夕刊紙の古色蒼然

 タブロイド版の夕刊紙というのは、つい習慣で買ってしまうものだ。たいていは駅売りのキヨスクかコンビニあたり。宅配もやっているらしいが、わざわざ自宅に配達してもらっているという人の話は寡聞にして知らない。メディアとしてはあくまでも家の外で斜めに読み飛ばすもので、家族団欒の場には置かれない。しかも、流通範囲は通勤人口の集中している大都市圏にほぼ限られるはず。縮刷版が整っているわけでもない、その意味ではスポーツ紙などとよく似た垂れ流しのメディアなのだが、しかしその割には“社会の木鐸”気分を濃厚に持っていて居丈高なうっとうしさもある。思えばかなり奇妙なメディアだ。

 首都圏では『日刊ゲンダイ』と『夕刊フジ』が読者を分けあっていて完璧な独占状態。これまでここに果敢に参入しようと創刊された新参者は、女性読者を狙った『レディスコング』にしても、コミックを交えて新味を出そうとした『日刊アスカ』にしても、とにかく鎧袖一触、あっという間にはじき飛ばされて姿を消している。それくらい、この夕刊紙市場はすでに強固な安定性を持ってしまっているものらしい。

 とは言え、メディアの構造的な世論誘導が言われ、テレビのニュースショウや週刊誌ジャーナリズムの突出が問われることの多い昨今なのに、これら夕刊紙がその俎上に登ることはあまりない。『日刊ゲンダイ』の政治面など、未だ古色蒼然たるアンチ自民党の「進歩的左翼」言説のまま。最近の社会党に対しても「批判政党としての存在意義がなくなった」と紋切り型に非難するばかりで、有権者の多くがその“変節”を支持していることも、発展的解党も含めた積極的な可能性についてもまるで目配りなし。「識者」と称するインテリたちのコメントには、今どき博物館入りした方がよさそうなアナクロいものが平気で混じる有様。本腰入れたこれら夕刊紙の“研究”がそろそろ必要な時期だろう。(翼)