ラブホ、またはカラオケルームのこと

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 クルマというメディアの低廉化、大衆化、世俗化……いや、何でもいいのですが、とにかく中古市場もひっくるめて一台の値段がバカみたいに安くなり、安定収入の有無など何のその、バイトでためた小銭にものを言わせてさえも誰もがクルマを持つのが当たり前になってしまった結果、それは単なる移動手段であることを超えて、日常のさまざまな局面もまたそのクルマという存在と関わらない形では想定しにくくなってしまった。それこそがおそらく、ここであたしがしつこく問題にしようとしている「DQN化」の大きな柱のひとつであります。

 それは主に消費の局面において、ものすごくわかりやすく出てくる。単に何か具体的な「もの」を買うというだけでなく、むしろその「もの」をとりまく場や雰囲気、しちめんどくさく言えば具体的なブツにまつわるさまざまな意味ってやつこそがその消費の眼目になり、いきおいそのような傾向は「もの」の縛りを逃れたところで、日常の「暮らし」のあらゆる局面にまで影響力を行使するようになる、と。

 このへんの事情って、ふた昔くらい前のこまっちゃくれた手合いならば「記号の消費」てな能書きのひとつもくっつけようとしたはずなんですが、しかし、昨今のわがニッポンの暮らしの事態は、どうやらそんな聞いた風な能書きなんぞではとてもおさまりがつくようなものでもなくなってるようでありまして、まあ、敢えて説明するとすれば、この「記号の消費」ってやつの手癖が単に消費生活の局面というだけでなく、生身のこちら側、日々を生きるあたしたちニンゲンのものの感じ方や考え方全般にまで波及してそれに身体ごと慣らされちまった結果、今度は逆に正味の経済活動全体のありようにまでフィードバックしてくる、とまあ、何にせよ難儀なことこのうえないわけであります。ひと言で言っちまうならば、客体としての経済現象のそのまたある一部としての消費という現われをとらえられるという考え方自体が、その消費の側から逆にてめえの生身をどんどん規定してきちまうような動きについて底抜けだった、ということなんですけどね。

 たとえば、衣食住、という枠組みで「暮らし」をとらえようとするやり方が、これまでありました。それは確かに、生身の生体を維持するための仕組みを重視するという意味で、まごうかたなく「暮らし」を見てゆくための枠組みだったわけですけれども、しかしそういう着て食って住んで、というその「暮らし」の中核だったはずの部分のさらに向こう側、敢えて言えばそのように着て食って住む生身の内側に宿る感覚や体験といった次元までもがそういう「記号の消費」のからくりに浸食されてゆく、その難儀がどうもよく見えてこない恨みがあります。

 今や「貧乏」もまた、そういう難儀から逃れられない。「貧乏」が「ビンボー」とカタカナ書きにされるようになっても、なおどこか遠いところの手ざわり薄いものでしかなくなっている〈いま・ここ〉の「豊かさ」ってやつは、逆にほんとうに切実に迫っているそういう「豊かさ」の中の新しい貧乏、見えないままにされている貧しさを自覚できないままにしておくための、最も有効なゆりかごのようであります。



 とは言え、生身が消費に規定されてくる、っていうあたりのことは、これだけでは何のことかうまく伝わらないでしょうな。オッケー、こういう例を補助線にしてみますか。

 ラブホテル、であります。そう、セックスのためだけにどんどん特化されていった個室空間の切り売り形態。この極めてニッポン的な施設の変容というのも、この消費構造に逆規定された「DQN化」の、あまり意識されていないかも知れませんが大きな変化です。

 もとをただせば駅裏などの連れ込み宿、かつての待合などにまでさかのぼる「伝統」を見出すこともできなくはないのですが、そこまで大風呂敷広げずとも、ニッポン社会における「個室」というやつがどういう具合にプロモートされ、そして商売の場になってきたか、ということを考える場合に、この眼前のラブホテルに至る系譜というのは無視できません。

 宝石風呂とか牛乳風呂などを売り物にした待合の系統は、昭和初年の大阪あたりですでに見られます。お座敷ストリップの蔓延なども含めて、確かに「個室」がそのような「セックス」とおおっぴらに結びつけられ、新たな商売の源になっていった、その始まりの爆発はご多分に漏れずこの昭和初期の大衆化の時代のようです。

