地方競馬のゆくえ


 鈴木一郎、という「イチロー」と同音の名前を持つひとりの元農水官僚プッツン市長のその場の思いつきで、ひとつの競馬場が「廃止」になっちまいました。明日から開催というその前夜にいきなり「廃止」の通告。補償は一切なし。そして、向こう二カ月ほどの間に、馬も人も全部厩舎から出ていけ、と。去年の三月末のことです。

 大分県中津競馬の最期は、実にこういう前代未聞の通告から始まりました。その後一年近く、厩舎関係者は調教師も厩務員も騎手も、そしてそれらの家族も、みんな一致団結して闘い、何とかいくばくかの補償を勝ち取ることができましたが、しかし、それとてひとり当たりにしたらせいぜい二百万円足らず。「廃止」に至るまでずっと、主催者である市長の言葉を信じて、賞金削減にも耐え、馬資源の確保にもこぞって奔走し、借金までしながら競馬の存続に協力してきた彼ら厩舎関係者にしてみれば、ほとんど何の役にも立たない額です。

 このできごとをきっかけにして、地方競馬がなくなる、ということが一気に現実のものになってきました。

 事実、今年になってからは新潟競馬(県営)が後を追うようにして廃止。さらにこの八月には、「日本一小さな競馬場」と言われてきた島根県益田競馬も、年度半ばにしてその五十年以上にわたる歴史を閉じました。わずか一年半あまりの間に立て続けに三つの競馬場が姿を消した。そして、この流れはまだ加速されそうな気配が濃厚にあります。

 にも関わらず、これらの問題について積極的にとりあげて考えようという動きは、信じられないほど少ない。新聞や雑誌、テレビやラジオ、それらいわゆるマス・メディアで、このような競馬場の廃止は、単なる地方の小さなニュースとしてしかとりあげられませんし、仮に何らかのドキュメンタリーや特集などが組まれたとしても、「田舎の小さな競馬場がひとつ消えた」というお定まりの文法以上の語られ方はしません。まさに、アメリカの、とある日本研究者の言いぐさじゃないですが“discourse of vanishing”(消え去りゆくものの語られ方)にぴたりとはまっているわけで、その背後にニッポン競馬をめぐるどのような状況の変化が横たわっているのか、などについてまで掘り下げた報道というのは、あたしの知る限りほとんどなかったように思われます。何より、これらはあくまでも「地方競馬」の問題であって、メディアを介して「ザ・競馬」として喧伝されてきたJRAの中央競馬とは全く別の世界の話なんだから、という論調がベースになっている。なんか知らないけど、全然知らないところの草競馬みたいなのがひとつ潰れるんだって、かわいそうねえ、気の毒よねえ、といった人ごとがせいぜいです。

 あたしには、これがほんとうに信じられない。

 もちろん、地方競馬の赤字自体は何も今に始まったことではありません。いや、競馬に限らず、競輪、競艇、オートの公営競技はどこも慢性的な赤字に苦しんできている。競馬が安易に「廃止」を言えないでいたのは、それが大きなところでは馬政という農業政策にまで関わるということがひとつ、もうひとつはそれぞれの主催者である自治体単位にしたところで、「廃止」にした場合のさまざまな補償の財源を確保できる見通しが全く立たない、という事情がありました。

 他の競技と比べるのはあまりいいことではないでしょうが、たとえば、競輪ならぱ「廃止」というのはその競輪場ひとつ、バンクまわりの施設がなくなるだけで、選手に対する補償が即座に生じるわけではないし、周辺産業が大きいわけでもない。競艇にしたところで事情は基本的に同じでしょう。それに対して競馬は、何より生きた馬が競馬場にいて初めて成り立っているわけで、そのためには厩舎施設が必要になってくるし、馬場そのものにしたって維持費がかかる。さらにその上に飼料業者や馬糞の処理業者、馬運車を持つ輸送業者などに至るまで周辺産業の広がりが大きい。生きものを中心にしているということ、その一点だけで、競馬はその他の公営競技よりもずっと身動きのとりにくい構造を持っているわけです。

