政治の自意識を問う選挙

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 ようやく、今回の衆院戦の隠しテーマが見えてきた。政策論争? 政権交代? いやいや、そんなもんじゃない。戦後六十年、ニッポン政治の自意識こそがいま、問われているのだ。

 たとえば、インターネット上では、かの綿貫サンは大人気。国民新党が四コママンガで政策をアピールしたのだが、小泉総理をヒトラーになぞらえたり、そのデキがあまりにベタでレトロでひと昔前のアジビラ並みな代物だったり、「国民」印の印籠を取り出して「昭和の黄門だ」と見栄を切り、取り巻きの記者に「平成ですよ」と突っ込まれたり、「古きよきニッポン」「本当の自民党」の回復を大まじめに訴えたり、と、いやもう、かわいいったらない。兄弟分の新党「日本」も負けていない。突如しゃしゃり出てきた田中康夫長野県知事以下、揃って「ニッポン、チャチャチャ」とはしゃぐあたり、まるで修学旅行の原宿で舞い上がる田舎の中学生のような愛らしさだ。

 女性候補もそうだ。今回、「刺客」と目される候補には、昔で言えば職業婦人、仮に落選しても困りそうにもない人たちが多い。オトコと同じ土俵で勝負してきた“キャリア”の信頼感がウリになることで、オンナであることでゲタをはかされ、また良くも悪くもそれを利用してきた旧タイプの女性候補との違いがいやでも際立つ。どの党の女性候補であれ、今回、この図式から逃れられない。型通りに「弱いオンナ」を演じたりすると、むしろ逆効果にすらなりかねない状況は、これまでの選挙ではなかった。これこそ、本当のジェンダーフリー、じゃないか。

 要するに、政治家が抱いていたセルフイメージ、こう見て欲しいワタシ、が期せずしてあらわにさせられている、今回はそういう選挙、ということだ。政策だの公約だの、そんな立派なタテマエが実はどんなトホホなワタシに宿っているのか、そこのところをもう、われら国民はじっと見つめている。 

*1:30日公示だったもので、公示以降は選挙ネタはNGということでひとまずボツ、でした……選挙後に改めて、ということですが、どっちにせよ書き換えないと。