思想としてのライブドア

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 かのホリエモン堀江貴文と、じかに話したことは数回しかない。それも記者会見だの何だのの火事場状態での立ち話程度。だもんで、あちらはこっちをちゃんと固有名詞として認識してはいないだろう。

 地方競馬参入がらみの案件で、あの乙部のおねえちゃんに「これってあなたが詳しいんでしょ、だったらあなたがやってよ」と、いきなり言い渡され、わずか二時間でこさえさせられたプレスリリースを記者会見で社長のやっこさん、いきなり読むはめになって、きっと掛け値なしの付け焼き刃だったにも関わらず、その場の意地の悪い新聞記者連の質問に対してもそんなにポイントをはずさずこなしてのけたのを、こちとら会見場の後ろから眺めていて、ああ、やっぱりアタマはいいんだな、と改めて思ったものだが、それでも、正式な取材等を含めて、膝つき合わせて親しく話したことはない。ないまま、ついにやっこさんはいま、拘置所の中の人、である。

 ただ、ホリエモン個人とは別に、ライブドアという会社についてならば、鮮烈な印象がある。

 一昨年の九月、廃止確定でにっちもさっちもゆかなくなった高崎競馬の現場関係者をライブドアにつなぐ役回りを担った時、慣れない六本木ヒルズでまさにおのぼりさんよろしく右往左往した果てに、出てきたのは当時、ホリエモンの片腕のひとりと巷間言われていたライブドアファイナンス「副社長」の肩書きを持つH。茶髪にピアス、どう見ても携帯ショップのアンちゃんか、場末のホストにしか見えない風体で、地方競馬はおろか、ニッポン競馬の仕組みそのものについてもほとんど知識があったとは思えないのだが、パーテーションで仕切った会議室の片隅に招き入れられてこちらのせっぱつまった七転八倒の話を、ふんふん、と、かったるそうに聞くこと十分ほど、「ああ、つまりそれって既得権益の問題でしょ、商社なんかと同じ」とはっきり一言、そして脇にいた若い衆に「できるよな、だったらうちで」「できるできる」とやりとりして即決、ダメもとの話がいきなり軌道に乗ってしまったのだからその腰の軽さというかノリのよさに、ある程度予想していたとは言え、かなりびっくりした。

 その後、競馬の監督官庁である農水省やらその外郭団体やらに話を通してまわることになって、そこでまた、彼らの言う「既得権益」の側が理屈抜き、皮膚感覚で「絶対にライブドアだけはダメ」と強硬に抵抗してみせるのに遭遇、単なる役人根性などを超えたその異様なまでの頑強さにこれまた再び驚いたのだけれども、ああ、どっちにしてもこれは双方絶対に話が通じないだろうなあ、という感想だけは強く持ったものだった。そして、こりゃあマジに幕末だよなあ、とも。たとえば、高杉晋作奇兵隊に相集ったような若い衆と、幕藩体制重臣たち、果ては幕臣に至るまでの当時のエスタブリッシュメントなお歴々との間にあった超えがたいミゾ、というのもきっとこんな感じだったのかなあ、とか。

 それくらい、双方の距離、互いが生きているはずの現実=〈リアル〉の質、というやつは、同じニッポンの中でありながら、どうしようもないくらいの落差をはらんでしまっているものだった。単なる世代差や、既得権益とそれに対する改革者、あるいはまた、実業と虚業、といった既存の図式にむりやりあてはめようとしても、絶対にそこからもれおちてしまう何ものかがある、その何ものかをうまく言葉にすることはこちとらとてまだできないにせよ、少なくともそういう抜きがたい確信だけは、彼らライブドアの若い衆(だろう、どう考えても)とのつきあいの中で抱くことになった。

 あれは会社というか企業じゃないよ、一匹狼の投資家集団だよ――ライブドアの印象について人に尋ねられた時は、そんな風に答えていた。楽天テキヤだとしたら、ライブドア博徒だよ、とも。テキヤだから露店からショバ代かすめて商売するのは当然だし、博徒なんだから金融や投資から競馬まで手を出すのも不思議はないさ――ありがちな比喩だけれども、今でもそう的はずれでもないと思っている。

