立ちパンダ異聞

 タヌキが立ったくらいでなんでそんなに大騒ぎに? と、ひとりいぶかっていたら、あれはタヌキじゃない、レッサーパンダなんだそうである。白黒じゃないこんなレッサーパンダがニュースの主役になったのは、浅草の連続通り魔がかぶっていたファンシーな帽子以来だろう。風太一族による汚名をそそぐ一発芸、パンダ界のためにはひとまず喜んでおきたい。
 しかし、このところわが同胞は、生きものにやたら弱くなっていないか。犬猫はすでに雑誌やテレビの客寄せ看板に欠かせぬアイテムになり、女子供の歓心を買いたければとにかく生きもの、それもできれば毛の生えたやつを、と商売人たちがなだれを打てば、いまやそれどころかイルカやクジラ、さらに立派にウロコのついたのまでも十分オッケー、アニメやマンガ、CMキャラでも生きもの系は確実に打率が稼げる。気がつけば、クマノミは「ニモ!」、ゴマフアザラシには「タマちゃんだあ〜」で、ハムスターは「あっ、ハム太郎だ」、で片づける子供たちが現れるしまつ。こうなるともうある種教育問題だ。
 これらの風潮、もとをたどれば高度成長期、子供の誕生祝いに動物のぬいぐるみを贈るのが流行し始めたあたりからか。ちょうどあたしと同世代、昭和三十年代生まれの家族アルバムから、生きもの系ぬいぐるみに囲まれた写真がにわかに増えてくるはずだ。いまの空前のペットブームも、それら小さい頃に生きもののぬいぐるみが身近にいた原体験を持ち、長じてその後実際の犬猫その他へ移行していった世代が中核となって支えている。立ちパンダ風太のぬいぐるみの出現も、時間の問題であります。