、そこで洗剤なんかを実際に宣伝するわけです。いろいろ器具とかがあってね、まぁマニュアルがきっちりあるんですけど」

 そこで宣伝されていた製品は決して変なものではなかった。市販の普通の洗剤を使っていて手が荒れて困っていた彼女は、「騙されたと思って」このアムウェイの洗剤を使ってみて結構満足したという。ただ、そこに集まっていた人々のある雰囲気に、彼女は最初から「ついていけない」ものを感じたともいう。

 「なんていうのかなぁ、やったら明るいんですよね、で、「あなたがここにこうしているってことは、ここに来るための選択をした人だからだ」みたいなことを言って、それでまたみんなウンウンって元気にうなずいてんですよねぇ……」

 この稿はアムウェイそのものを問題にすることが目的ではない。ことはもっとデカく、そして厄介だ。そのような身近ななんでもない集まりが仕掛けられ、その集まりで醸し出されてゆくある共同性のありかたがあること、そして、その共同性のありかたも、ナマ身の人間があらゆる歴史と経済から自由ではあり得ないという程度には具体的な時代のありかたに規定されていること、さらに、そのような共同性のありかたが、具体的なものを具体的な他人に対して具体的に売るという行為と、主体との間に何か言いようのない遮蔽材を作っているらしいこと、ひとまずその三点を確認してもらっておけばいい。

 「そう、「宗教」みたいって言ったらいいのかな、そういうウソ臭い明るさ、それなんですよ」


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 申しわけないが、ぼくはおよそ「宗教」というものを信じていない。

 もう少し微分して言う。ぼくは「宗教」と名づけられる営みにおいて典型的に現われるある種の超越的なことばの効用というものを、この国に生きるぼくの現在にとって切実なものとはおよそ認めない。

 そのような超越的なことばでしか表現できないようなある現実の水準があるらしい、ということは、実感としてでなく論理として認める。これは、ことばというこのかなり暴力的な飛び道具さえも生きものとしての人間の全体性のかなり偏った次元しか取りおさえることができないらしい、という経験的に形成されてきたものの見方に基づいている。そう思わざるを得ないようなことばと現実の乖離がことさら当たり前となってゆくもみくちゃの時代に、ぼくたちは社会化していった。ことばの不自由、そしてそのことばによって構築される論理の不幸。その程度に人間えーかげんなもんだ、ということを、あらゆる機会にあらゆる手段で思い知らされてきた、そんな気がする。

 だが、だからと言って、そのような現実をいきなり超越的なことばに結びつけてゆくこと、これはまた別だ。そんなことばの限界に足をつけるのと全く同じ踏ん張りで、今、それだけは極力避けることを自分に言いきかせている。それは、カッコつけて言えば、ことばをなりわいのすべとしてこの国の現在を生きる立場にある者としての、なけなしの倫理だ。ことばの不自由とそのことばによって構築される論理の不幸から逃げずに、それを生の速度でまっすぐ受け止める構えを自分のものにすること。それが、いくつも「学校」をくぐり、たとえ何かの間違いにせよ「学者」を看板にし、ものを書いて世渡りしている自分の、このとりとめない同時代に対する責任だと思うのだ。

 アムウェイの「パーティ」の「ついていけない」雰囲気を説明しようとする時、先の彼女が「宗教」ということばを持ち出してきたことは偶然ではないだろう。反省的な契機をあらかじめ閉ざしたところで醸し出される共同性。もちろんそれは、人が見知らぬ集団に関与しようとする時に必ず現われる遭遇のある段階でもある。だが、その集団に帰属してゆくためのイニシエーションの過程に、「常識」を強制的に変形させてゆくような契機が含まれざるを得ない場合、その種の共同性のありかたを表現するものとして、おそらく「宗教」というようなことばが持ち出されてくる。