 なのに、その競馬から全く補償なしに「廃止」していい、という、悪しき前例をつくりかねないことになったのですから、一年前の春、中津から始まった激震というのはそれはただごとではなかったわけです。

 「中津方式」をデフォルトにするな――今、地方競馬の主催者周辺の関係者の方々に言いたいことは山ほどありますが、とりいそぎ強く念押ししておきたいのは、何よりもまずこのことです。


 言うまでもありません。昨年、九州競馬の一環として新たな努力が始まったばかりの大分県・中津競馬が、この三月末にいきなり新年度(つまり四月)からの開催中止→廃止、という決定をした、そのことです。


 売り上げの長期低落による累積赤字に悩むのは、今やどこの地方競馬も同じこと。「儲からないからや~めた」というだけで「廃止」できるのならばこれほどラクなことはない――全国の主催者の本音はこれまでもそんなところだったはずです。でも、戦後数十年になんなんとする長年の経緯もあれば地元ならではのしがらみもあるし、何より、この競馬という仕事で食っている厩舎まわりを始めとしたさまざまな関係者の生活が厳然としてある。「廃止」するのはいいけれども、補償その他も含めたその後始末をどのようにしてゆくかを具体的に考えれば、そんな無責任な一方的「廃止」沙汰など、行政としてとてもできない――それもまた常識的な判断だったはずです。だからこそ、決定的な打開策を見出せないまま、議会その他の突き上げをかわしながら、何とかいい方向はないかとそれぞれ努力をしてきた、そうだったのではないですか。


 なのに、そういう行政ならではのジレンマを中津の「廃止」沙汰は一気に蹴飛ばした。市長ひとりのほとんど独断、いや、独断と言えば聞こえはいいですが、要するに単なるプッツン、行政の責任者としての立場も見通しもまるでないままの開き直りで、わずか一夜にして「廃止」が決定され、しかも自身は何やら「構造改革」の旗手気取りで、現場の競馬関係者はおろか、議会とさえも話し合いをロクにしない始末。しぶしぶ最低限の補償はする、というところまでは譲歩したようですが、細部の詰めは未だに頓挫したままです。 そうか、こういうテもありなんだ――そう考える主催者がこの「中津方式」に雪崩を打つ、地方競馬に限らずニッポン競馬の未来にとって、それが今、一番おそろしいことです。繰り返します。「中津方式」を地方競馬改革の標準に、絶対にしてはいけません。
                                  
              『JBBAニュース』日本軽種馬協会 2002年1月

 新潟のケースについては、中津という前例を良くも悪くも学んだところがあるようです。事前に「廃止」の情報を新聞に流しながら、関係の深い東北の地方競馬場山形県上山、岩手県盛岡、水沢)などにも比較的早くから事情説明をして歩き、騎手その他厩舎関係者の移籍・再就職先についての打診を主催者側はやっていました。その結果、中津などよりは比較的スムースに「廃止」がスケジュールに乗ってきていたのは事実です。もっとも、その背後では「廃止は認められない」と表向きには強硬姿勢をとって厩舎関係者の味方ヅラをしていた馬主会幹部が、在厩馬を他の競馬場の厩舎に移籍させるための斡旋行為を率先してやっていたという事実もありますし、それらがある種の利権となっていたフシさえある。現場の厩舎と主催者と馬主会との相互の利害が微妙にからみあいながら存在している地方競馬のありようが、ここでも複雑に反映されています。

 実際、早めに他場への移籍を打診して、現在では川崎所属で活躍する酒井忍騎手などを見てもわかるように、ジョッキーがこのような「廃止」の動きには一番、敏感なようです。にしても、身軽に動きやすいのは比較的若い騎手。家族を持ち、さらに地元に家やマンションを持ってしまっていると、なかなか身の振り方に踏ん切りがつかないのも事実です。厩務員とて同じこと。厩舎の経営者である調教師になると、その不自由はさらに倍加します。

