丸川珠代はなぜ号泣したか

 いや、すごいもんを見ちまいました。丸川珠代の号泣。

 それもこともあろうに、片山さつきに抱きついてワンワン泣いてやがんの。桝添要一の元ヨメにして東大出の元大蔵官僚の国会議員。丸川も東大卒のテレ朝女子アナ出身の参院議員候補、ってわけで、高偏差値キャリアてんこもりのこれでもか、のまんこ二匹が熱く抱擁の図、ときたもんで。あああああ、もう……(以下略)

f:id:vigilante:20070721192948j:image

 そのココロは? 高度経済成長の「豊かさ」を全身で享受して育っちまったいまどきのニッポン人の、高偏差値な東大まんこの実存丸出しの底知れぬ不幸、ってやつが、あの図に全部まるごといっさいがっさい集約されてそこにあった、ってことですな。

丸川珠代氏号泣

珠代、涙がでちゃう―。武蔵小山駅前に立った午後6時過ぎ、丸川氏は前日同様「投票権を行使していなかったこと、恥ずかしい思いでいっぱいであります」と演説を始めた。23秒間、頭を下げ続けたところで、聴衆から励ましの声。つぶれた声で何とか演説を終え再び頭を下げたが、顔を上げられない。下を向いたまま袖で2回、涙をぬぐった。

「本当に恥ずかしいばかりで」丸川氏は涙の理由を説明してまた涙。いつもの白ではなく、黒いツーピースを着たことには「みなさんに反省の気持ちが少しでも伝われば」と、絞り出した。

夕暮れの感動劇場で、出直しの決意を存分に表現した丸川氏。この日はさつき氏、塩崎恭久官房長官とともに、商店街を1時間45分かけて練り歩いた。さつき氏は「(選挙権問題から)再チャレンジさせてほしいわね」と語ったが、立ちはだかる壁は一つではなかった。

またこの日、浅草雷門前で演説した川田龍平氏=無所属・東京選挙区=からは「政治を志すものとして、投票に行ってないなんて信じられない。これはきちんと有権者に判断してほしい」と厳しく非難された。今週末には、安倍首相、石原慎太郎都知事が応援に来る予定。選挙権問題ショックからの巻き返しはなるか。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070720-OHT1T00080.htm


 詳しく展開しだすとおそらく本一冊書き下ろすハメになっちまうんで、思いっきり端折って言っちまいますが、要は、アタマがいい=ベンキョができる=ガッコの優等生=センセの覚えめでたい+見てくれもまあキレイorカワイイ=オンナとしてもちやほやされる、というコンボの不幸をあらかじめ背負っちまったことで、てめえの内面、ココロの中身という、男女を問わずニンゲンにとって一番肝心なところをうまくなでてもらったことのないまま、うっかりとオトナになっちまったいまどきのエリート女性が、果たしてどれくらい中身からっぽすっからからんのまんま、メディアと経歴の空虚な波乗りやりまくってまだ気づかないまま生きてやがるのか、ってことであります。

 泣いて見せて同情ひこうって戦略だ、なんて、これまた陳腐でありがちな憶測もありましたが、あたしの見る限りそりゃ違う。あれ、素(す)でっせ。素(す)で号泣しちまった、そしてよりによって片山さつきにうっかりと抱きついちまった、というあたりが、ああ、こいつやっぱりこれまで性的存在の領域も含めてきっちりオトコ(じゃなくても別にいいんですが)に向かい合ってもらったことがないんだなあ、つまりホントの意味で「つきあった」ことがないんだなあ、というのが、見るやつが見りゃこの上なくわかりやすくうっかりとさらけ出されちまった、と。言わば全裸のスッポンポンのアテクシ、ってやつを丸川、ここにきて衆人環視の中、ついつい丸出しにしちまった、というわけでありますよ。

 あたしゃこれでもかつては東大駒場で非常勤の教員やってたこともありますし、同じ頃、これまた東大系高偏差値まんこてんこもりの職場であるNHKの仕事なんかもやってましたから、東大まんこの学生時代およびそれから後、の不幸ってやつはこれで結構見ている。とにかく、オンナであることにまともに向かい合ってもらってないのがあまりに多くて、それは「アタマがいい」「ベンキョができる」「東大」などという部分でみんなオトコがドン引きしちまうから、ってのは考えたら予想できるわけですけど、あたしがつくづくココロ萎えたのは、そういう状況にあるカノジョら自身がどうして自分がそういう部分で不幸なまんまなのか、言わばニンゲンとしてココロのカタワになりかねない状態に置かれたまんまであることを、アタマが(一応は)いいはずなのにどうして気づけないのか、ってことでありました。まあ、そういう種類の不自由なアタマのよさ、しか育てられなかった「豊かさ」以降のニッポンの教育=偏差値教育、ってことなんですが。

 片山さつき、あたし同い年の59年は昭和34年生まれで当年とって48歳。筑波付属中高から現役で東大文一、大蔵省から国税局、退官後に衆院選に出馬初当選。桝添とが一回目のケコーンで離婚、次も官僚(産業再生機構執行役員、とか)とくっついてやんの。丸川珠代はっつ~と、71年の昭和46年生まれだから当年とって37歳。結構トシ食ってやがんですね。神大住吉中から大教大池田、ってことはあの惨殺事件の高校ですが、そこから東大経済、んでもってテレ朝に、という経歴。あの雅子サマがケコーンする時も、こういう種類の高偏差値まんこのキャリアてんこもりおなかいっぱいのありよう、ってのが満天下にさらされたわけですが、やっぱり「なんかちょっとヘン」という程度の違和感、ビミョーななんだかなあ感、てなものは、多くの同胞はフツーに感じているような気がします。

 マジメなハナシ、脳みそと下半身のつながり具合を自省する回路、穏やかにことばにして共有してゆく作法を、われらニッポン人はどこかで見失っちまったんだなあ、とずっと思っています。かつてはそれなりにあったらしい。もちろん、それが今のわれわれから見てどれだけ野蛮なものであったとしても、そして男女の性差の仕切りの中にとどまっていたとしても、当時は当時なりにそういうことばは保たれていた。でも、それが「豊かさ」をくぐり抜けることでどういうからくりからか、いまやすっぽり抜け落ちちまってるらしい。「オヤジ」は下半身をことばにしないゆえにオヤジだったわけですが、しかしいまやオンナの方もまた、たかだかやせたことばでおのれの下半身を語ることしかない、そしてそれを雛型にしてオトコの側の下半身も語ろうとする過ちを野放しにしたまま、結果、若い衆を始めとしたオトコの深刻なオンナ嫌い、が進行してしたり、一方では「オヤジ」化のさらなる果てに「干物オンナ」なる面妖なシロモノまで跋扈していたり。

 「自由」を自ら確認してゆくこと、がどこかで自分から離れたところで勝手に肥大して歯止めがきかなくなっちまってる、そんなビョーキ。ミスコンでも資格でも試験ベンキョでも水商売でも何でもいい、己を確認して「自由」を確かめてゆくことが、どんどん何のためのものかわからなくなってゆき、そのままステージの高みから降りられなくなって自意識ストリップ状態。