 徹底した唯物論者として知られる文化人類学者のマーヴィン・ハリス(Marvin Harris)は、チルドレン・オヴ・ゴッドやハーレ・クリシュナからムーニズムに至るまでのいわゆる「カルト」について、「これらのグループ全てが、1960年代から1970年代にかけての四、五年の間に目立つようになり、急速にその勢力を拡大し始めた」と概括した上で、「私に言わせれば誤った考えなのだが、これら新たな宗教意識がまず何よりも西欧の物質主義に対するリアクションなのだ、という考えは広く流布されている」と言っている。彼は、これら宗教に関する「第三の大いなる覚醒期」とも言える流行現象は、しかし一般に信じられているのとは逆に、「究極の意味や価値を求めてのものと言うより、アメリカの未解決の社会経済問題に対する解決を求めてのものと解釈した方がより妥当なものに思える」と主張し、かなりの皮肉を込めてこう語る。

 「アジアのスピリチュアリズムの瞑想的性格を浪漫主義的に謳歌することにより、西欧の観察者たちは、一握りの聖者たちや禁欲的な修業者たちとは違う普通の人々がアジアの宗教に何を期待しているかを、しばしば                    見落すことになった。大多数のヒンズー教信者たちが、メディテーションを通じて超越的な至福 (transcendental brlss) を達成することなどよりも、雨が降ること、子供の病気が治ること、飼っている牛が仔を宿すことのためにはるかによく祈るものだということを私は知った。」(“Why The Cults are Coming")

 カルトが反近代、反物質主義の根拠地などではなく、どこまでもアメリカの「現在」に根ざしたものだ、というここでのハリスの立場は明快、かつ健康的だ。どうかするとカルト商品そのものとして消費され、その現象にカウンターをあてることばもロクに内側から組織できなかったこの国の文化人類学民俗学や、あるいは宗教学やある種の社会学なども含めてもいいかも知れない、いずれ高度大衆消費社会に足もとをかっさらわれた「歴史と経済なき人間科学」の惨状を爆心地近くで眼の当たりにしてきた身にしてみれば、この素朴な「常識」には眼がさめるような思いがする。ちなみに、この行論において槍玉にあげられているのが、60年代サブカルチュアを脳天気にヨイショする典型的な西海岸派社会学者ロバート・ベラー(Robert Bellah)の見解であることは象徴的だ。敢えてこの国の状況に引き比べると、まぁ、見田宗介といった役回りだろうか。

 さらにハリスは、「重要なのは、神を探し求めることと富を得ることとは、不可避的に対立するものではないということだ」と続ける。「通常の手段では解決できないような不可抗力的問題について「最終的な解決」を与える」という意味で、それは共通している。

 金もうけかそれとも宗教か、という問いは、物質か精神か、という問いのように不毛だ。少なくとも、存分に大衆化され、しかも過度に消費志向であるような資本主義の網がかけられた社会において「宗教」ということばにくくられて表現されるような現われを論じようとする時には、だ。いずれも、世界の広がりをある限度を超えて手もとに引き寄せようとする仕掛けが介在することで現実のものになる結果という意味で、ある次元でそれはきわめて近しい営みになってくる。人が超越的なことばの快楽にハマった瞬間から、それは「宗教」の匂いをまつわらせ始めるし、また金もうけとも半ば自律的に連動してゆく。何らもとでなしに世界の広がりを手もとに引きつけようとすることばと、そのことばを上演してゆく技術は、どうやらそれ自体「宗教」をはらむらしいのだ。限度を超えたボロ儲け。ある臨界点を突破した過剰な富。「一発当てる」という言い方にこめられた意識の電圧の高さは、そんなあらゆる「超えてゆくもの」への想いに支えられている。そして、他ならぬ近代とは、それまでとは桁違いのそんなとっぱずれた超え方を可能にする現実を、それまで以上に広汎な人々に、まさに平等に準備してゆく時代だった。

 別にここ数年のことばかりではない。たとえば大正初年、第一次大戦の戦争景気に沸き返った頃、そんな「超えてゆくもの」への欲望がどのような方向に発動されたかについて、こんな記述がある。

 「大景気に浮かされた当時の日本は、云はば大きな精神病者収容所のやうなものであった。傍若無人をきはめた大小成金の跋扈と、度しがたいその濫費生活は、手厳しく非難されもしたが、寧ろ一世の羨望の的であった。悪く云ひ云ひ、真似がしたくて、小濫費を競争して、現世果報を一身に集めたやうな得意さであったのである。」

