ドミノ倒しがはじまった

 三歳のクラシックレースの緒戦GⅠシリーズ、桜花賞皐月賞も無事終わって、中央競馬が標準の競馬界ではいよいよ春の競馬シーズンまっさかり。芝コースの青さも日に日に濃くなっていって、競馬観戦にはいちばんいい季節の到来です。

 そんな中、地方競馬ではついこの間、三月三日にまたひとつ、小さな競馬場が閉じられました。栃木県は足利市渡良瀬川の河川敷にある足利競馬場です。

f:id:king-biscuit:20020303115033j:plain
f:id:king-biscuit:20020303114928j:plain

 地方競馬の世界では、群馬県高崎競馬場、同じ栃木県の宇都宮競馬場と三場、北関東ブロックといった形で一応、連携しているということになっていました。もっとも、地方自治体が仕切る公営ギャンブルのこと、互いに協力して売り上げを伸ばす、といったこともなかなか難しく、それに歴史的な経緯などもからんで主催者同士が罵り合いになったことも一回や二回じゃないとか。

 「情けない話なんですが、同じ北関東なのに栃木県所属の足利、宇都宮と群馬県の高崎とは伝統的に犬猿の仲ですからね。ちょっとこじれたら、おまえら殺してやる、利根川に埋めたろか、とか、そりゃもう殺伐としたもんです」(地元の競馬関係者)

 さらに、ここ足利や桐生などは栃木県に属しているとは言いながら、歴史的文化的にはむしろ上州圏。県庁所在地の宇都宮に対するよりも、むしろ前橋や高崎に対する親近感の方が強いという事情もあります。最近進められている地方の行政改革では、足利市は新たに群馬県編入されるなんて話も出ているくらいで、そういう土地柄が下地にあるからなかなか協力も進まなかったようです。

f:id:king-biscuit:20020303143333j:plain

 とは言え、独自資産を持っていない競馬場はどこも廃止の補償財源が見込めない中、渡良瀬川のほとりの足利競馬場は去年、国から足利市の所有名義に転換してあって資産として計算できるものになってましたし、何より悪名高い「中津方式」の波紋もあったのでしょう、厩舎関係者の失職はゼロにする、という市の方針があらかじめ表明されていたこともあって、同じ廃止と言っても中津や益田の時のような、行き先の見えない悲壮感はそれほど感じられないのはちょっぴり救いでした。

 「宇都宮競馬場トレセンというか外厩(競馬場外に設けられる厩舎施設)みたいな形で、厩舎機能はほぼこのまま残すことにしたんです。馬場の整備なども続けますし、競馬がここで開催されなくなるだけで厩舎の仕事としては基本的にこのままと考えていただいていい。あとは場外馬券売り場ですね。ただ、宇都宮さんも競馬場が賃貸期限がきてますし、外厩が多くてついこの間も馬が道路で交通事故にあったり、いろいろ問題もあります。何より、経営状態が苦しいのはどこも同じですから、今後どうなるかというのはまた別問題ですが……」(ある主催者職員)

 所属の調教師が26名、騎手9名、厩務員が101名で馬は約350頭。これらがまとめて宇都宮競馬場での開催にスイングされます。足利主催の開催権五回分も栃木県が引き取る形に。とは言え、地元のこの足利競馬場で競馬が見られることはもうなくなる。それにはまた別の寂しさがあるのも確かです。

 「ほんとはこっち(足利)で競馬やる方が施設面とか、いろいろ条件はよかったんだけどねえ。宇都宮がやめる踏ん切りがつかないんでモタモタしてるうちに、うちの方が先に手あげちゃったんだからしょうがないよねえ」(ある調教師)

f:id:king-biscuit:20020303124650j:plain
f:id:king-biscuit:20020303130209j:plain

 先々週、このシリーズの第一回で触れたように、市営足利競馬の累積赤字は約20億円。年間の赤字が2~3億ずつたまっての廃止です。ちなみに、最終日の入場人員は3000人前後で、その前日の日曜日も同じくらいだった由。それでも、ふだんの倍だったそうですが、去年の真夏に閉じた島根県の市営益田競馬の最終日でも5000人くらい入ってたことを考えると、やはり寂しい。それにこの日は、同時開催の高崎で結構いい馬を揃えた番組をぶつけてきたりして、やはりもうなりふりかまわぬ食い合いが始まってます。

