「都市」という嘘

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 東京都の出している広告がどうにもいたたまれないものになって久しい。新聞や雑誌といった紙の媒体はもちろんのこと、その他の媒体でもテレビであれラジオであれ、印象は基本的に同じだ。エイズ防止キャンペーンで文化人やタレントたちを並べて親しさを演出しながら説教を垂れる手口や、“働く女性”の立場を生硬な歌詞と思い入れたっぷりなポップス調で歌いあげる臆面のなさ。それは、昨今の政党が懸命にテレビCMなどを作って見せても生命保険や製薬会社の広告にしか見えない、ああいう種類の情けなさとも共通している。

  行政の当事者によって、それもおそらくはよかれと思って語られる「東京」がこのように眼を覆い耳ふさぎたくなるような代物になっていったのは、さて、いつ頃からだったのだろう。

 もともとテレビを日常的に見る習慣がなかった上に、今の仕事場にテレビを入れたのがこの夏というていたらくだから確かなことは言えないけれども、記憶の底をさぐってゆくと、きっと当時行なわれていたニューヨーク市のキャンペーンにかぶれたのだろう、下手なソウルバラード調の甘ったるい声に乗せたあの「アイ・ラブ・トーキョー」というメッセージが盛んに使われるようになった頃からという印象が強い。さらに枝葉をたどってゆけば、根拠なしの明るさと国籍不明の傍若無人さだけでできあがったようなDJがウリのJ−WAVEが開局して、その後全国に同じようなFM局が雨後の筍のようにできていった、その頃とも重なっているから一九八八年とか九年頃。それこそバブル最後の狂い咲きの時期になる。

 それにしても、なのだ。やはり繰り返し問いたい。どうしてあんないたたまれない「東京」の語り方を、いかに広告とは言え、行政の当事者がその当事者の名前で平然とできるようになっていったのだろう。

 もちろん、その背後にはさまざまな仕事の関係というのが横たわっていたのだろうし、そのような表現、そのような語り方を選択していった過程にはさまざまな事情、さまざまな思惑というのもあっただろう。広告という商品を取り扱う仕事の日常において当たり前にあり得るような、それ自体は微細な言葉と関係とが積み重ねられていった果てに、誰の責任というわけでもない漠然とした善意と凡庸さとが凝縮された地点。そこには半ば必然のようにそういういたたまれなさをまつわらせた表現が立ち上がる。まして、世間みんなが尋常でなくうわついていたバブルの最末期。

 けれども、そんな考えられ得るいくつかの事情を誠実に斟酌してみてもなお、あれは何かが大きく変わり始めていた“しるし”だったと僕は思っている。しつこいけれども、あのいたたまれなさ、あのうわつき加減というのが、他でもない行政の当事者であるはずの「東京都」からその名前の下に発信される「東京」として、その現場においてさえうっかりと見過ごされるようになっていたことは、そのような広告という商品を作り上げる過程に宿るさまざまな言葉や関係が、当事者性や現場性といったもの言いでこれまで言いならわされてきた根拠地の上空を無条件で覆い尽くしてゆくような性質のものに変貌していたことの証拠なのだと、僕は判断する。

 ああいう「東京」についての広告は当の都庁の中で、果たしてどのような評価を受けていたのだろうか。八〇年代の空騒ぎのまっ只中を過ごした大学のサークルノリの抜けないままの若い世代が勝手に仕切っていただけなのだろうか。それとも、今どきのことだからこういう既成のお役所イメージを破る試みも必要だよね、などとわかったふりして顎をなでてみせる四十がらみの課長、なんてのもやっぱりいたりしたんだろうか。

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 広告として語られる「東京」のそのようないたたまれなさは、もう一歩広げたところでは「都市」というイメージに規定されている。けれども、その「都市」とは、それまでの日本語の語彙の中において持たされてきた意味とはすでに微妙にずれたところで語られるようになってきている。

