役に立つこと、への信心

宮本常一の書き残したものを読んでゆく。どんな目算があったのかもよくわからないような、ただ誠実で微細なことばの織りなす流れにひとまず身を任せる。しばらくすれば、よく練られた昔話を淡々と聴かされるような心地良さが訪れる。ごくあたりまえの意識形成をしてきたこの国の住人はもちろん、いわゆる“民俗学”のまわりにたなびく匂いと雰囲気とに誘惑されるような資質を持ち合わせた意識ならばなおのこと、そのまどろみにも似た感覚はこの上ない魅力になる。

だが、そのような幸せな時間を充分にくぐる経験と同時に、腹八分目の手前あたりで軽くもたれてくる感覚も、また必ずある。無視してしまえばできないこともない程度のものであっても、よく確かめればそれはきっとある。

なんなんだろう、と思う。味つけが脂っこいわけでもないし、いやな風味をもたらす化学調味料とも縁はない。素材の良さは言うまでもない。なのに、ああうまかった、と皿までなめまわすような満腹感を与えてくれることは、よくよく思い返してみれば案外少なかったりする。

単に僕の個人的感覚の問題かも知れない。それに、別にそのような満腹感ばかりが文字読む愉快でもないことももちろんだ。だが、それらの事情をさまざまに斟酌するにせよ、ある拭い難い舌ざわりが彼の文章に染みついてしまっていることについて、僕はやはり棚に上げてなかったことにしてしまえない。

その印象は、離島にまつわるテキストについて特に強い。点々と散らばるこの列島の島々それぞれについての具体的事情をひとつひとつ書き記してゆくというこのスタイルは、確かに、それまで十全に捕捉されることのなかった現実にある視点から一点透視の網をかけ、なおかつある一定の概観を与えることに有効だったろう。しかし、それらの作業を支え、推進させていった宮本常一というひとりの人間の抱えた欲望というか、情熱というか、何かそういう肝心な動力の部分が、少なくともここしばらく、僕は気にかかっている。

その気にかかる部分を静かにほぐしてみると、ひとつ、その場に棲む現地の人たちの「役に立つ」ということをあそこまで前向きに信じることのできた根拠ってなんだったんだろう、という違和感と疑問とが舌の先にいつもひっかかっていることがわかる。それは、違う角度から言えば、「観光」というもの言いで引き出される現実に、彼があれだけ素朴に期待したことへのある種のやりきれなさにもつながってゆく。

たとえば、「経世済民」という言葉に象徴されてきたような、ある種の実践への欲求の強さ。あるいはまた、もっと素朴に、「何か地元の人に役に立つようなことをしなければならない」という自己規制ないしは倫理感。そんなものが生身の宮本常一の中でどのような配置とどのような仕掛けとで宿っていて、そしてそれらがどのような局面でどのように作動していたのか。そんなことが、すでにある種の神話作用の磁場に捕捉されてしまったきらいのある宮本常一についての未だほぐされぬひとつの切実な問いとして、僕の中にぐっと立ち上がってくるのだ。


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僕は島を歩く人間ではない。歩いた、と言えるものがこれまでにあるとしたら、競馬場の厩舎や牧場や、そんな馬のいる場所だ。もちろん、今やこの国に馬はいても、そのほとんどは競走馬としての軽種馬である。ということは、馬のいる場所というのは半ば必然的に競馬と競馬にまつわる仕事の場、ということになる。

現在、この国の競馬は中央競馬と公営競馬のダブルスタンダードである。共に同じ競馬法に規定されてはいるが、主催者が違ってくる。騎手や調教師の免許についてもそれぞれ別のもの。同じ仕事をしていながら、その保証される身分の違いは外国同士と言ってもいい。そして、何よりもその資本規模の差はケタ違いだ。

とりわけ公営競馬の現場は、どこも問題だらけだ。農水省監督下の特殊法人日本中央競馬会(JRA)主催の中央競馬は、すでに年間売り上げが三兆円にもなる一大レジャー産業になった。それに対して公営競馬の方は、一時の低迷状態を脱したとは言え、中央競馬との賞金格差はもはや決定的で、しかも、水準が違うと言われながらオグリキャップに代表されるように公営出身の馬が中央競馬でも結構走るとなると、わざわざ高い預託料を出してまで公営競馬で馬を持とうという馬主も少なくなる。主催者にしても、番組を組む上で目玉となる花形がいなくなるのは痛いし、何よりも、免許制度の下で施設を貸与している厩舎経営の苦境は、そのままその地区の競馬の衰退につながる。

少し落ち着いて歩いてみれば、そんな微細な「現場」の事情は誰にでも見えてくる。 “貧しさ”が存在する。もちろん、明日の米にも困るという貧しさではない。ないが、しかし、部屋の中にディスカウントショップで売られているような“もの”が増えてゆく貧しさというのも、今のこの国には当たり前にある。そんな“貧しさ”が、この国で競馬を仕事として生きてゆく人たちの場所に、たいてい色濃くよどんでいる。

それは、競馬場だけではなく、たとえば競走馬生産を大切な地場産業としている地域にも通じる。確かに産業ではある。けれども、正面きって語られるような生業という感じでもない。といって、他に仕事がない。高校を出た若い衆が町へ出て、そこでもやってゆけなくて戻ってきてブラブラしている光景は、北海道の日高地方では珍しくもない。