 ホリエモン、のイメージもまた、その後のフジテレビ買収騒動から彼自身がキャラクターとしてメディアの舞台に躍り出てゆく過程で、もう収拾のつかないくらいに乱反射させられていったのだけれども、少なくともあたしにとっては、彼のあの猫背気味でずんぐりむっくりなカラダと、他人と眼をあわせにくそうなうつむき気味のたたずまいは、あの時の確信の向こう側にずっと鈍く像を結んでいる、そんな感じではあったのだ。


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 そんな中で、ホリエモン在日朝鮮人説、というのが、ある時期から流布されていた。表舞台のメディアでは言いにくい分、インターネットを介した空間でまことしやかに語られていた。

 ありがちな陰謀論の系譜、ではある。在日、被差別部落ユダヤ……ゼニカネがらみの突出加減があればなおのこと、そのような「異人」の表象は容易につきまとうのは、今も昔も変わりはしない。もちろん、それらの説を精力的に喧伝していたようなサイトは、実は限られているのだが、ネット空間の本質として、情報の発信元がどのようなものかとは別に、ただ断片的な印象と換骨奪胎とで、情報の中核にはらまれている、あるイメージだけは自在に浮遊する。陰謀論がネット空間でこそ増殖しやすい理由というのは、おそらくそのへんだ。あらっぽく言えば、ネット空間というのは近代以前、それこそ近世のような時空の位相の混沌とした情報環境を、この高度情報化社会の懐にバーチャルに構築しているようなもので、だからこそ、噂も流言蜚語も風説の流布も何でもあり、その意味でも確かに、パラレルワールドのようなところがある。

195 :番組の途中ですが名無しです :2005/11/08(火) 23:59:05 ID:dbu+Oh+00

堀江は思いっきり在日なんだが…。

堀江の韓国マンセー発言の数々

・「新しい歴史教科書」は発行禁止と発言。

・愛国的な記事を載せる産経新聞を、経済だけを記事にする経済専門新聞に路線変更と発言。

・同じく愛国的で日本の誇りである『正論』は廃刊と堀江が発言。

・「韓国のIT技術は日本より上。 造船・鉄鋼・繊維でも韓国に抜かれた」。

・「韓国の企業は優秀で攻撃的」。

・「拉致問題北朝鮮に援助をすることで解決を目指す」。

・「外国人労働者をどんどん受け入れていく」。

・「韓国のドラマみたいにインターネットで視聴者の意見をもとにシナリオを変えたら面白い」。

・フジの番組企画会議で、ブームが過ぎた韓流タレントの番組を提案して失笑を買う。

ソフトバンク孫は高校の先輩で交流がある。

ホリエモンの母親が、半島の人間だというだけでなく、ホリエモンの取り巻きには“統一教会”の人脈に取り巻かれ、そこからユダヤ国際金融勢力に連なるのである。かつてのロスチャイルドの米国代理人クーン・ロエブ商会(現在のリーマン・ブラザース)が、フジテレビの買収資金を調達・提供していたことからも、北朝鮮ユダヤの使用人であることは明白である。同じく、北朝鮮ユダヤの使用人に、小泉純一郎という男がいる。(…)悪魔の宿るフリーメーソンの森の建てた悪魔の巣窟「六本木ヒルズ」に立て篭もって、組織の送り込む暗殺者の影に怯えるホリエモンも、豊田商事の永野暗殺ケース・オウム事件の村井暗殺ケースが、エイチ・エス証券副社長の野口英昭の暗殺によって、次は「自分」だと察したのである。(…)このエイチ・エス証券副社長の野口英昭変死の事件の件で、エイチ・エス証券社長の澤田秀雄が記者会見があったが、この澤田という男も北朝鮮系の在日で、ホリエモンの取り巻きが、ユダヤ ー 統一教会 ー 北朝鮮系在日 ー 指定組織暴力団 - 麻薬 という線が浮かび上がって来る。これは、小泉純一郎ホリエモンも、全く同じ構造である。(…)今を時めいていた国際ユダヤ北朝鮮在日朝鮮人の間接支配による植民地支配の構造の摘発を開始したということは、日本人のふりをしている小泉・ホリエモン・澤田らの売国奴売国犯罪の摘発に乗り出したという「愛国的行為」なのである。