 たとえば、「都市伝説」というもの言いがある。アメリカの民俗学者J・H・ブルンヴァンの造語で、もとの英語は“Urban legend”。ハンバーガーのパティに使われている肉はネズミの肉だ、とか、大都会の下水道には白いワニが棲んでいる、とかいうたわいのない、しかしだからと言って無碍に否定もしてしまえない、そんな噂話のことだ。

 「東京」の広告のあのいたたまれなさの記憶がたどりつくバブル末期のちょうどその同じ頃、この“Urban legend”というもの言いを確立した彼の“The Vanishing Hitchhiker”という本を、僕は仲間たちと邦訳して出した。『消えるヒッチハイカー』という題だった。
 
 これが予想以上によく売れた。一冊三千円近くもする高い本だったけれども、都合一万五千部くらいは出たと思う。もっとも、版元と若干トラブルがあって、僕は自分の翻訳印税を全部仲間にやってくれということにしてあったのでその部数の恩恵は何も被っていないのだが、思えばあの時の、こんな地味でマニアックな内容の本によくもまあこれだけの読者がいるものだなあ、という半ば呆れたような感覚は、僕の中では後のその「東京」の語られ方のいたたまれなさに直面した時や、最近の子供たちの間での「トイレの花子さん」のブームに遭遇した際に胸の裡にわだかまったものの手ざわりにまで、かなりなだらかに連なっている。

 もちろん、これらもまたそれぞれが「都市」という多義的な現実の語り方に他ならない。それは間違いないのだけれども、しかし、だからと言ってそれが全てのわけはない。なのに、「都市伝説」だの噂話だのの水準で語られる、そのようなもの言いの器量においてのみ描かれてゆく、そんな「都市」だけが過剰に求められるようになっていて、それ以外の言葉それ以外のもの言いによって彫啄されるかも知れない「都市」や「東京」は片隅に追いやられるようになっていった。そして、われわれ人間が言葉と言葉の作り出す意味の磁場の中に生きる動物である必然の上に、そのような欲望のありように従って現実の都市も、東京もまたその姿を変えていった。言葉のないところ、もの言いによって切り開く構えの共有されていない場に現実は立ち上がらない。たとえ確かに存在していたとしても眼に映ずることのないものとして、なかったことにされたままにされてゆく。

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 ならば問題は、そのように確かに存在しながら、しかし確かな言葉やもの言いに反映されることのなくなってしまった現実をどのようにもう一度認識し、取り戻してゆけるのか、そのための方法にはどのようなものがあるのか、ということになる。

 難しく考えることはない。「都市」とは「現在」である。〈いま・ここ〉である。そして、そのような〈いま・ここ〉の「現在」としての「都市」と日々直面しながら仕事をしなければならないのが、他でもない行政の現場のはずだ。その行政にとっての「都市」があのやりきれない「東京」でしかないままでいいわけはない。

 同じ行政の現場とは言え、「広報」といった仕事のセクションが最も真っ先にそのようなイメージとしての「東京」に巻き込まれてゆくのには、確かにそれなりの理由があることなのだろうと思う。外側に向かって自分たちの抱えこんだ現実を最大公約数のところで、しかも効果的に説明しようとする時に、使い回す言葉やイメージにある抽象化がなされてゆく。それは不思議なことではないし、仕事の範囲で当たり前のことでもある。

  けれども、そのような抽象化なり粉飾なりを仕事として取り扱う立場ならなおのこと、そうやって作られ振りまかれるイメージとしての「東京」と、自分もまたその組織の一員として関与せざるを得ない膨大な個別性と具体性とをはらみこんだ無数の東京との距離とを誠実に計測しようとしなければならないはずだし、何よりそのための手立てを自分の手もとで鍛え続けることが必要なはずだ。自前でできないのならば、それこそ現場の当事者につぶさに話を聴き、問いを発し、そうやって自分の取り扱うべきリアリティの水準を自分の内側に自覚させてゆく。それはもちろん面倒きわまりないことだし、もしかしたら日常の仕事においては効率的ではないかも知れないけれども、しかし、たとえば「広報」のようなセクションが直面すべき日々の仕事の現実にとっては、ある責任意識と共に欠かすことのできない面倒な作業という部分だってあるはずだ、と僕は思う。なのに、そのような自省、そのような省察をたとえしようにもできないような不自由がいつの頃からか、とりわけ「広報」のような仕事の場にはことに強く、濃密に蔓延しているらしい。