日高はもともと畜産もやってはいた。けれども、大規模集約経営をするには土地が狭いため有望な畜産家は次第に十勝に移ってゆき、地場産業としての畜産は衰退した。そこに、高度経済成長期、急激に市場を広げ始めた軽種馬生産がとってかわる。

もともと競走馬の生産をやっている農家はいた。主に戦前からの馬産家たちだ。しかし、それはごく限られた数だったし、手のかかるデリケートな生きものであるサラブレッドを生産し、育成する技術はそれなりの経験の中にしか蓄積されてはいなかった。それ以外に、軍馬生産の経験を持つ農家はいたけれども、軍馬としては皮膚の厚い頑健な馬を作る十勝の方が生産地として優れていて、雪の少ない日高は軍馬生産地としては一枚落ちるとされていた。

それが、皮膚の薄いことを尊ぶ競走馬としては好適な条件になった。戦後、高度経済成長と共に膨脹してゆく中央競馬のマーケットに対応して、競走馬の生産は少しずつ地場産業になってゆく。七〇年代になると、米の減反政策で稲作からの転業組も増えた。さて今年は米作るか馬作るか、というレヴェルでの零細馬産農家たちだ。そして、そんな彼らが数としてはこの国の競走馬生産のかなりの部分を占める。経営規模も技術の蓄積も資本も、それなりに筋の通った大牧場と、一発勝負のそんな牧場とが、共に競馬という現実の末端で生きている。

彼らは地元では「馬屋さん」などと呼ばれる。漁師以上に金づかいが荒い。だが、どこも内情は火の車だ。農協も競走馬の牧場には焦げつきをおそれて事業資金の貸し付けをしぶる。まして、昨今の競走馬輸入自由化の気配は、この先、その場所で生きてゆくための未来を選ぶその選択肢さえも、彼らの眼の前から遠ざけてゆく。

「どしたらいいんかねぇ」

そんな嘆息を聞く。僕などに尋ねたところで、別にどうなるものでもないことは百も承知だろうし、その程度には挨拶代わりのもの言いでもある。そんな嘆息を前に、いちいち「この人たちに何がしてあげられるだろう」などと真正面から悩めるほど脳天気でもないし、また、そんな脳天気さなどそのままではもう何の役に立たない。それは彼らの問題であり、僕は彼らではない。ないが、しかしそれでも、その嘆息に出食わした時の、じりじりと夏の陽差しにあぶられるような焦躁の感覚だけは、身の内にある火照りを残してゆく。

そんなささやかな経験と照らし合わせてみると、やはり宮本常一は驚きなのだ。それは、なんとあっけらかんと「こうしたらどうか」という方策を彼らに提示できるのだろう、という驚きである。何か勘違いかも知れないような、そんな思い込みと幻想とが作用しないことにはそんな身ぶりはまず絶対にあり得ない、そのことはわかる。ならば、そういう種類の思い込みが、たとえ方便としてでもいい、今、この国の「現在」に一体どのように宿るというのだろうか。


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今回、離島振興法の継続にまつわってその法規に「地域文化の保存および活用」というもの言いがつけ加えられたことを知った時、ああ同じだよなぁ、とため息が出た。競馬についても昨年、競馬法の改正が行なわれた時に、まさに同じような文言を持つ一項がつけ加えられていた。「地域文化の保存および活用」――だが、官僚制度の視線が「保存」を言い出した時は、もうその「文化」はまるごとの「現在」から引きはがされて剥製になってしまっていい、と判断された時だ。少なくとも、かつての宮本常一があれだけ子供のように信じ、何か輝かしい未来を託しさえした「観光」のなれの果ては、今やこんなものだ。

微細な問題、具体的な難儀、眼の高さの想い、そんなものを膨大に見、呼吸し、つぶさに書きとめ続けることと、それらを一度になんとかできるかも知れないという「力」の場に関わることとは、本来ひとりの人間の意識のバランスシートの範疇には納まりにくい深刻な葛藤、分裂症ギリギリの振幅をもたらす。そして、そのような困難を承知してなお、その双方をひとりの生身につなぎとめようとすることは、民俗学的知性にとっておそらく、最高の夢だ。

しかし、それらをつなぐ夢を見ながら「役に立つ」ということをあれほど純朴に、一心に信じることのできる民俗学的知性というのは、おそらく宮本常一が最後だろう、と僕は思う。いや、もっと言えば、最後にしなければならない、とさえ思う。

別に民俗学に限ったことではない。今のこの国に生きる知性一般にとって、これは普遍的命題だと思う。この先、そのなけなしの知性が漉し出してくる現実について、「役に立つ」ということをどのように設定してゆけるのか。何がどのように「役に立つ」のか。今や知性とは別のところで自転し始めているかに見える政策的リアリズムとでも言うような部分とどのように折り合いをつけてゆくのか。そしてそのための構えと条件とは何か。それは他でもない、この生身のおのれにとって可能なことで、そうすることを引き受けられるだけの自分であるかどうか。

宮本常一が、そしてかつての民俗学が、少年の明朗と無邪気と傲慢とで体現していたような意味での「経世済民」の志。その今日的再生は、そこに至る手前に厖大な問いを雨ざらしにしている。