 賞金が削減されてゆく、厩舎のモティベーションが落ちる、厩舎経済を圧迫してゆき、当然それは馬主の経済も苦しいところに追い込んでゆく、そうなると預託料が滞る、厩舎はさらに支払いが苦しくなって周辺業者にも焦げつきが出てくる、何よりもまず自腹を切ってでも厩務員などの給料その他を支払わねばならない調教師が破綻する、馬がいなくなる、すると主催者はまたも予算削減で賞金や手当てから減らしてゆく……ざっとこういう悪循環で、地方競馬は袋小路に追い込まれてゆきます。

 あたしの見たところ、一着賞金が二十万円代になったらその競馬場はもう黄信号。十万円代になったら完全に赤信号です。一着賞金二十万円の場合、勝っても調教師の進上金は二万円、騎手や厩務員が一万円。そこからさらに下がると、わずか数千円をとりあうような競馬になってしまう。出走手当がつくとは言え月に二回、どうかしたら三回は使わないとある程度の預託料にもならないような状態が当たり前な、賞金水準が中位以下の地方競馬の場合、これはもう普通の勝負、「勝つ」ための競馬というのではなくなってきます。「公正競馬」という主催者側のタテマエも、このような状態になった時点で実は足もとから崩れ始めているわけです。

 実際、そのような競馬場では在厩のある部分を、競馬に出走させるのが目的というよりも育成目的、場合によっては休養がわりに厩舎に置いているような馬が占めるようになります。それでも、馬房があいてしまって次に入る馬も決まらないような状態よりはまし、というわけで、厩舎が半ば休養牧場や育成牧場のようになってくる、と。

 「そりゃね、次に絶対馬が入ってくるというんならいいけど、こんな時代だもの、馬はもちろん、馬主さんそのものが逃げ出し始めてるわけだからさ。脚もとパンクしてて、ほんとは牧場で休ませた方がいいような馬でも、馬房があくのがこわくて厩舎で養ってるようなこともあるよ」

 このような事態になってくる原因には、賞金水準の低くなった地方競馬の競馬場と、育成・休養牧場との間の預託料の逆転現象も、その前提にあります。育成牧場に預けるよりも、競馬場の厩舎に置いておく方が安い、ということが平気で起こっている。

 「中央に持ってくような馬を預かる育成(牧場)だったら、最低でも(月に)二十四、五万、どうかしたら三十万近く(預託料を)とるところもあるからね。それだけきちんと手をかけて乗って(調教して)いるところならいいけど、そうでないなら、道営あたりの月に二十万しないくらいの競馬場に入れておいた方がいいじゃないか、と、馬主さんが思うのも無理ないよね」(ある調教師)

 確かに、「馬産地競馬」を標榜し、馬主の半分以上が生産牧場だったりして牧場との密着度の高い道営競馬ならまだしも、廃止直前の中津あたりでさえも、そのような馬は厩舎に結構入っていました。中津の預託料は最後には獣医代コミでも月に十一万円ほどまで下がっていたようですから、九州までの馬運送車代を考慮しても十分コスト削減にはなるわけで、逆に言えばそこまでして経費を圧縮しなければならなくなっている馬主側の事情というのも、特に最近では強くあるようです。

 「道楽で馬持って、なんて呑気なこと言える人ならいいですよ。中央で馬持ってたりするとそりゃもう、いくらカネがあっても間に合わない。それに今はほら、問題になっているスソ馬が出走できないって状況があるでしょ。二回続けて除外食らうのはもう当たり前で、三連発で出走できないのも珍しくない。そうなると仕上げも何もあったもんじゃないですからね。それでも厩舎は同じだけ預託料とるわけでしょ。どうにかして経費を減らせないかと考えるのも当然ですよ」(地方だけでなく中央にも馬を預けるある馬主)