 広告代理店的世界観、と僕は言う。そう、これが今、都市で、東京で生きてゆく上でのいちばんの敵だ。何にとっての敵か、って? 自分にとってのリアリティ、自分にとっての「確かなこと」「本当のこと」をつぶさに言葉にしてゆこうとする時の、だ。なぜなら、この世界観は言葉と自分との関係をあらかじめある決められた角度、決められた距離でしかあり得ないようにする。その動きの中に巻き込まれたら最後、どんな言葉もどんなもの言いも、樹脂の皮膜でコーティングされたような手ざわりのものにしかならない。作りものの言葉。かざりもののもの言い。

 「都市」は、そんな世界観の中にかなり早くから取り込まれていった。だからこそ、「都市生活者」は若い単身生活者の、それも学生やそれに準じる生活形態を持った自由業に従事している人間を中心にしてしか想定されなくなった。何のことはない、広告代理店的世界観をプロモートすることが仕事であるような人種の、自分の日常をきれいごととして作り上げた、その上にいい加減にでっちあげられたリアリティこそが「都市」だといつの間にか思い込まされていったのだ。情報が日常に浸透してゆき、そうやって宿った欲望が現実を逆に規定してゆく。そして、その「現実」が「都市」を再び正当化してゆく。ほら、こんなにイメージと現実とは対応しているじゃないですか、と。マーケティングや市場調査といった仕掛けもまた、そのような広告代理店的世界観のプロモートする“八百長”に奉仕するためのものへとその意味を変えていった。

  だから、東京都が振りまく「東京」に触れるたび、大人気ないと思いながら僕はひとり毒づくようになっていた。「都市」には、そして「東京」には「若者」しかいないのか。きらびやかな消費生活しかないのか。夜遊びと先端のファッションとめくるめく興奮しかないのか。それらに支えられた情けない「自由」しかないのか。もっとゆったりと過ぎてゆく、われわれの共に棲む〈いま・ここ〉という意味での東京に本当に収斂してゆくことのできるような、穏やかな日常というのはないのか。

  東京に責任を持つはずの行政の現場で働く人々ですら、いや、そういう人々だからこそなのかも知れないのだが、そういう立場においてさえも「東京」は、そんなどこか見知らぬ絵空事、空中楼閣の「都市」の現実としてしか映っていなくなっているのだとしたら、はっきり言う、それは間違っている。

 仕事としてのあなたの居場所から見える「東京」とは何ですか? そんなにきれいごとの、それこそどこかの広告代理店とどこかの薄っぺらなクリエイターと称する手合いとがうわずった声で語りかけるような、そんな常ならぬ仕事の速度で最も本当らしく見えるような言葉の水準で語られる「都市」であり「東京」の、落ち着いて顧みれば必ずどこかで気恥ずかしくなるような風景が眼の前に確かに広がっているのですか? さまざまな仕事の現場であなたが日々向き合っている、それ自体はこまごまとして具体的でうっとうしい、しかし確かにそれも東京の一部であるはずの現実とは、そんなあらかじめ棚上げされたイメージとしての「東京」によってきれいさっぱり置き換えられてしまえるようなものなのですか?