Hよやっぱり朝鮮人か! 【9/16 (木) 6:00】

◎いやまいった。あいつはやっぱり朝鮮人だった。誰が?って、ITの社長で久留米当たりから出てきた田舎モノである。マルフク(=九州のサラ金:かつては電話権利で金融を行っていた)の会長と仲がいいなんていっているから、変だな、と思ってたんだよ。そしたら案の上のチョン公。女にも親にも恵まれず、本当の愛を知らないその成りすましは、やがて屈折した人生観を持つに至ったのだろう。「すべてカネ」「女なんてカネ」なんて発言はそこらへんから来ているのと思われる。かわいそうなチョン公である。ただ、レイプ好き=女性へのサド性向があるチョン公の血そのままで、女に対して見下した気持ちしか持てない卑しい血筋だから致し方ないとも言える。

(…)それにしても、そのITの社長はやることも考えも故新井将敬に似ている。新井もチョン公成りすましだったが、大蔵省に入って政治家になった。光通信の重田のところに奥さんの名前をもじったトンネル会社「マリ・ネットワーク」というものを作っていたことを思い出す。ただ、最後は自殺したが。まったく孫のハゲといい何といい、変なのはみんなチョン公だな。ITはチョン公、成りすましが非常に多い。上場している連中で仲がいいのは皆チョン公。気になるなら戸籍を洗いなさい。そうだから。

堀江は05年の衆院選公職選挙法をクリアして出馬したことで明らかなように、日本国籍を持っている。彼はよくも悪くは日本社会の一員であり、本件は国内の刑事事件にすぎない。

但し、05年に堀江が行ったニッポン放送株買収によるフジサンケイグループ(FCG)への乗っ取り計画に国際的な背後関係があった場合は、話は別だ。堀江はFCG傘下の出版社、扶桑社が発行する歴史教科書について批判的な見解を表明しているが(『AERA』05年2月21日号 p.20「堀江フジサンケイ支配」)、堀江が外国勢力の指示や支援を得て、日本の報道や教育に干渉しようとしたのなら、それが判明した瞬間から本件は国際問題になる。たとえ扶桑社発行の歴史教科書の内容が不適切なものであったとしても、その是非は日本国民が主体的に判断すべきであり、外国勢力が「売国奴」を雇ってスパイ工作を仕掛けて発行や普及を妨害することなど許されない。そういう事実が判明した場合は、扶桑社の歴史教科書を批判して来た朝日新聞といえども、堀江を非難するであろう。

たしかに日本の刑法には「売国罪」という罪はない。しかし、報道や教育を「外国に売る」のはにんげんのクズのすることであって、それを行った者が社会的生命を断たれるのは当然だ。「移民の国」「自由の国」である米国でさえ、マスメディア経営者には米国籍の取得を義務付けており、豪メディア王のルパート・マードックも、米国でFOXテレビを経営するために米国籍を取得している。

 実際に、ホリエモンの出自に半島の血筋が入っているかどうか、は、ひとまずどうでもいい。要は、ホリエモン=在日説がある程度、ああ、そうかも、と思われる前提がゆるやかに共有されていたことであり、だからこそ在日説も静かに広まっている、その点である。

 いわゆるITベンチャー系企業とその動きに詳しい人間たちに、素朴な質問を投げてみた。

 「ITベンチャー系に在日が多いか、ですか? う~ん、実際に多いかどうかはわかりませんが、一部にそういう人たちがいることは確かですね」

 「自分からそういうこと(出自とか)は言わないからわかんないけど、何かの拍子で話に出てくることはあるね。まあ、目立つから余計に言われるってところもあるんだろうけど」

 またそんな質問を、という顔で苦笑いしながら、彼らはそれぞれ気さくに応じてくれたのだが、正直、自分でカミングアウトしたようなケースは身近にもそうはないという。そりゃそうだろう。ならば、と、質問の方向を変えてみた。彼らの稼業まわりで突出してゆく人間、毀誉褒貶ひっくるめて目立って成功してゆくような者の条件とは、さて、どんなものだろうか。

 「……ほんとの天才か、何かしらハンデを持った人間のふた通りだね」

 あるひとりは、少し考えてから、しかし静かに力強く、こう言った。

「それは、血筋であれ何であれ構わないんだろうけど、要は積極的にリスクをとりに行く、そうするしかないような立場の人間ってことだね。わかりやすく言えば家が貧乏だとか、片親であるとか、まあ、言ってしまえばミもフタもないんだけど、そういうこと。ここ一番で勝負に出てゆかざるを得ないようなやつ、ってことだよ」