 未勝利クラスの下級条件馬が増えすぎて、出走したいレースに出走できない、つまり除外されてしまうケースがここ数年で激増して、これは中央競馬の厩舎まわりでも大問題になっています。これに対してとられた対策がいくつかあるのですが、そのひとつが地方競馬の番組の中に中央競馬所属の下級条件馬を出走できる番組を作ってしまうというもの。まさにマジックみたいなものですが、南関東や東海などを中心に広まった交流競走がそれです。認定競走を導入するのとバーターのように未勝利や五百万条件などの下級条件の交流競走を番組に入れ込んでゆく。これは、現行の競馬法をいじらないままで何とか中央競馬に所属する馬たちの出走できる番組を増やそうとした、有能な競馬官僚たちの苦肉の策だったのだと思います。

 その結果、地方競馬での交流競走を「勝ち上がって」、中央の五百万条件に駒を進める馬も出てきました。それらの間には、地方の馬が仮にその交流競走を勝っても地方の規定の賞金しか出ないのに、中央の馬が勝つと額面の賞金に加えて、さらに中央の未勝利戦の賞金と同じ水準になるようにJRAから補助が出る、というからくりもありました。当然、地方競馬の厩舎の一部からは文句も出ていたのですが、その声も表だっては伝わってこなかったようです。

 同時にまた、地方競馬の番組をわざわざ使いに行くことを潔しとしない風潮も、一部の厩舎にはあるようです。騎手にしても、そのような交流競走での騎乗依頼に快く応えてくれる騎手ばかりではないとも聞きます。けれども、馬主にとってみればこんなにおいしい話はない。入厩当初から速いところをバンバンやる中央の調教についてゆけない馬だってたくさんいるわけで、そういう馬にとっては小回りのダートでの地方のレースはありがたいわけです。能力めいっぱいを発揮しなくても、また、どこか不安のある馬なら脚に負担をかけなくても、何とか競馬をしてうまくゆけば未勝利脱出することができる。そのような馬主経済に配慮をする柔軟な調教師であればあるほど、それら下級条件相当の交流競走に管理馬を出走させることをためらわなくなってゆきました。

 また、そういう調教師たちは、自分の管理馬にその競馬場所属の地元騎手を乗せることも積極的にやり始めた。このところ一気にそのハードルが低くなって、事実上の自由化目前になっている地方騎手の中央参戦というのは、「アンカツ」安藤勝巳騎手のように地元の厩舎ぐるみ、場合によっては主催者ぐるみで中央の番組に参戦してゆくことを奨励するというチャンネルからだけでなく、このような下級条件相当の交流競走で乗せてみた地元の一流騎手たちの腕の確かさに中央の調教師たちがはっきりと気づき始めた、という方向からの覚醒もあったわけです。安藤騎手や小牧太騎手などに続いて中央で活躍し始めている地方の騎手たち――たとえば名古屋の吉田稔騎手や高崎の丸山候彦騎手などは、明らかにそういう交流競走での実績からその腕を認められていったケースだと思います。

 「来年度から中央は、未勝利戦を九月あたりでもう打ち切る方向に出てくると思うよ。その分、道営で未勝利戦をやるとか、そういうことを考えているんじゃないかなあ。あと、新馬戦も一頭につき一回しか出走できなくするとかね。今だとほら、ひと開催の中で折り返しで使うことができるし、場合によっちゃ連闘することもできなくはないけど、能力試験がない中央競馬ですからその分、そういうハードルを高くして一定の能力のない馬が競馬に出てくることを制限する方向に向かうんじゃないかな」(ある牧場関係者さん)

 狙ったレースからは除外続出、使いたくとも使えない状態が続き、3歳の秋までに勝ち星をあげないことには中央競馬にとどまれない――となると、地方競馬の交流競走でも使って未勝利脱出というのは、厩舎経営を考えても当たり前に選択肢に入ってこざるを得ない。また、主催者にしても、殺到する出走希望の未勝利馬を抽選だけで除外するよりも、出走馬のレベルで選別した方が番組の質は高くなるわけで、