 もう、そんなきれいごとの「東京」はいらない。どこにでもあるパンフレットみたいな「都市」は役立たずだ。自分たちの仕事の手ざわりからの小さな言葉による東京を、ゆっくりと、しかし確実に蓄積してゆこうとし始めることが今、行政の現場にとって一番確かな自信回復の道だと僕は思う。

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 実は、日本の組織の現実把握能力がおそろしく落ちてきているのでは、という予感が、底知れぬ不安と共に僕にはある。言い添えれば、その場合の「現実」とは、ただひとつのゆるぎない真実という意味のものではない。けれども、少なくとも行政を担当する組織ならば最低限約束ごととして共有しておかねばならないリアリティの水準すらも、そのような“何でもあり”の価値相対主義的現状に埋没させてしまっているのではないか、という疑問は根深くある。

 それを日本の社会に固有の問題だととらえることももちろんできるだろう。そうかも知れない。それは、日本人にとっての言葉とは、というすぐれて文化論的な問題にも連なってゆくようにも思われる。現実把握能力とはある部分で情報収集能力であり、それらの分析能力であり、つまるところ何のためにそのような作業をしてゆくのかということも含めた構想力に支えられてもいる。そのような組み立てを一からしてゆくことがわれわれはかなり下手らしいということは、すでにもう自覚されている。

 けれども、こういう話もある。

 戦前、俗に「満鉄」と呼ばれた南満州鉄道の調査部の作った当時の中国についての調査報告書は、当時の世界水準だったと言われている。「フィールドワーク」というもの言いはまだ知られていなかったけれども、当時で言う「実地踏査」をもとにしたその報告書は戦後、米軍が高く評価してその多くを持ち帰ったという。その調査部の人材養成のやり方とはおよそ次のようなものだったらしい。

 赴任当初の二年間はまず文献資料に埋もれさせる。絶対に現場に出さない。ただでさえ野心家揃いでしかも優秀だった当時のエリートたちのこと、フラストレーションがたまる。しかし、そうして徹底的に文字と書類の取り扱いの中で鍛え上げた後、初めて現場に追い放して現地での資料収集を行なわせる。このやり方の前提にあるのは、文字によるリアリティ構築の作法が身について始めて現実も読めるものになる、というゆるぎない方法的意志だ。文字のような明確で整理されたテキストがちゃんと読めない者に、生ものの現実のような複雑で他義的なテキストが読めるはずがない。考えれば当たり前のことだ。

 しかし、今はどうだろう。大学や研究所における教育はもちろんのこと、実際役所に限らず企業であれ何であれ、自分たちの組織に新たに加わった人材に対する研修にそのような方法的意志はどれだけ貫徹されているだろうか。その代わり、いきなり現場に追い放すことが流行している。“オン・ジョブ・トレーニング”などというあやしげな横文字のもの言いがその考えなしを後押しする。現場での実地体験はもちろん大切だ。しかし、その体験を自ら省察し言葉にして誰もが共有できる経験の水準にまで編集しなおしてゆくための能力は、文字と書類の取り扱いに習熟してゆく中でしか作り上げられることはない。それなしの体験など、敢えてきつい言い方をすれば単なる個人的な価値しかないのだが、今の“オン・ジョブ・トレーニング”はそのような自省の過程抜きののべたらの体験主義でしかない場合がほとんどのように見受けられる。その結果、言葉に対する信頼、もの言いに対する責任感といったものが希薄になっている。言葉が現実を作る。もの言いの連鎖が依拠すべきリアリティをつむぎ出す。しかし、その働きについての信心が持てなくなってきているのではないだろうか。そして、そのことが日本の組織が眼の前の現実に的確な対応ができなくなっている背景的原因のある大きな部分を占めているのではないだろうか。

 そのような現状はたとえば、何だかんだ言ってもこれってどうせ書類上のことだからさ、という気分に現われる。それはもちろんそうだ。けれども、その書類上のことをどれだけ生身の現実に引き寄せて想定することができるか、それが行政を担当する人間と組織の能力だったりしないだろうか。眼の前の書類一枚、ハンコひとつの向う側にどのような現実が広がっているのか、広がり得るのか、そこを透視することのできる能力。あわてて言い添えるけれども、何もそれは「感性」だの「人間性」だのといった漠然としたもの言いでだけ語られていい特殊な能力ではない。ある方法的目算とその上に立ったある意志と訓練との課程の果てに誰もがある程度までは獲得することのできる、そんな具体的な技術・技法なのだ。

