北朝鮮騒動のもたらすもの

 北朝鮮、えらいことになってますねえ。

 拉致疑惑なんて二十年も前からずっと言われてきてたわけで、いくら関係者が必死になって訴えてもメディアから政治家に至るまでがほぼ臭いものにフタ、門前払いで相手にしてこなかったくせに、ここにきていきなりみんなで渡ればなんとやら、で、テレビから雑誌から右から左まで全部その話題になっちまってるのは、それ自体なんだかなあ、という感じもあたしゃとってもするんですが、ひとまずそれはそれとして。

 ここから先、ほんとに知らない道に足踏み入れてゆかざるを得ないんだなあ、と痛感します。誰が、ってあなた、そりゃあたしらニッポン人が。

 ヘタなニュース解説みたいになって申し訳ないんですが、ざっと能書きを。89年11月、ベルリンの壁がいきなりぶっ壊され、91年にはソ連がなしくずしに解体と、十年ほど前に東西対立のいわゆる冷戦構造が崩壊、必然的にわれらがニッポンが依拠していた「戦後」ってやつもチャラにならざるを得なかった……はずなんですが、世の中の変動ってのはそうそう一気にやってくるわけでもなくて、ましてまわりの世界とは見えない壁のいろいろあるニッポンのこと、アタマではわかっていてもなかなか現実の側にそういう変化が波及してこなかった。

 政治で言えば、93年に細川内閣がはずみで成立、自民党一党支配の「55年体制」がここでまずチャラに。95年に阪神大震災が起こり、オウム真理教事件も炸裂、ここらへんから世間の雰囲気も不穏なものになってきました。あ、もちろん暮らしの下支えをしている経済方面でも、88年から89年あたりをピークに膨れ上がったいわゆるバブル経済の崩壊ってやつが、90年に平均株価が二万円を割って下落し始めたあたりからはっきり見えてくる。銀行の債権が不良化してにっちもさっちも行かなくなってる昨今の事態もこのへんから始まったわけですな。でも、わずか十年ばかりの間のできごとなんですけど。

 ちなみに、よく高度経済成長って言われるじゃないですか。あれもまた十年ちょっとなんですよね。いつ頃のことかっていうと、一応、61年に池田内閣の提出した所得倍増計画から73年のオイルショックまでってことになってるんですが、その間に蓄積したとんでもない「豊かさ」がその後、80年代にかけて日々の暮らしの中にさまざまに浸透してゆき、いまのあたしらが当たり前にしている暮らしのありようが整った、と。そこまではなるほど、「戦後」のパラダイムでまだ何とかやってこれたってわけであります。

 でも、もうあかん。いや、あかんらしい、ってのはそれこそ90年代の初め、冷戦構造の崩壊あたりからうすうすわかっていたのに、ほんとに自分のケツに火がつくまでは動かないのがニンゲンの常。このへんの事態を指して「失われた10年」なんて言い出したのは、世渡り上にわか経済解説屋になった村上龍の周辺だったようですが、あっという間に浸透したのも同時代の喪失感と無力感をうまくすくいあげるコピーだったんでしょう。

 ともあれ、マスメディアのまわりから始まって、これからほんとに大混乱が始まることと思います。北朝鮮が理想の国家だという60年代の認識のまんま、その後いくらでもそれに疑問符がつく情報がもたらさせてきていたにも関わらず、現実に合わせて修正もせずに横着に言い張ってきた人たちは言うまでもなく、その人たちの声の大きさや「正義」のモードに引きずられて考えなしに「報道」してきた向きが、どのように後始末をしてゆけるのか。まあ、例によって口をぬぐってなかったことにしてゆくのが大勢なんでしょうが、そういうメディアへの根深い不信感ってやつが、何も「メディアリテラシー」なんてカタカナのもの言い使わずとも、ある種の常識になってゆくはずです。

 それはあたし流におおざっぱに翻訳すれば、これまでの文科系的教養ってやつに最後通告が突きつけられる、ってことであります。テレビや新聞、雑誌に始まり、それこそ大学その他の学校空間なんかでも、そういう文科系的教養に与えられてきた無条件の信頼にあぐらをかいて無反省にもっともらしいことを言ってきたシトたちのうさん臭さ、信頼できなさがほっといてもどんどんバレてゆく。そしておそらく同時に、それらの教養が依拠してきた活字まわりへの信頼感ってのも最終的に色あせたものになってゆくんでしょう、困ったことに。

 ある程度は仕方ない、とあたしなんかは前向きにあきらめてます。あきらめてますが、でもまたここも同時に、もう一度活字の確かさ、穏やかさに足つけたものを考えるための足場を建て直すしかないとも腹くくってます。何も「教養」なんて言わなくてもいい。信じられる言葉、耳傾けるに足るもの言い、そして共に生きるに値する身振り、そんなものが自分の身に宿ってゆけるためのささやかな足場。半ば魔女狩りみたいな様相も一部呈し始めている昨今の北朝鮮「報道」を横目に、そんなことを改めて夢想しています。