 「お召し一反百二十円百五十円を呼んだので、奥様方は着ばえがしたさうである。一疋五六十円の織賃は、パリ製のちゃちなリングを以ては機織女の指を飾らしめた。製糸工場も、紡績工場も、半化けのお嬢さんで充満した。職工達は到る所に百円札の威力を揮った。田舎の若者は若者で、活動小屋の不浄場でサイダーで手を洗ったと云ふ馬鹿もあり、負けずにビールを奮発した勇敢なライヴァルもあったそうだ。青豌豆で儲けた北海道のあるお百姓さんは、贅沢して見る見当がつかず、満足な活きてる歯を残らず抜いて金の総入歯を光らしてもっとも得意であったさうだ。ばかばかしいとけなしてはいけない。サイダーの若者や、総入歯の百姓と、手法は異なってゐても、てんでにケチな贅沢に夢中であったのが当時の社会相だ。」(福沢桃介『桃介夜話』)                  

 「全国八つの高等学校で一千人の生徒を募集するのに対して、一万一千余人の志願者がある。急設電話三千五百個の架設に対して、何万人と云ふ多数の申請がある。勧業債券は毎年二回、二千円の当たり籤が十六本つくと云ふので、猫も杓子も十円券一枚づつくらゐ、虎の子の様にして持っている。少数の特権、希有の僥倖に対する射利心が潮の如く全社会に漲っている。」(堺 利彦『地震国』)

 何も変わってないじゃないか、この国は!!

 通常の手段では実現できないとっぱずれた現実へと至る契機が、そこここに口を開け始めていた。「一世の羨望の的」や「現世果報を一身に集めたやうな得意」という表現は、「成金」ということばを流行らせた時代の空気を的確に現わしている。しかし、とは言うものの、当時、立ち現われ始めたその「超えてゆくもの」にとり憑かれた身体の表現は、今に比べて間違いなく官能的だったようだ。成金が正しく成金だった時代、そこでは教祖もまた正しく教祖だったに違いない。

 思い切り開き直って考えれば、ことばを与えるべき現実にもみくちゃにされる経験に宿るものが、教祖なのかそれとも破竹のごとき成金なのか、という違いは実は結構紙一重なのかもしれない。紙一重をつなぐ呪文が、「一発当てる」だ。一気呵成に何かことの解決を見出だそうとすること。そして、その快楽に半ば中毒してしまうこと。それがもみくちゃの変動期にもっとも苛まれた意識をとらえて離さない。整理のつかないものをえいっとばかりに整理してしまう魔法の呪文。誰もがそれを探し求め、群を抜くことに発情した視線を注ぐ。

 「株式界は暴騰に沸き、新規の事業が雨後の筍のように起こった。そして、ここでも目立ったことは、自由な「個人」の自覚であった。一介の若い商社員が小資本で汽船会社を起こし、忽ちにして「船成金」にのしあがる――こんな話は当時、珍しくなかった。名もなき「個人」にも、財界に乗り出すチャンスが訪れたのであった。素人が株式や商品の投機に手を出して、大儲けした。もともと、ささやかに実業に従事していた者が、一躍巨利をおさめるのは、なおさら、やさしいことであった。」(羽間乙彦『蛮勇の時代』)

