「おたく」と嫌韓

 いまさらながら、ではありますが、「おたく」のトシのとり方、について、この忙しいのに改めてちみっとだけ。

 と言ったところで、すでにひと山いくらで汗牛充棟、その割に単なる自己弁護だの居直りだのが色濃くたなびいてて、ほんとの意味での世代性だの同時代の反省だの「われらいずこから来たりていずこへ向かうや」的な深遠でめんどくさい問いだのにはどうにもつながらず、まして、そこから発してこれまたほんとの意味での「歴史」だの「文化」だのはたまた「伝統」だのといった部分にはなおさら縁遠く、そうこうしてるうちに今や「おたく」自体がもうこの21世紀のドキュナイゼーション(笑)の茫漠たる広がりの中に埋没し始めている、と。だもんで、そういうこれまでの能書きにさらにバカを積み重ねるつもりはあたしゃありませぬ。

 だから、ここはごく素朴に考えてみようということなんですが、たとえば、です。こういう顔ぶれパッと見て、いまどきのフツーのシトたちはどういう感じを抱くのかなあ、というあたりから。

 http://moura.jp/frames/gainax/anno/anno_profile.html

 庵野秀明以下、まあ、かのガイナックス界隈の、なんというかある種のブンカの最前線、のお歴々であることは間違いない。とは言え、知名度って面から言えば、あまり一般的というわけでもない。新聞の文化欄や学芸欄、週刊誌はもちろん、それこそテレビのワイドショーのレベルでブンカ人認定されてるってわけでもない。まさにサブカルチュアの立ち位置、って感じではあります。

 で、世代的には昭和30年代生まれ。あたしなんかとも同世代、ってことになりますが、そのへんも含め気になるのは、このお歴々のこのツラ構えというかたたずまい、のあたりであります。

 庵野がベタに「濃い」のは今さら、ですが、それはちょっと別モノとして斟酌するにしても、その他の面々もまた揃いも揃ってビミョーにオレってクリエーターだよ、的自意識漂っている。いや、それはまあ事実商売はクリエーターなんだから当たり前なんでしょうけど、その自意識の漂い方が皮かむり、良くも悪くもホーケーっぽいんですよね、これ。

 敢えて言えばもう少し上の世代、団塊の世代からもう少し下あたりまでのこの手の人たちにあったような、それこそゲージュツだのセカイだのカクメイだのシソウだの、ってあたりに入れあげてたムケ具合とは、皮一枚か二枚、あらかじめズレちまってるような気がとてもするのであります。まあ、この「ムケてる/ムケてない」ってもの言いはだいぶ前、“ナベゾ渡辺和博が持ち出してたんですが、確かにある種の自意識の、あらかじめ腰が引けてしまわざるを得なくなっている世代的な宿命ぶりを表現するのにぴったりくるものではありました。

 何が言いたいかというと、「おたく」化してきた果ての中年(だって四十代ですからねえ)ブンカ屋ってのは、こういう具合にムケないままのツラ構えのままで、で、それでとりあえず困らないような生け簀の中でグルグル回遊しては、上の方から振りまかれるエサ拾って、ムダにトシだけ重ねてゆくんだなあ、という、自省も込めたやりきれなさを、ああ、感じちゃったなあ、ってことなんですけどね。

 「おたく」と資本主義的怠惰(苦笑)、ってのは本質的にものすごくなじむもので、というか、もともと生まれてきた土壌が「カネとヒマ」を前提にしているわけですから当たり前。それは最も戯画化すれば昨今言われる「ひきこもり」だの「ニート」だのにもなるわけですが、でもそれは、自意識の相で考えればいまのニッポンにおける自意識の守り方、言わば生命維持モードで日々をやり過ごす上でひとまず合理的な選択だ、ってところは情けないかな、確かにある。カラダ張って、生け簀なんざ知ったこっちゃねえ、とばかりに飛び跳ねようものなら日干しになること必定。またそれをよしとする視線自体、世間に宿りにくくなってしまってるわけで、何を好き好んで「熱い」ゲージュツだのに忠誠誓う必要があるものか、と。

 そんなことを考えていて、ふと、気がついたんですが、いわゆる嫌韓厨が朝鮮人や半島カルチュアを苦笑しながら毛嫌いする気分っていうのは、靖国だの竹島だの歴史認識だのといった理屈の水準とはひとまず別に、何よりまずそういう半島系三国人カルチュアが今のそういう自分たちから見たら、どう考えても意味なくムケたまんまにしか見えない、ってところもあるような。それは、「団塊の世代」が同じように嫌韓厨的世界観からは同じく疎まれ、排除されるのと構造的に同じだなあ、と思います。以下、機会があればまた続きを。

●編集後記

 韓流ドラマ、ってのもまだしつこく流れてますが、ニッポンでウケたものについてはあれ、70年代のニッポンのサブカルチュアコンテンツのエッセンスを参照してたから、ですよね。で、その原体験を共有するオバサンたちにウケた、と。『三丁目の夕日』的な青春ノスタルジーの奇形版、ってところですよ、あれは。

 同工異曲かな、と思って期待してなかった映画『フラガール』が、かなりいいデキで、特に常磐炭坑の描写が地方競馬の厩舎界隈と酷似してて、あたしゃ不覚にも涙しちまったりしたんですが(内緒)、最後のタイトルロールであれを仕掛けたのがシネカノンだとわかって、椅子から転がり落ちそうになりました。やりやがったなあ、李鳳宇、ってカンジです。でも、しずちゃん以下、どうしようもなくビンボ臭いニッポンの身体をいまどききちんと発掘してくるあたりは、インテリヤクザ朝鮮人も使い道あるかも、と思いました。