 しかし、今のようなラブホテルの形態に直接連なるむかしというのは、やはりモータリゼーションとの結びつきが可能になった時期、具体的には七〇年代の頃でしょう。クルマとセックスの結びつきは、それこそT型フォードの時代から全世界的なお約束だったわけですが、今世紀半ばからの本格的なモータリゼーションはそのお約束をさらに当たり前のものにしてゆきました。高速道路のインターチェンジまわりにこのようなクルマと結びついたラブホテルが林立し始めた時期です。クルマ自体がまだ贅沢な耐久消費財であったことと比例して、ラブホテルもまた、気合いを入れて利用すべき空間だった。だからこそ、ここぞとばかりにあやしげな、その分非日常的なキッチュで空間を飾りつけようとした。それこそロココ調だのアールデコ調だの民芸調だの、ありとあらゆるキッチュのてんこ盛りとしてラブホテルの造形が一番過激に華開いていた、そんな時期です。ほら、自由の女神とかヴェルサイユ宮殿とか、わけのわかんないデザインの建築物がラブホの定番だったじゃないですか。あれです、あれ。外回りだけじゃない。中身も負けていなかった。回転ベッドに鏡張りの部屋、マジックミラーさえしつらえられた浴室……などなど、まあ、世間に広く知られるようになったラブホテルの初期のイメージは、ほんとにもう、情けないくらいに「セックス」と「豪華」を一気に詰め込んだような代物でした。

 ところがこのラブホテル業界はその後、「ブティックホテル」などという言い方で、ラブホテルにまつわってきたどこかいかがわしいイメージ、もう少していねいに言えば、セックスそのものにまつわってきた古典的なあやしさ、後ろ暗さみたいなものに引きずられた印象を一気に漂白しようとしてゆきました。80年代の始めを境とした時期、ラブホテルは一般のホテルと変わらない内装、調度の空間へと変貌していった。それは、まるでスポーツでもやるように、一種のレジャー感覚としてセックスもまた消費されるようになった、そんな生身と感覚についての大きな変貌が前提にあってのことでした。セックスとそれにまつわる行為一般が、特段に意識されるべきものでもなくなってゆく。「セックス」が「ニャンニャン」に、そして「エッチ」にとって代わり、「不倫」ならざる「フリン」が流行語になってゆく状況下、それまで生身を律していた性的存在としての自分をさらしてよい場所や時間についてのものさしがなしくずしに崩れてゆきました。年齢も階層も性別さえも、あらゆる敷居をたやすく飛び越えて、生身は生身であるというだけであからさまに性的である、という認識。「個室」という閉じられた空間に結びつけられることでかろうじて制御されていたそのような性的存在としての生身のありようは、「暮らし」の中にまんべんなく当たり前のものとして漂うようになりました。

 「ボーダーレス」というもの言いは、もちろん経済の現われについて言われたものですが、それはこのような形で経済的現実に主体として関わる生身の側にまで浸食してゆく。かくて、特別にしつらえられた「個室」で特別な「セックス」をとりおこなうという感覚は蒸発してゆき、ラブホテルも一般のホテルも、いや、カラオケルームからマンションや建て売りのリビングといった日常の居住空間に至るまで、ただのべたらに同じテイスト、基本的にある一定の原理によって整えられた空間になっていった背景には、このような大きな流れがあります。

 かつてのラブホテルにはつきものだった出入り口の目隠し、植栽だったりスクリーンだったりしたそれが、最近あまり目につかないようになっています。同時に、フロントも含めて従業員の姿が全く見えない全自動化システムの導入も広がっている。「人目をはばかる」感覚が利用者側に薄くなると共に、その「はばかる」感覚の向かうところもまた変わってきている。喫茶店は応接間の延長である、とかつて指摘したのは、確か加藤秀俊でしたが、クルマという空間との連続性も含めて、リビングや寝室といった日常空間の延長と化したいまどきのラブホテルは、消費する身体とそこに宿る感覚が現実の遠近法の中にではなく、消費を可能にする環境と同調して拡散している「豊かさ」に生きる生身のありように見合ったものになっています。