 現在、その道営ホッカイドウ競馬での認定競走は、フレッシュチャレンジ競走が新馬戦、アタックチャレンジ競走が未勝利戦、といった位置づけになっています。賞金は、前者が一着二四〇万、後者が一一〇万。それ以外は平場の二歳戦になるわけですが、これはもう賞金が二十万円そこそこ、一気に認定競走の十分の一になってしまう。まして、仕上がりの関係や除外を食らったりで、アタックチャレンジでなく平場の未勝利を使わざるを得なくなった場合などは、勝ちたくないなあ、という場合だって出てくる。いずれにせよ、賞金水準だけ見ると、とてもじゃないけれども競馬場全体の競走体系とか賞金バランスとかは崩れてしまっています。

 「おおっぴらには言いにくいけど、みんな血眼になって狙いに行くのは二歳競馬、それも認定競走のフレッシュとアタックだってことは、もう常識だよね。古馬? そんなもんあてにしたって賞金が賞金だからさ。冬を越させるまでして抱えとく馬なんてそうそういないさ。まして二歳ならどうかこうかしてゼニにしたいわけだから、翌年まで居残ってるのは売れ残った馬か、でなきゃ牧場(馬主)が欲こいて売り損なった馬ばかりってことになるね」(ある道営関係者)

 そんな状況で、中央馬も使える交流競走の未勝利戦を番組に積極的に入れてゆくとなれば、すでに夏場のローカルの函館・札幌開催ではほとんど中央競馬外厩と言って悪ければ、馬のみならず騎手ともども重要不可欠なな支援競馬場として働いているホッカイドウ競馬が、さらに中央の制度の中に組み込まれてゆくことは間違いありません。


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 このように考えてくると、地方競馬の大激変は避けられない。正確に言うと、地方競馬から発するニッポン競馬全体の地殻変動ですが、それはひとまずおいておきます。まずは地方がえらいことになる。

 考えたくないことですが、西日本の地方競馬場の多くは向こう数年の間に、はっきりとその去就を決めねばならないことになるでしょう。中津、益田と姿を消し、近々問題になってくるのは、まず高知でしょうか。三年前に設定された執行猶予の期限が今年度いっぱいということで、リミットは来年春。何とか単年度黒字を出すという当初のハードルは、今もクリアできないままですから、橋本知事の決断ひとつで「廃止」が一気に現実化する。

 そうなると、益田や高知と共に騎手や馬の交流があった福山も孤立します。アラブ廃止の波が中央から、本来それとは別だったはずの地方にまで波及してきた中で、アラブ専門をはっきり打ち出した数少ない競馬場だったここも、ついにサラブレッド導入も含めた将来像の検討に入っています。これには「廃止」の選択肢も含まれているというのは、地元関係者の一致した見方です。

 佐賀、荒尾、中津で相互に開催協力する「九州競馬」の枠組みが一年で崩れた九州も、もちろん厳しい状況です。九州では、佐賀がリーダー格で賞金水準も荒尾より少し上、そういうことから「九州競馬」についてもとりまとめてきたところがあるわけですが、ここにきて佐賀の馬主会あたりから弱腰な声が聞こえてきたりで、むしろ荒尾の方が存続に向けての意欲が強い、という説さえあります。ただ、どちらにしても中国・四国地方の競馬場が先に打撃を受けてなくなってゆくと、流通その他の関係からも九州の競馬場だけが存続することも困難になってきます。地元鹿児島などの牧場で生まれた九州産馬については、今も中央の小倉開催では九州産特別まで組まれて保護されているところがあって、出走頭数が少なく層も薄いそれらを逆に狙って、北海道のタネ馬をつけた繁殖牝馬をわざわざ九州に持ってきて「九州産」にして出走させる馬主なども出ていますが、そんな国内での持ち込み馬みたいなねじれた状態も含めて、それらの馬が流れてゆく先の地方競馬場がなくなれば当然、一緒になくならざるを得ないでしょう。

 兵庫県は園田が早くからサラブレッド導入などで中央シフトを敷いています。小牧太騎手も岩田騎手というリーディングの上位ふたりが、この秋にも中央の免許試験を受けるという話もあります。とは言え、未だに番組の多くはアラブで組まれているわけで、サラ導入にしてもこれ以上はなかなか進みにくいのも事実。となると、最悪の場合は姫路を場外だけにして、西脇トレセン外厩にしながら何とか存続を図るという形になるのでしょうか。

