さあ、「朝鮮人」と呼ぼう

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 もうはっきり言おう。われわれはどうやら、朝鮮人が嫌いである。

 韓国人、でも、北朝鮮人、でもない。「朝鮮人」だ。北も南もない。昨今、いろいろ緊張が高まっている状況だからこそ、かの半島の人たちをひっくるめて「朝鮮人」、と、すんなり呼べるようにしておきたい。

 差別だ、過去の歴史に対する反省はどうした、と、お約束の非難がお約束の方面から雨あられと降りそそぐだろう。だが、考えてもみよ。アメリカ人、フランス人、インド人、ブラジル人……それらと全く同じように、Korean に対応する日本語としての「朝鮮人」、を口にするのがなぜ、こんなに不自由なままにされているのだろう。

 かつての民族差別を想起するから、などという優等生の理屈はひとまず却下だ。言葉自体を抹殺したままでは、その歴史も経験もなかったことにされてしまう。何より、あちらは今も遠慮会釈なく「日本人」と呼び、時に罵倒すらしてくれているらしい。ありがてえ、だったらこちらももうそろそろ呼ばせてもらおう、正しく「朝鮮人」と。相手の姿をまず母語できちんと言葉にする作法が失われたままじゃ、ちゃんと喧嘩もできなければ、まっとうな近所づきあいも生まれっこない。

 「朝鮮人」と正しく発音しない、できない自称良識派が、かの半島の錯乱や盲動を生ぬるく見つめるだけで放置してきた結果が、今の拉致問題であり、竹島問題ではないか。そういう態度こそが、本当の意味で差別的ではないのか。だから、さあ、「朝鮮人」と声にだそう。そして「嫌い」とはっきり言おう。そこから初めて、未来に役立つ生きた相互理解も始まる。

*1:案の定ボツ原稿ですが……新聞じゃキツいですよ、とのことでした。あと、大阪方面がこわいし、ですと