 他の誰でもない、この自分がもうける、あるいは幸せになる、その新たな鮮烈さで削り出されてきた「個」の具体性の前には、どんなタテマエもまず色褪せる。群を抜くことへのこの切羽詰まった欲望は、その群れと個の弁証法がそれまで以上に発熱し始める状態を前提にしてむくむく肥大する。うねり始めた近代資本主義の現実の中でそのような「個」を表現してゆくことは、そのような下部構造に見合った速度と振幅を獲得し始めていた見る/見られる関係の暴風雨に積極的に身を投じ、なおその広がりを身ひとつに引き受けようとする緊張と葛藤を必然的に要求する。人前に立って演説をする時だけどもりが治った、という大杉栄にまつわるフォークロアを引き合いに出すまでもない。新たな難儀として意識され始めていたどもりや対人恐怖、赤面症といった病いが生理的な病いであると共に社会的な病いであることは、「個」をうまくとりおさえるマニフェストのことばと上演技術を身に宿すことがそのような緊張・葛藤状況の負荷を下げる効果があるらしいことからも推測できる。そこでどのようなマニフェストに投じ、どのような表現を獲得して自身を安定させてゆくか、言うまでもなくそれは自身の選択だけでなく著しく偶然的要素が介在してくることだが、ただ、その安定させてゆくための手続きの違いによって、人は教祖にも、成金にも、政治家にも、革命家にもなれるのかも知れない。

 人が敢えて集まり、何かことを起こそうとするモティベーションというのは、とりあえずあやしげなものだ。それは、ある方向に人を動かし、とりまとめてゆくことばを発動させてゆく技術が場に宿らないことにはあり得ない。そして、「宗教」にせよ、あるいはアムウェイに代表されるような種類のどこかとりとめない「ビジネス」にせよ、確かにそのような技術を持っている。

 例えば、その広がりの中に人を巻き込もうとする際、かならず、わたしはこのように病気が治った、このように幸せになった、といったモティーフの「個人的」体験談が語られ、あるいは書かれたものとしてばらまかれてゆく。

 それは、読者の側から言えば、自分とよく似た境遇の体験談を探し、自分の経験をそれに重ね合わせる作業を組織してゆく。大学受験の合格体験記が、志望校と偏差値と使った参考書といった要素のクロスしたところに自分を発見する読みを発動するように、これらの「体験談」もまた、文脈を十全に考慮した読みによる反省的契機を「個」に与えることが薄いという意味で、フォークロアに他ならない。

 一方、語る側は、たとえ定型化されフォークロアと化した語りの枠組みの中であれ、なんとか整理のついた編集された経験を語ることで、ある種の解放感、カタルシスを獲得する。経験とは、ただ即自的な体験ではない。たとえ、他人に向かって語ったり、文字に変形して流通させたりといった作業を介すことはなくても、自分自身の内側で、経験は不断にことばに変えられ、そしてそのことによってのみ人は自分が何を考えているか、どんな体験を介して世界と接触しているのかに気づくことができる。つまり、人は体験を編集する作業を行なうことによってのみ、体験を真に経験化してゆくことができるということだ。 体験談や身の上話の効用は、一般的に、このような雑駁をきわめるようになった近代的世界のもみくちゃの中のそれぞれの経験を編集してゆく上での材料を提供することにあった。柳田国男が「世間話」と呼んだのも、実はこのような体験談や身の上話を含み込んだ、ある世界認識のための材料を提供する語りだったはずだ。

 そのような「体験」を組織してゆく場は、必ずまず等身大の小さな集団によって形成される。ホームパーティーにせよ、宗教への勧誘の集いにせよ、あるいはそこらの何でもない井戸端会議にせよ、いずれそのような共同性を組織してゆく技術の宿るもっともミクロな場がこれだ。

 問題は、そのような場で語られ、上演されることばと、そのことばによって相互的につむぎ上げられてゆく共同性のありかたである。その上演技術さえ身につけてしまえば、人はどのようなものに対しても過剰な意味をまつわらせることができるようになる。占いの語り、あるいは教祖の託宣の語りと、テキ屋の語りとが基本的によく似たたたずまいを持っていることを思い起こして欲しい。あらゆる状況に応じて縦横無尽、自由自在の語りを繰り出し、過剰な意味の場を相互的に作ってゆく技術。それは、そのような意味の場の過剰さに応じた価値を何か確かなもののように立ち上がらせ、何であれひたすら「売る」ことが可能な「万物販売装置」と化すことでもある。その仕掛けが作動し始めたら最後、その場で取り出されるものが羽毛布団であれ、もっともらしい壷であれ、得体の知れない健康食品であれ、はたまたありがたい宗教書であれ、実は何だっていいのだ。「売れと言われれば河原の石でも売ってみせる」という一本どっこのセールスマンたちにありがちなタンカは、そんな語りの技術、過剰な意味の場を作り出してめくらますテクネーに対する誇りと信頼に裏打ちされている。

