バッカじゃねェの、中島みゆき

 文春の女性誌『クレア』で、中島みゆきロングインタヴューという企画があった。インタヴュアーをやってくれないか、と言われて乗った。

 で、結論から先に言う。トラブった。

 野外でのグラビア撮影が六時間あまり、その後インタヴューが三時間、都合十時間ほどつきあった。多忙な中それだけ時間を割いてくれたというのは、あちらさんも気合いが入っていたのだろうが、たいがいいろんな人の話を聞く仕事をしてきたつもりだけれど、ああいうシンの疲れ方はちょっと経験がなかった。しかし、モメたのはその場でじゃない。

 二日後、もう一度時間をとるからインタヴューをやり直して欲しい、と言ってきた。ああ、あれじゃまだしゃべり足りないところがあったのかもね、先方からわざわざそう言ってくるのは異例なこと、疲れ果てはしてたけど乗らない理由はない、と編集部経由で改めて連絡したところ、要するに聞き手があの男じゃ気に入らない、変えろ、という話だった。

 あっけに取られた。取られたけれども、あちらさんがそう言うのだから仕方ない。そこは雑誌も商売、商品として中島みゆきは欲しいから、そこまであちらさんが大月を気に入らないということがはっきりしちまった以上、大月をおろして別のインタヴュアーをたてることで恭順の意を表し、かなりヘソ曲げたらしいみゆきの姫サマになんとかもう一度お出まし願いませんか、という形での事後処理になった。アマテラスかよ、ったく。

 『クレア』編集部のこの対応についてとやかく言うつもりはない。あちらさんと小生ごときじゃ商品価値がまるで違うし、何よりこれはあちらさんが主の企画なのだからして。たとえは悪いが、こっちはチェンジ可能なフーゾク店のおねえちゃんみたいなもの。あの女は愛想が悪くて気に入らないから別のコ出さんかい、と客に言われりゃそれまでだ。

 ただし、だ。チェンジされたおねえちゃんにも、バッカじゃねぇのあの客、と言う権利はあるぜ。だから思いっきり言う。バッカじゃねぇの、あの中島みゆきって。

 インタヴュー前にレジュメをよこせ、というから送った。個々の歌詞の意味だの何だのはもう尋ねられたくない、とのことだったから、それはこちらも望むところ、これまで何冊も出ているものの、信者の眼したズブズブのオマージュか、さもなければ団塊オヤジの勘違いしかない“みゆき本”のスカにはいいかげんうんざりしていたから、表現者としてどうして今あるような“中島みゆき”になっていったのか、その経緯を生活史を含めて知りたい、てな意味のものをあらかじめ示して、了解をとっていた。

 もちろんこっちも商売、含むところはあった。毎年暮れに東京・渋谷のシアターコクーンで彼女がやらかす、あれはコンサートというのかひとり芝居というのか、「夜会」というイベントがある。その資料ビデオをずっと見ていて、なんだこりゃ、と思ったからだ。ナンシー関の卓抜なもの言いを借りれば「信仰の現場」であることがあからさまな自閉がそこにあった。「夜会」についてはこれまで翼賛評しか出ていなかったし、何より生身のインタヴューをあまり受けない御仁だから、昨今の中島みゆきがこういう教祖状態、北朝鮮自閉症に陥っていることは、あまり世間にバレてないはず。もしもこの症状がマジならば、そのようになっていった経緯についても何か手掛かりが得られれば、と思っていた。

 だが、対面した三時間、眼の前にいたのは、あたしは自分の気に入るような理解のされ方以外絶対に認めないもんね、と頑なになったまま歳を食い、そのままおそらく自分とまわりとの関係についての感覚まで狂わせてしまった自意識の化けものだった。質問には答えるけれども、すでに自己物語化したリアリティの範囲でしか対応しない。肝心なところはあのDJノリのキレた馬鹿笑いではぐらかす。あげく底意地悪い捨てぜりふまで吐かれる始末。あれはまさに七〇年代サブカルチュアのフリーズドライ状態。あーあ、去年トラブった本多勝一の時もそうだったけど、こういう北朝鮮状態って世の中、いくらでもあるんだなぁ。もちろんこっちの貫禄不足もあるけどさ。そこまで自意識の肥大と増殖を野放しにしておいて、その中でぬくぬく“姫サマ“のままでいちゃ、そりゃ人間おかしくもなるわな。それでも、ゲラになる前に手立てを講じてきただけ本多勝一よりはマシ、ってか。


取材メモにこんな断片があった。以下、記録&参考までに。


どう考えても、あの自意識の表出のあり方は違和感あるものだった。好き嫌い、というレベルではない。ナンシー関のもの言いを借りれば「信仰の現場」であることがあからさまなような、閉じた表現なのだ。

 で、当然そのようになっていったのかどうか、その経緯について手掛かりが得られれば、そこから先、そのような表現者として屹立している彼女についても何かそういうインタヴューにあきちまってる、ということがあるのかも知れないが、それにしても、話のしようってのもあるだろうがよ。そこまで自意識の肥大と増殖とを野放しにしておいて、その中でぬくぬくと居すわったままいるんじゃ、そりゃ人間おかしくもなるわな。少なくとも、こっちから見りゃとんでもないぜ。非常識である芸能人、というもの言いがどのように成立してきたのか、そしてまたそのようなもの言いを可能にするくらいにメディアの側が情報を流す装置を整備していったのか、などを含めて、うっかりと野放しの自意識をサイバーパンク丸出しに肥大させ手いっちまった人々、の社会史が描けるのでは、などと夢想してしまう。原稿になる前に手立てを講じてきただけ、本多勝一よりゃマシかも知れないのだが。

  

 人見知りをする人間ではある。とりわけ、芸能人に代表的なような自己イメージを制御することで世渡りする人たちに話を聞く時は、まずこっちの自意識をどう制御するかにあらかじめ腐心する。誰だったそうだろうと思う。で、それでも仕事でつきあうのだから、何とかいいものにしようとは思う。

 「わたし、ワープロの文字って嫌いなのよね。わたしにぴったり合う活字がないから。それなら、どんなに下手でも自分で書いた方がいいかな、って思うわけ」

 捨て台詞だぜ。なんかさぁ、式神にいきなり襲いかかられたようないやーな感じだった。ま、先方も似たようなものだったのかも知れないけどさ。

 で、インタヴュー記事自体は来月号の『クレア』に載るはずであります。こちとら仕事をしくじっちまった身だから、実際どんなまとめ方をするのかは、申し訳ない、僕の尻拭いをすることになった見知らぬライターにお任せするしかないのだけれども、掲載されるのはそういう顛末があった後の記事だってことは、ちょっとこの場をお借りして表明しておきたい。