 たとえば、行政の現場で働くためのトレーニングを積んできている人たちに向かってこれは釈迦に説法だろうけれども、今の日本で言われるような意味での都市社会学というのは1920年代から30年代にかけて、アメリカはシカゴ大学社会学部から始まった。当時は社会学なんてものはまだ世間に公認された学問ではない。どだい、人間の営みに関することが学問になるものかどうか、そのへんからして怪しまれている時代だった。そんな中、新聞記者あがりやジャーナリズムに関わりのあるような人間も含めて半ば無理矢理作り上げた新設学部。ロクに予算もつかない。でも、シカゴ大学の連中は頑張った。だったらよし、足腰でかせげ。当時のシカゴは新興工業都市として盛り上がっている真っ最中。しかもシカゴ大学はそんな街のど真ん中にある。大学に通ってくるその間に、酔っ払った黒人労働者や、いかがわしい商売がそこここにうごめいている現実を見聞きせざるを得ない。「社会」ってのはああいう現実も含まれるもんじゃないの、というわけで、浮浪者について回ったのがN・アンダーソンの『ホボ』。戦前、東京市の社会局で半ば内輪のための資料のような形で抄訳されて以降、さんざん教科書などで触れられているにも関わらず、ちゃんとした完本で翻訳は出されていないはずだ。*2「フィールドワーク」というもの言いは、今のいやったらしい日本語としてはもちろん、当時のアメリカ英語の範疇においてさえ、それほど一般的なものではなかったろう。そのような、日々おそらくは誰もが見聞きしていたようなリアリティに改めて言葉を与えてみんなで共有できる形にしてゆく営みは、やはりそれだけ新鮮だったのだと思う。

 この「シカゴ学派」の心意気が僕は好きだ。今どきの社会学では「質的アプローチ」なんて言われている流れに連なるらしいが、そんな能書きは知ったこっちゃない。ご大層な理屈や理論でなく、妙に高見にとどまった説教でもなく、自分の身の丈の現実を身の丈の言葉ともの言いとでまずとらえようとしてゆく。とらえて、そして手もとでとりおさえて使い回すことのできるようにしてゆく。寄せ集めの新興国家であったアメリカに芽生えた社会学の、ヨーロッパ的な伝統とはまた違ったところに自らの居場所を見つけようとしていたその風通しの良さは、自分が日々生きているこの現実をどのように知り尽くすことができるのか、という素朴な衝動にある明確で健康な方向性を与えてくれるものだったように思える。

 今、このような状況での「都市」を、「現在」を、どのようにもう一度把握し、言葉にし、確かなものとして構築してゆくことができるのか。それは、日々の仕事の中で目の前を通り過ぎてゆく膨大な文字、膨大な書類のさらに向う側を透視する能力=技術・技法をどのように養うのか、ということでもある。それができたならば、あんなうわついた「都市」や「東京」の語り方を行政の名において臆面もなく垂れ流されて平然としていることなどなくなるはずだと思う。いくら広告だからって、俺たちの仕事ってあんな「都市」あんな「東京」の語り方で代表されちまっていいようなもんじゃないよな、という毅然とした気分を持てるようになること。持って、それを周囲に言葉にして共有しておけるようになること。広告代理店的世界観に支えられた大文字のもの言いの居心地の悪さにきっちり対抗できるだけのものにしておくこと。

 「都市」と言い、「東京」と口にされた瞬間に立ち上がるべき違和感。いま、都市と向かい合い、東京と仕事をしてゆくためにはそんな難儀な偏屈さを身の内に抱え込むことから始めなければならない。最も鋭く違和感を抱き、最も深く懐疑し、そしてそれでなお最も前向きに東京の実践に関わってゆく才覚。そんな困難な条件を敢えて満たそうとする志すらないままでは、この広告代理店的世界観のからくりの向う側になかったことにされた都市の現実も含めて、行政の翼の下に奪回することはできないと僕は思う。

*1:なんと、東京都の行政職の業界紙というか研修などに使う雑誌、メディアだったはず。何の間違いで依頼があったのかは忘れた。

*2:2000年代に入ってから、ようやく邦訳が完結したような。