 それはそのような語りで組織されてゆく側にしても同様だ。そのような稼業のセールスマンたちは、羽毛布団を買った家は必ず健康食品も買うし、宝石だって買うよ、と言う。豊田商事にひっかかり、国利民福の会にひっかかり、NTT株にひっかかり、あまつさえバブルスターにまでひっかかるといった人が現実にいる可能性は充分にある。商行為というのは、どうも本質的にこのような、具体性を超えた過剰な意味の交換というところがあるらしい。そして、その過剰さに酔っ払い、自分の位置が確認できなくなった瞬間から、「超えてゆくもの」への欲望は魔物のようにそこここにとり憑き始め、ひとまず「宗教」としか言いようのないような、自らをとりまく世界の具体性を見失った意識が公然と、ゾンビのごとくかっ歩するようになる。


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 こうなると、ことは単に「宗教」と名指しされる集団だけの問題ではない。例えば、昨今、「ネットワーク」ということばに根深くまつわっているある雰囲気にも、このような具体性を超えた「宗教」めいた超越性は充分に漂っているとは言えないか。

 階層的な秩序によってしか維持できない近代の広がりがあり、あくまでもそれに対するカウンターとして発想されたものがネットワークだったはずだ。だが、それはいつしか無限大に水ぶくれしてゆき、ネットワークこそが階層的秩序にとってかわるものだ、というとんでもない妄想を生んでいる。反原発や自然食や、さまざまな「市民運動」の次元で馬鹿のひとつ覚えのように標榜される「ネットワーク」は、どこかで主体性なき無責任のシェルターにすりかわっている。それは、民主バカのネズミ講にすぎない。冗談ではない。ネズミ講で米が作れるだろうか。ネズミ講で自動車工場が運営できるだろうか。ネズミ講原発を直接にとめられるだろうか。ネズミ講天安門の軍隊に対抗できるだろうか。

 落ち着いて考えてみよう。どこの誰が最終的に責任を負っているのか、どこの誰が儲かっているのか、その広がりの中のどの位置からもそれが確実に見通せないからこそネズミ講は増殖できる。それは、民俗社会における講のあり方とよく似ているようでいて、しかし決定的な違いをはらんでいる。頼母子講にしても、あるいは信仰を軸にした伊勢講や富士講にしても、講を組み、ある約束事のもとに広がりを確保するメンバーは必ずお互いよく知っている、見通しのきく範囲に限られていた。暮らしの場の共同性に規定された、その意味では逃げようにも逃げられない窮屈な関係があって初めて講を組むことができたのだ。だからこそそれは、ある文脈においては相互的な社会保障のような役割を果たすこともできたし、また時に強靭な戦闘力を支える共同性も発揮したのだ。

 だが、そんな暮らしの場の共同性がほぼ腰砕けになり、何らお互いの生を確認し合う機会も場もないまま、電話一本、パソコン通信一発でそんな見通しのきく範囲、自ら責任を負える範囲を超えてだらしなく連なってゆくネズミ講(≒ネットワーク)の、まさに無限連鎖の無責任では、ことが具体性の方へ降りてゆかざるを得ない状況に直面した時、足場があいまいな分はや上がりの意思決定が折り重なり、「やるっきゃない」と必ず妙な方向になだれてゆくしかない。それぞれがそれぞれの場所でできることをする、という素朴な市民主義は、広がりの収斂するべき中心を喪失してその「それぞれ」の位置関係がわからなくなったこの国では、その初志から遠く、今や「そのままでいいのさ」という単なる横着を正当化するだけのネズミ講にまで成り下がっているのだ。それは、オカルトめいた超越的なことばを信心もないまま垂れ流し、都市伝説やら子供のうわさやらの向こうに「ネットワーク」という呪文でとらえられる何ものかを勝手に想定しては自分に関わりのない限りにおいて無責任にあおり立てる醜態にまでなだらかに連なってゆく。例えば、かつていとうせいこうが得意気に唱えた「自宅闘争」など、自分だけは絶対に安全であることを当て込み、そこに居汚なく開き直った主体性なきガキの無責任ないたずらにすぎない。闘争にそのようないたずらの効果を折り込むことは、もちろんあり得る。しかし、それはそのいたずらを戦術として働かせるだけの戦略と、理念と、何よりもそれらに責任を持とうと構える確かな主体あってのことだ。

