捜査現場と陰謀史観

 『週刊プレイボーイ』十月三日号に「現役・公安幹部の告白」という記事が載った。オウム真理教関係の事件捜査に携わる公安幹部の「独走スクープ」と銘打った派手なもので、八月十五日号に続いてこれが二回目だ。

 今回は坂本弁護士事件について。オウムの単独犯ではなく、背後に「オウムとは別の何か」の関与があるかも知れない、ということをほのめかしている。そして、「大本営発表にばかり頼り、そのウラを取ろうとしない」メディアの姿勢を批判し、「報道とは事実をひとつひとつ積み重ねて書くことではないのですか?」とお説教すらする。こんな「重大な服務違反にあたる」と自らも認めているような「告白」を平然としてしまうような人物が本当に現役の公安幹部なのかどうか謎だが、仮りにそうだとしても、その立場でなお、メディアに対してこのようにお説教を垂れる、その姿勢に深い嫌悪を感じる。

 第一、このような「告白」もまた、メディアに対する信頼をぐらつかせるための「リーク」でないという保証がどこにあるのだろう。公安警察の閉鎖性はすでに言われ尽くしているが、その理由もある程度までは理解できる。だったらばなおのこと、公安はジャーナリズムとその背後の国民に対してもっとその信頼を獲得するようなつきあい方をするのが本当ではないのか。一億総オウムウォッチャーと化した現状にいたずらに拍車をかけるような新たな謎解きのタネを仕掛け、おのが立場を忘れてお説教まで垂れる姿勢を見ると、捜査現場までが陰謀史観の中に巻き込まれつつあるのかも知れない、という危惧さえ抱く。 この先、公判の過程で「オウムとは別の何か」の関与が明らかにされたとしても、それを事前に明らかにできなかった責任は、メディアの側だけでなく、メディアを介して国民とこのようなつきあい方しかできなくなった公安の側にも等しく存在するはずだ。(渚)