藤岡攻撃にみるコスプレ左翼の頽廃

 先日、東京大学安田講堂で「歴史教育討論会」という催しがあった。主催は東京大学新聞会。現場からの教育実践例を占部賢志、三橋広夫の両氏が報告した上で、さらに藤岡信勝と安井俊夫の両氏を交えて討論するという企画だった。所用があって途中から駆けつけたのだが、討論の中身以前に、藤岡信勝氏ひとりを徹底的に狙い撃ちしようとする一部観客の雰囲気が異様で、今どきまだこういう集会ってあるのかよ、と感慨深かった。

 とにかく、藤岡氏が何を言ってもひたすら野次を飛ばす。話などロクに聞かない。「質問にちゃんと答えてねえじゃねえかよツ」 「こちらの聞いたことにちゃんと答えてくださいツ」「アジアの人たちにどう謝罪するってんだツ」といった金切り声が飛び交う。プラカードも掲げている。「労働者革命こそが社会を変える」といった文句が書いてある。外国人−ー正確に言うと、白人の姿もちらほらある。どういう素性の人たちなのか、それらがみな客席の前の方に陣取ってわがもの顔に騒ぎ、時には、ギャハハハ、と傍若無人な馬鹿笑いさえする。プロレスのリングサイドでグループで騒ぐ連中に近い。

 以前のこういう「集合」ならば、中にひとりやふたり頭のネジのゆるんだのが出てきて壇上に駆け上がりかねない状況があった。だが、不思議なことにそういう危うさは薄い。騒いでいた中には終演後、演壇のまわりに集まるのもいたが、「藤岡先生、聞いて下さい」といった懇願調で議論を吹っかけたりからんだりというのでもない。その代わり手に手にカメラを持っていて、舞台の前面に行っては藤岡氏らの写真を傍若無人にパチパチやる。ビデオカメラを回すのもいる。ひと昔前なら顔写真を撮られるということはまさに警察や公安に「メンが割れる」危険性と一体だったはずだが、今どきのこういう運動の側にはそういう想像力さえなくなっているらしい。それとも、警察や公安とは違って、自分たちだけはそういうことをやっていいという何か特権意識でもあるのだろうか。断言する。この種の手合いはすでに「左翼」などではない。

 僕の学生時代、ということは七〇年代の末期だけれども、その頃すでに新左翼セクトのデモというのは、現場までは私服で行ってそこでヤツケにヘルメットにタオルという例の学生運動スタイルに着替えるようになっていた。嘘ではない。高田馬場の駅前でシュプレヒコールをあげるのが日課だった某セクトなど、駅の脇の路地でコソコソ衣装を着替えていたものだ。今ならさしずめコスプレだろう。すでに当時、セクトに入るのはそういう「コスプレ左翼」の奇妙さに気づかない程度の連中だけという頽廃が始まっていたわけだが、その後二十年あまり、今やこういう「コスプレ左翼」、「ファッション左翼」が今の「左翼」と呼ばれる方面の若い世代の中核だと、僕は見ている。

 この時期、どんな「思想」もファッションの領域に拡散してゆき、その結果、ファッションの側かち思想の内実までも逆包囲されていった。たとえば、中国の人民服や共産党のバッジなども本来の文脈からズレたところで、ただ「カッコいい」という感覚だけで身につけられるようになっていった。それ自体は悪いことではない。フアッションにも浸透できない「思想」などその程度のものだ。で、その「カッコいい」がそのまま山谷の労慟者支援活動など「左翼」系運動の現場に押し寄せてきた。

 「ファッション左翼」丸出しのアマチュアバンドが運動に関わるようになり、電気楽器の大音量に山谷のおつちやんたちがノッてくれると、「連帯」と解釈して勝手にうれしがったりしていた。まあ、そのへんの気分の同時代性は、自身かつてはバンクロッカーだったと聞く隣の福田和也氏にでも解説してもらうのが一番いいのかも知れないが、何にせよ、七〇年代末あたりから順著になっていったそういう「ファッション左翼」先行の事態を、「良心的」大人たちはその目算なき善意任せにただ放ったらかしてきた。そのツケが今どきの運動」のこの無惨だ。確かに、思想信条というのは人の内面に属する。しかし、人間にはその内面を何らかの形で外にわかるようにしてゆきたいという欲望もある。それが度を越すと、見てくれからまねてゆくことで内面も作られてゆくような錯鴬も起こってくる。とは言え、言葉でさえもそういう見てくれやファッションの次元でしか取り扱えない手合いこそが今や一番「左翼」らしく見える、というバラドックスは、思えば何も「左翼」に限ったことでもなく、昨今の「言論」や「思想」の領域一般に言えることかも知れないのだが。