 彼らは歴史と経済をナメている。歴史と経済の格子にがっちり支えられて初めてあるはずのこの文化という化け物をナメている。そのような縦横の脈絡にからまってしかあり得ないてめェの現在をナメている。そして、そのようにしか存在できない生きものというやつを、およそ根拠なくナメきっている。そんな無礼極まりない連中がにこやかに言いつのる「自然保護」や「エコロジー」って、「異界」や「前世」って、いったいなんなんだ。なのに、そこになお「ネットワーク」という呪文さえかかれば、それもまた何か近代の階層的秩序に対するカッコいい抵抗のように思えてくるらしい。タテ対ヨコ、男対女、「堅い」対「やわらかい」、といった丁半バクチのような二分法に依拠したもの言いが、そこでは好んで使われる。プロレスのように単純でわかりやすいからだ。だが、そのような相互補完的な二分法をも常にカッコにくくり、足もとに投げ返し続けるという反省的知性は、その呪文の場には永遠に宿らない。

 ネズミ講によってしか反映されない意志とことばの水準というのは、おそらくある。それを階層的秩序の側にある程度効率良くつなげてゆくための仕掛けが、たとえば民主主義だろう。だが繰り返して言うが、それはネズミ講がそのままで階層的秩序にとってかわるためのものではない。とってかわるのでなく乗り超える瞬間ならば、論理的にあり得るのだとは思う。しかしそれにしても、ネズミ講を支えるそれぞれに、おそらくもっと別の主体的意志が宿ることが条件になる。そして、それはまた別の仕掛けで問われねばならない大きな問いだ。



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 具体性を離れたこのネズミ講的とりとめなさの無責任は、しかし、その内側にいる者にとっては結構盛り上がれるものだったりする。

 たとえば、リクルート社にA職(新規クライアント開発を主な業務とした臨時雇いの営業実行部隊)として約半年余り働いた経験を持つ男性は、社内の独特の「明るさ」について、次のように語ってくれた。

 リクルート社は社内では誰もが横並び。社員同士が役職で呼びあうことはない。事業計画の基礎となる年度割りは当時一年が三期にわかれ(現在では四期)、その開始時の会議(「キックオフミーティング」と呼ぶ)には常に全員で参加。営業はこの期間内に達成すべきノルマをテリトリー内の潜在的市場ニーズからあらかじめ設定し、部署ごとにこのノルマに向かって動き始める。ノルマの妥当性については論議の余地はない。

 この間、毎週会議があり、ノルマ達成率を逐次公表する。これらは「情報の共有化」という言い方で正当化される。営業活動の最前線にいるA職に関しては全国レヴェルの営業成績が日報で発表され、全国で上位にランクされたりすると毎日の朝礼で部署全員の拍手でたたえられる。そして、各期ごとの成績はその期が終了すると全て御破算になる。A職の達成した成績はそのA職を使っている正社員の成績としてカウントされ、A職たちは次の期にはまたゼロから同じスタートラインに立つことになる。

 「とにかくね、いつも青春ノリなんだよ。学校っぽい共同性の中でみんなガンバローって感じ」

 リクルート社に行ったことはないが、さぞその通りだろうと思う。これは「学校」的民主主義のイデオロギーを企業組織の中で徹底的に純化したものに他ならない。男女も平等、上下のヒエラルキーも、職制の差もない。労使関係などということばは全く辞書にないだろう。そして人間理解はきわめてフラットで機能主義的明快さに貫かれているという恐るべきイデオロギー。もしもこんな組織で具体的な「もの」を作ろうというのなら、それはムチャクチャだ。だが、幸か不幸か、リクルート社は「もの」の具体性からきわめて遠い「情報」を扱う企業だった。