 「伊勢崎市の境町に高崎のトレセンがあって、高崎在籍の馬は全部そこにいるんですが、そこはまだ地主から賃貸している土地なので、早く取得しろ、という声が強いです。取得したら高崎も補償財源が確保できるんで(廃止問題も)風向きが変わってくるんじゃないですか」(地元の競馬関係者)

f:id:king-biscuit:20020303150046j:plain

 53年の歴史の最後は月曜日の開催。それも、雨上がりのいささか肌寒い曇り空で、あたしも含めたいつものろくでなしたちの出足も、正直あまりよくありませんでした。

 場内の売店などもほとんどもう閉じた状態。スタンドの片隅に、足利競馬の歴史をたどる手作りの展示コーナーが設けられていて、29連勝という日本記録を達成したドージマファイターや、中央の皐月賞に参戦したハシノタイユウなど、地元の英雄たちの写真なども飾られていましたが、立ち寄るファンの姿も少なく寂しい限り。報道陣の姿も、地元のテレビ局が入っているくらいで、それも最終レース後に予定されていたセレモニーまでは手持ちぶさたの様子。

f:id:king-biscuit:20020303130340j:plain

 ノリヤクたちはというと雨天用のビニール引きのカッパ仕様の勝負服を着て、いつもと同じように黙々とと番組をこなしていました。厩務員も同じ、装鞍所で出番を待つ間、自分の馬の脇で黙ってタバコを吸っている。調教師たちはというと、これもまたいつもと同じように天狗山(調教師席)に陣取って日向ぼっこする猫たちのようにそこにいて、駄話をしている。

f:id:king-biscuit:20020303144833j:plain

 今日でもう競馬場がなくなるというのっぴきならないはずのその日、「うまやもん」たちはなぜかいつもそうでした。その「なにごともなさ」を、あたしはこんな言い方で表わしたことがあります。

 「どうしようもないこと、の前でどのような態度をとるのか、というのは、案外その人がどういう仕事をしてきたか、に規定されるのかも知れない。少なくとも、身体ひとつで何か身の丈を超える現実と対峙し続けてきたような仕事に携わってきたような人の場合、ジタバタするのでなく、饒舌にまぎらせるのでもなく、ただそこにじっとうずくまってしまうような態度になってしまうような気がします。それは、妙なたとえになりますが、ハンターに追い詰められ、自分に狙いを定めた銃口を前にした動物が時に見せる「覚悟」のありかたとも似ているように思う。あるいは、レース中に故障して競走中止した競走馬が、痛みと興奮とがひとしきりおさまった後に、ふと見せることのある表情の静謐にも。」
            (「※※※※※※※」『洋泉社ムック/地方競馬の逆襲』)

 地元ではSMAP張りのいいオトコで知られ、女性ファンも多い高崎の水野貴史騎手がいました。最近では中央競馬にも積極的に乗りに出かけて、勝ち鞍もあげている彼です。最近、中央の方でも活躍してるじゃないの、と水を向けたら、そんなことないない、と大仰に謙遜する。
f:id:king-biscuit:20031231132003j:plain

 「とにかく、こっちの馬じゃもう競馬にならないよ。そりゃあ、交流競走とかあるから中央で使える馬は使ってるけど、あっちの馬とはスピードがとにかく違う、こないだもダートの1200メートルで一分十一秒台で走られちゃうんだからさ。でも、下級条件だったら相手次第で勝負になると思うし、まただからうちらもわざわざ乗りにゆくんだし……」

 そう言ってから下を向いて、ちょっぴりてれくさそうにこう続けました。

 「やっぱり、地元の馬で中央を負かしてやりたいじゃない?」

 少し前、バブルの頃には四兆円産業と言われるまでに膨らんでいった競馬ブームを盛り上げた立役者の中には、オグリキャップイナリワンドクタースパートといった地方競馬出身で中央競馬に殴り込んだ「野武士」たちがいました。それは、地方生まれの出郷者が故郷を離れて切磋琢磨、ついに大都市の晴れ舞台でオトコになる、という、近代日本に連綿として流れてきた「出郷者」の心情の反映であり、三十年前のハイセイコーブーム以来、成熟した大衆レジャー段階に到達したニッポン競馬を支える「おはなし」として、ろくでなしたちの心の中に確実に流れていたものでもあります。浪花節や演歌にも通じるようなそのような「おはなし」は、現実にはもう力を失いつつあるものの、競馬を稼業とする「うまやもん」たちの心にはまだ確実に生き続けている。いつかは中央で……それは何も騎手だけじゃない、厩務員であれ調教師であれ、できれば自分が手をかけて養った馬で大舞台を駆けてみたい――そんな夢が「うまやもん」たちの心から消えることはありません。北海道は北見の馬喰だった自分の父親をモデルにした中山正男の名作『馬喰一代』の心意気は、茶髪にチョーカー、身なりもさっぱりこじゃれて、休日にはスノーボードやウィンドサーフィンをこなすいまどきのアンちゃん、若い「うまやもん」たちの中にも、まだ脈々と生き続けているようです。

