いま、やるべきこととは

競馬場から馬がどんどん減っています。このままゆくと、夏場に番組を組めなくなる競馬場が出てくる可能性もあります。二走づかいは多くの競馬場ですでに導入されていて、その分消耗率も上がっている。去年の高知みたいに、三頭だての競馬までやってみせる度胸がある主催者ならまだしも、多くの競馬場は未だに番組担当が一番保守的というかアタマが堅いのが通例ですから、在厩頭数をにらみながら頭を抱えるばかり、というのが現状のようです。

JRAとて人ごとじゃない。馬房があき始めているのは、もう先刻ご承知のはず。とにかく預託料が高すぎて個人の馬主が手を引き始めているわけですし、と言って、今の内厩前提の厩舎制度では調教師の経営努力にも手かせ足かせがかかる。前々から言われていることですが、ここは内厩制度自体を、いよいよ本格的に見直す時期に来ているように思います。

地方競馬の場合は言わずもがな、預託料や出走手当云々以前に、今の賞金水準では馬主経済などとても成り立つわけもない。いくらやる気のある調教師でも、おいそれと「社長、ひとつ馬買ってください」とは言えない状況です。新馬を入れてもらうためのほぼ唯一の材料が認定競走なわけですが、その認定競走すら、JRAの生産対策の一環という縛りがかかって個々の競馬場では動きがとれない。一部では、馬主会が口をきいて認定競走枠の調整を、といったおかしな動きもあるようですが、こんなものはそもそも本末転倒、JRAが黙認しているのだとしたら逆に痛くもない腹を探られるのが関の山。仮にも馬主会というのなら、そんな口利き沙汰の越権行為に奔走する暇があったらまず率先垂範、自分たちで一頭でも馬を入れようとするのが本当のはず。まして、未だにまず補助金だ何だとゲタをはかせてもらいたがる性癖はさらに論外。生産者も厩舎も馬主も、とにかく自前で何とかしようとする、という気概がまずないところに、どんな未来もありません。

賞金-出走手当-預託料、の三角形のバランスが崩れ始めると、その競馬場は黄信号です。特に、賞金はともかく、この出走手当の部分が見えにくい分、厄介です。馬主に安定して馬を持ってもらうために出走手当を厚くするのは一理ありますが、しかしこれには、ただレースを使うだけが目的化して競馬自体が沈滞するという弊害がある。理想を言えば、一着賞金を分厚くして、馬主への手当など極力薄くする(海外の競馬の多くはこういう流儀のようですが)のが本来でしょうが、さて、今の苦しい状況でそのような判断をできる競馬場がどれだけあるか。

はっきり言って、どの競馬場も、売り上げを急に伸ばすための特効薬は、今の状況ではまずありません。ネットでの馬券販売にしても、まだようやく端緒についた段階で、今後さまざまな環境整備がされて初めてうまく稼働するようなものです。何より、ソフトバンク楽天の競合状態は、ファン自体何をどう買えばいいのかよくわからない混乱状況。ネットが売り上げ回復の特効薬になる、という幻想は、今の待ったなしの危機的状況ではひとまず脇に置いておくべきです

在厩馬が足りないのならば、年齢や獲得賞金などさまざまに設定されている入厩馬の制限を取っ払い、場合によってはもうアラブでも何でもあり、とにかく競馬を運営してゆく上での最も前提となる競走馬資源の確保を、まず待ったなしで考えるべきです。地元の馬主会などは、そんな賞金持ちの強い馬が来たらウチの馬が勝てなくなる、といった発想をしがちのようですが、そんな我田引水根性は今や百害あって一益なし。たとえディープインパクトだろうがカネヒキリだろうが、来てくれるものならどんな馬でもよし、仮にぶっちぎって勝ち続けてくれるようならそれでまた評判になって競馬場が盛り上がるのだから、という発想の転換が求められます。

あとはとにかく、全力で場外販売施設の拡充をはかる。もちろんこれまでのようなWINS型のハコもの場外ではなく、簡単なミニ場外です。それこそ、銀行のATMのような発売機を数台置くだけでもいい。すでに前例のある民営化場外ももちろんありです。将来的にたとえ最悪の選択(廃止など)をしなければならなくなったとしても、それら場外の展開をしておくことが主催者にとって大きな救いになってくれるはずです。

何度でも言います。地全協が、あるいは農水省が、そういう「上の方が」何とかしてくれる、という発想自体を捨てましょう。彼らはもう何もできない。役人は役人のスケジュールで粛々と目先の案件を「処理」してゆくだけで、個々のせっぱ詰まった現場の事情などいくらでも見ぬふりができる。それが「優秀な役人」というものです。だから、本当に競馬をどうにかしようと思うのならば、手近な競馬場同士、主催者も現場もまず共にテーブルについて具体的な連携を模索すること。タテ割り行政もヘチマもない。今は何よりも、競馬をやってゆく上での技術的基盤や人的資源の有効活用を第一に考える時です。腰を上げて舵を切る、そのための時間ももう、あまり残されていません。