 「リクルートは生涯産業だ、ゆりかごから墓場までを情報商品にする、ってやってるわけ。出版やってるセクションのヤツらなんて、ウチはどこよりもデカい出版社だ、って言ってんだよ。こいつらマジかよ、って思わず顔見ちゃったよ」

 もちろん、組織の側は自覚的にその「民主主義的な性格」をプラスのものとして称揚する。しかも、時間の軸は数ヵ月の三期ないしは四期制。その中で、社員たちは設定された目標に対して、まるでスポーツかゲームのような感覚で駆り立てられ続ける。偏差値めいた序列を刻々と作り出してくれる装置もきっちり準備されているし、社内研修の連続で日々細かく管理されているから「自主的に」働く。第一、毎日がそんな具合だから考えてるヒマはない。

 そんな上滑りの感覚を減衰させないためのさまざまな仕掛けも設定されている。毎週のように部署ごとスキーに行ったりするし、宴会の名のもとの馬鹿騒ぎも異常に多いという。リクルート社が忘年会などをやったホテルはその後ペンペン草も生えない、とまで言われるほどの騒ぎようらしい。こりゃ学生のコンパだ。つまり、会社の中がそのまままるごと文化祭か運動会、サークルのノリなのだ。

 「そうね、体育会がキラいなヤツら向けの会社だよね。なんか今思い出してもひっきりなしにのユーミンの曲がかかってるような、そんな印象があるね」

 毎日が文化祭、ないしは運動会、というのは、なるほど「学校」にならされきった意識にとってはかなりワクワクする夢かも知れない。だが、そのワクワクに同調できない人間は「ノリ悪いなー」と排除されることになる。同調を強いる過程は社内研修。「トレーナー」と称する講師がいて、部下が採点した自分への評価と、自分自身が採点した自分への評価とのズレが徹底的についてショックを与えてゆく。「他人に影響を与えることがマネジメントであり、目的なんだ」と繰り返され、少しでもシニカルな態度が見えると「我々は他人と関わりにきたんだから、自分のことばかり考えちゃダメだ」「あなたクールじゃないですか、他人のことばに耳を貸さなきゃダメだ」と突っ込まれる。とにかく自分から自己同一化させてゆくように仕向けるのだ。明らかにグループダイナミックスの手法を応用したものだ。

 彼は就職した最初から、「こんなこと長く続けられっかよ」と思ったという。そうだろう。それがまっとうな感覚だと思う。

 そう言えば、リクルートの関連企業や事業のいくつかには、「コスモス」やら「エターナルフォーチュン」やら、なにやらカルトめいた名前がつけられている。そこでの商品とは身の大きさで扱えるような具体的なものでもなく、といってその商品価値自体、リクルート社が実効性を超えて独占的にでっちあげた「情報」である以上、このようなどこまでも超越的なことばがたやすく無限連鎖できるのも別に不思議ではない。就職を控えた学生たちに山と送られてくるそれら就職情報の量は、すでに彼らがていねいに読みほどける限度を超えている。誰もまともに読めないし、読まない「情報」にニセの実効性を与え、さらに「情報」の価格をつりあげる、というやり口は、その実効性に対する批判力を宿す場がないことには無敵だ。マーケティングリサーチによって引き上げられてくるデータが消費の動向を確実に予測する資料になりにくくなって以降、広告代理店系の仕事の現場の先端にいる連中が「超越的なことば」に淫していったこと、そしてそのようなことばの実効性についてクライアントたる企業の側からの批判力がなくなっていったことと、それはよく似ている。具体的な仕事の内容については何ひとつ語らない、どこか妙につるりとした求人広告(「おもしろあたま」だの、「ピテたまトロプス」だの)を打ち始めたものの、その実効性については当の人事課の企業人でさえ「これでいいのか」と首をひねり、しかしそれでも一定の学生は集まってくるという無限連鎖の悲喜劇は、冒頭、アムウェイの機関誌に漂うどこか過剰な明るさ、健康さに布施博を重ね合わせた直感にとって、千年王国のような終わりのないものに思える。