 この日のメインレースは重賞の足利記念。「ここは一発オレが決めるしかないっしょ、オレのキャラからしても」と、例によって軽口を叩きながら馬にまたがったのは、ノリヤクには珍しい気さくな性格と自らのバンドでCDまで出す芸達者で知られる内田利雄騎手。その言葉通り、中央下がりのシンボリメロディーで1900メートルを三コーナー過ぎからまくって快勝。快速で鳴らした女傑ベラミロードで全国区の交流重賞に参戦、サービス精神旺盛なことでも全国屈指の彼は、スタンドのろくでなしたちはもちろん、いつもゼッケンその他の手入れを手伝ってくれる従事員のおばちゃんたちの「内田さ~ん、こっち向いて~」という、田舎のおばちゃん丸出しな嬌声にまでも、泥だらけの顔で愛想よく手を振っていました。

f:id:king-biscuit:20020303152701j:plain
f:id:king-biscuit:20020303153515j:plain

 同じこの春、危ないと伝えられたのが山形県上山競馬場でした。

 来年度中に単年度の赤字が三億円に達したところで開催休止、という報道が新聞などに流れて、すわ、ここも廃止か、と、地方競馬関係者に衝撃が走りました。単年度の赤字が去年の段階でも年間十二億円あまり。ということは、三億円などは夏場までの開催で簡単に赤字になってしまう。ヘタしたら梅雨頃までしかもたないのでは、といった憶測が飛び、何より地元の厩舎関係者までが「そんな赤字がミエミエの開催するくらいならば、いっそ年度始めから廃止にして、その三億円の分をこっちの補償によこせ」と言い始めたりで、一時はもう四月から競馬はできないんじゃないか、とまで言われていました。

 影響も出ました。仙台市郊外に建設予定だった場外馬券売り場の計画も頓挫。ここは全国に先駆けてナイター競馬を導入したことで知られ、地方競馬では優良コンテンツを誇る南関東の大井競馬が相乗りで馬券を売る予定で、地元も誘致に大賛成だったという珍しいケースなのですが、地元の上山が廃止になりそうなので御破算になりそうだとか。上山や岩手の馬たちは冬場、競馬のない期間は大井など南関東の競馬場に移籍して戦っていたり、またそれを追いかける地元ファンもいて、なじみがある。何より、こういった場間場外発売の充実はいまの地方競馬の苦境救済の数少ない手だてのひとつなのですが、こんなところにも「お役所仕事」、タテ割り行政の弊害が出ています。

 それでも何とか平成十五年度の予算を編成、競馬の開催にはこぎつけていました。東京などより少し遅い北の春。ちょうど桜が見頃のいい季節。残雪がまだ望める山々を背景にしたロケーションは定評があって、「日本一美しい競馬場」と言うろくでなしも少なくない。ある種、理想的な「小さな競馬場」かも知れません。

f:id:king-biscuit:20030422144646j:plain

 「ここは数年前に若い衆(厩務員)の待遇をよくしたからね。ほれ、いい人材を集めんといけん、ってことで社会保険とかもちゃんと入るようにしたんだ。だから結構人は集まったんだけど、その後に売り上げが下がってこんなことになったんで裏目に出た」(ある調教師)

 馬を一頭厩舎に預ける費用が預託料。その多くは人件費なのですが、中央競馬の場合は最低でも月に六十万円、地方遠征などがあった時はどうかすると八十万円も請求が来ることがあるそうです。逆に、中津や益田が廃止直前の水準でだいたい十万円そこそこ。現在まだ開催している地方競馬でも高知などは、厩舎によってはそれ以下になっているところもあります。中央だろうが地方だろうが、はたまた一流馬だろうが下級条件相当馬だろうが、馬の食べるものなど実費はそんなに変わらないわけで、残るは人件費などのコストを切り詰めてやりくりするしかない。にしても、この十万円という水準では利益はほとんどないも同然。上山の預託料はというと、今のところだいたい十二万円くらいとかですから高知よりもまだ少しましですが、それでも、若い衆や騎手の給料を出すのは並大抵じゃないと言います。