 東海地区はどうでしょう。笠松や名古屋との関係が深い金沢も含めて、これらはゆるやかな関係があると言っていいでしょうが、これら東海・金沢の二歳戦平場の一着賞金がだいたい五十万前後。園田あたりもこれくらいの水準はまだ保っていますから、認定競走の一着賞金(約二百万円)とのバランスは、まだ道営ほどは崩れていないと言えます。にしても、馬房があいて困っているというのは他の競馬場同様で、売上の低迷も相変わらず。となると、賞金削減などもこれ以上進む可能性もあり、先のものさしから言うと平場の一着賞金も早晩、危険水域に入ってくることも考えられます。栗東トレセンとの距離が近いことから、笠松や名古屋の弥富トレセン外厩化しての生き残りが視野に入ってきても不思議ないでしょう。

 南関東も安泰とは言えない。大井・船橋・川崎・浦和の南関四場のうち、生き残れるのは大井と船橋くらいで、浦和はすでに開催権を大井に引き取って欲しいと言い出してたりしたのが、ここにきてどうやら新規の入厩を停止したという話で、これはもう完全に「廃止」シフト。ナイターで頑張っている川崎も、数年前から議会レベルでさまざまな存廃関連の議論が出ていて、手綱をひとつ取り間違えば一気に事態が進む可能性があります。

 北関東はというと、ここも宇都宮がもともと競馬場の賃借期間切れが迫っていたところに、開催権の返上を言い出してまず脱落気配。足利も瀕死の状況で、かろうじて高崎だけがまだ何とか競馬をやる姿勢を見せていますが、それでも、境町トレセンとあわせて半ば外厩化の道をたどるのが現実的になってくるかも知れません。

 上山はすでに黄信号から赤に変わりつつあるような状態で、賞金削減がギリギリまできています。おかげでオープン馬のかなりの部分が北関東などに流出してしまい、番組の魅力がなくなるという悪循環。一着賞金二十万まで下がってしまっては、岩手からアラブが移籍してきたとは言え、高知と並ぶ最も「廃止」が懸念される競馬場になっています。

 岩手はもともと主催者側が競馬の運営・開催のスペシャリストを育てる体制にあったのに加えて、芝コースを持った盛岡競馬場の新設など、中央との連携を積極的に図ってきました。認定競走の導入にも早くから手を挙げて、園田を抱える兵庫県と並ぶ中央シフトの主催者です。平場戦の一着賞金も何とか五十万円。東海と同じくらいの水準で踏ん張っていることもあって、売上げの低迷は同じでも、まだ何とか希望が見えているように思えます。

 以上、南から北までざっと地方競馬の現状と近い将来をスキャンしてみました。地方によって細かな事情の違いはあるにせよ、ざっくり言ってやはり現在、平場一着賞金が五十万以下にまで下がってしまっているところは、遅かれ早かれ「廃止」が現実のものになってくる可能性が高いと考えていいでしょう。言い換えれば、首都圏と阪神間中央競馬の競馬場(府中・中山・淀・阪神)を軸にして、それらでの開催とうまく連動してゆけるような外厩機能も兼ね備えた周辺の競馬場として生き残るというのが、これら地方競馬の数少ない選択肢のようです。もちろん、認定競走とセットで未勝利戦も含めた交流競走を番組にあらかじめ組み込んだ競馬を地元で提供してゆく。それもできなくなっている競馬場は、競馬の開催をあきらめて場外発売だけに特化するか、トレセンなどを持っていた地域では馴致・育成などを主に受け持つ外厩として厩舎関係者の一部を引き受ける、と。おおまかな流れとして、この見取り図はそんなに間違っていないと思うのですが、いかがでしょうか。正直言ってどこにいらっしゃるのか、あたしにはよく見えないのですが、少なくともこういうニッポン競馬全体に関わる大変動を冷静に見ているはずの方々には、ぜひともこのあたりのことを一度ぜひ、じっくりと聞かせていただきたいと思っています。