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 今、この国は、おそらく人類史上初めての千年王国、「ミロクの世」を謳歌しているのかも知れない。

 誰もが生れながらにして平等で、鍛練すべき目標も守るべき倫理もなく、ガキのわがままがいつまでもそのままにまかり通り、それでいて何をやっても食べてゆけて、しかも世界一の平均寿命を誇って人はなかなか死ななくてもすむ。人類が「しあわせ」ということばに込めてきた具体的な要素のかなりの部分は、ひとまず現象としてはすでに実現している。生がギリギリの営みの中でなんとか支えられることが当たり前だった時期から遠く、あらゆるリスクを排除した真綿の上の生がはてしなく連なる。「宗教」を支える三代要素と言われた「貧」も「病」も「争」も、とりあえず生に関わる切実さを喪失してしまった。中心も周縁も、内部も外部も、光も闇も、とりあえず均質になめされ尽くし、人は自分の足場を計測する基準を見失い、どうやら自らがどうしようもなく生きものであることすら忘れてしまった。

 それでも、人は具体的にものを食らい、排泄し、呼吸し、細胞の次元で無数の生と死を繰り返しながら、個体としての死へと向かう。肉を食べるためには誰かがどこかで牛や豚を叩き殺さねばならないし、死なないですむシステムのためには、誰かがどこかの救急医療や発電施設の現場で働き続けねばならない。どんなに横着な生であれ、その生を支える現場は厳然としてある。だから、具体的な外部も存在する。だが、それは人々の視線の全く外、五感の向こうへと押しやられ、生との距離を意識しおののくための媒介として立ち現われることはない。具体的でまるごとの外部をちらりとでも予感した瞬間、即座に身体の感度を鈍くする遅延装置が埋め込まれているかのように。

 このような状況の下、あらかじめコーティングされ、毒気を抜かれ、きれいさっぱり漂白された「外部」を生産する構造的な装置としてのみ「宗教」は作動する。能動的に主体を主張する教祖はうとまれ、空虚な中心である教祖(≒アイドル)だけがおもちゃとしてみんなに遊んでもらえる対象となる。人畜無害な「外部」。決してこの大衆化した横着に破綻をもたらすような力を持たない「異界」。だから、「超越的なもの」に対する「信じる/信じない」というパラダイムはこの主体なき世界では無効だ。繰り返すが、具体的な「外部」は間違いなくある。が、それを意識するすべをことごとく衰弱させられた「ミロクの世」の今、状況としてもはやそれはないのも同じだ。それでもなお、この「ミロクの世」の内側から新たなパラダイムが生まれる、と脳天気に言えるだろうか。「しあわせ」の実態が実感できないほどに、それでも「望みは?」はと聞かれて「しあわせ」としか答えられない不条理劇のような居心地の悪さに、新たな志を従えたことばを組織できるだろうか。

 言わねばならない、組織できねばならない、という思いはある。もてあますほどに、だ。そして、おそらくそう言っておくのはとてもたやすいことだ。いわく「子供たちには未来がある」、いわく「若者はそんなにバカではない」……誰もがそこで安心し、判断停止をする。しかし、今、そのようなもの言いをにこやかにふりまく人々が、そのことばを本当に自分自身の足もとに引き受けるという確信をもって言っているとは、ぼくには到底思えない。

 かつて、分際を知る、といういいことばがあった。だが、誰もが分際を見失い自分の足場が見えなくなったこの戦後民主主義のもみくちゃの中、どのような目的にせよ、人がなお横並びに手をつなごうとする時、大なり小なりこのようなネズミ講の不幸にハマらざるを得ないらしい。いわゆる宗教はもちろん、さまざまな市民運動の集まり、バンドや劇団といった表現のための小集団から、もしかしたら親子、夫婦の関係に至るまで、この国の人間たちが肩寄せ合った場には、今、軒並みこんな「宗教」めいた「超越的なことば」のが充満している。

*1:掲載誌はもちろん『別冊宝島』「いまどきの神サマ」の巻末掲載原稿。