 「今、厩舎の馬房が850頭分くらい。幸いそのうち八割くらいは充足していますから他の競馬場に比べてそれほどひどい状況というわけでもないんですが、とにかく売り上げが伸びないことにはどうしようもない。県営ならば同じ十億でも母体が大きいからまだしも、市の予算規模だと厳しいものがありますね」(ある主催者職員)

 中津も益田も足利も、このところつぶれた競馬場はみんな市営、ないしは市営の開催が大きな比率を占めていた競馬場です。昨今の地方行政改革の一環で市町村合併の話がどこも進んでいますが、それにからんで合併先から「だったらおまえのところの競馬の赤字を何とかしろ」と言われて、それがきっかけで一気に廃止機運が、というケースも少なくない。ここ上山も、隣の山形市との合併話にからんで去年あたりから急に存廃議論が浮上してきました。

 「確かにまあ、そういうことをおっしゃる方もいます。でも、競馬場というのはあるだけで立派な資源なんですよ。行政も宣伝媒体として考えたらこんなにいいものはないはずで、実際、今からこんなもの新たに作ろうったってこのご時世、多くの自治体は自前じゃ新たに作れないと思いますよ。ですから、単に財政に寄与するかどうかだけでなく、もっと広い視点から競馬を活用しよう、ということを一生懸命訴えているんです」

 この上山では最近、「冠協賛競走」ということを始めています。普通のファンでも一万円用意してくれれば、自分の好きな名前をレースの冠につけていい、というもの。「誕生日、結婚記念日、入学・就職祝い、企業PRにご活用下さい」(主催者側広報資料より)とのことで、なるほど、「阪田英裕27歳誕生日記念」とか「加久保陽太誕生1周年記念」といった微笑ましいレース名が出走表はもちろん、競馬新聞にも刷り込まれています。事実この日も「働く婦人の家研修記念」などがあって、地元の婦人会とおぼしきご婦人方が多数、勝ち馬と一緒に口取り写真(レース後の記念写真)に収まり、勝利騎手に賞品を贈るプレゼンターの役を演じていました。
f:id:king-biscuit:20031028153233j:plainf:id:king-biscuit:20030422152719j:plain

 「一日遊ばせてもらってお馬さんのそばにも行けて、競馬場って楽しいわねえ」

 まるで遠足のようにゾロゾロと主催者の案内で競馬の楽屋裏にやってきたご婦人方、慣れない手つきで買った馬券もそこそこ当たったらしくご満悦。

f:id:king-biscuit:20030422152845j:plain

 「最近では他の競馬場でも始めていますが、この試みはうちが最初なんですよ。とにかく競馬場と競馬にもっと親しみを持ってもらわないといけない。始めから赤字覚悟の予算編成なんで厳しい状況は変わりませんが、これでもいい時は一日で一億円以上売っていた実績があるんです。新潟(県営)がなくなって、東北じゃもう三場(岩手の盛岡、水沢とこの上山)しか残っていないわけですから、何とかつぶさないように頑張ろうと思っているんですよ」(主幹の●●さん)

 上山のような競馬場では、走っている馬の多くが他県からの転戦馬。中央から下がってきた馬もたくさんいます。戦歴を見るとまさに歴戦の強者ばかり。年齢も高齢馬が目立ち、中には十歳馬も混じります。生産頭数が年間三百頭台にまで落ちてしまって、事実上消滅の危機にあると言われるアラブもまだ一割程度在籍している。古馬ではすでにサラブレッドとの混合戦になっていますが、残ったアラブは結構奮闘しています。

 人ばかりではない、そんな〈その他おおぜい〉の馬たちの働ける限りは働ける場所を確保することも、競馬に携わる行政の仕事としてあるはずなのですが、さて、そういう「馬政」の視点を持った改革というのはいま、果たしてどのあたりに宿るのでしょうか。

f:id:king-biscuit:20031231150358j:plain
f:id:king-biscuit:20030422163427j:plain