 それって、ヤクザや右翼と同じじゃないですか、と思わず反応すると、そうかも知れない、とまたかるく笑った。ITだなんだって言ったって、しょせんそんなもんだよ、世の中って今も昔も。

 貧困が存在する。いや、これまでのような貧困とは違う現われになってはいても、ある欠落や不満足を結果せざるを得ないような種類の、何より自ら選びようもない社会的な「格差」というやつは、未だ厳然と存在する。これまた、思えばあたりまえだ。だからこそ、そういう条件の中に「在日」であるとか、「被差別部落出身」であるとかは、事実としてもあり得るだろうし、現実にそういう連中は生きている。今はもう陳腐にしか聞こえないもの言いだろうが、「ハングリー」とは、実にそういうことのはずだ。

 ホリエモンと同じITベンチャーの風雲児としてひとくくりにされてきたところのある、楽天三木谷社長についても、在日説はまことしやかに語られている。

層化が後ろに付いてる三木谷、在日資本・総連とつながりのある禿。何もない豚。この差はデカイよな。

三木谷も在日朝鮮人では、ないですか?「ロッテ」を漢字にかえると「楽天」と書きますから。また彼の出身地は、在日の多い神戸の長田でしょう。

 真偽は同じくどうでもいい。ITベンチャー=濡れ手で粟のカネ持ち、というイメージそのものが、「在日」と結びついて〈おはなし〉を律動させてゆく。株式市場や金融の世界が「戦後」の枠組みの中で、”おおっぴらには語られにくい領域”になってきたこと、その程度にゼニカネの現実について正面から言葉にすることを潔しとしない、する必要もない来歴を、われわれニッポン人が持っていること、それは大きく引いたところでは近世以来の、貨幣経済が列島に浸透し否応なしに市場が編成されていった国民的規模での経験が、近代以降もなお、明確に現実=〈リアル〉を反映する言葉やもの言いにつながらないままでいたことの、良くも悪くも結果である。

 ホリエモンからすれば明らかに人生の雛型になったはずの、ソフトバンク孫正義と、楽天三木谷の生い立ちを精力的に追いかけた児玉博が、こんなことを言っている。

在日韓国人3世として生を受け、佐賀県鳥栖市の「無番地」から成り上がった孫社長と、ベンチャー起業家でありながら、どこかエスタブリッシュメントの雰囲気を漂わせる三木谷社長。この2人の生き方はコインの裏表のように対照的です。孫社長の半生は波瀾万丈であり、強い物語性があります。だが、それゆえに、孫社長の生き方をほかの人が真似することはできない。「経営者」という以前に、「革命家」である彼の足跡は、後に続く人々のロールモデルにはなり得ない。

 これを敷衍すれば、孫正義の生い立ちには未だ「戦後」の影が濃厚に落ちていたのに対して、三木谷の方にはそれが薄い、ということだ。まして、ホリエモンにおいておや。孫1957年生まれ。三木谷1965年生まれ。堀江1972年生まれ。相互にたかだか7、8年ずつの違いでしかないが、しかし、10代から20代そこそこの思春期から青年期を、それぞれ60年代、70年代、80年代に過ごしたことを考えれば、その世代経験の違いは単なる数字以上に意味を持ってくる。「戦後」のニッポンを同時代として生きた者ならば、そのことは容易に理解できるだろう。



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 すでに知られているように、ホリエモンは九州は八女郊外の産である。福岡県南部、筑後川流域の久留米文化圏。孫正義もまた、この久留米文化圏に属する鳥栖に生まれている。何より、高校が同じ久留米大附属高校。さらに、孫の弟の泰蔵とは、久留米市内の塾で同じクラスだったという。当時の塾関係者が言う。

「目立ったというか、そんな印象はあまりなかったですね。あとで言われて、ああ、あの子やったか、ぐらいの話で。天才とか神童とかそういうんとは違います。いかにも勉強のでける利発そうな子いうんは他にもいくらでもおったですし……」

 このへんは、報道されていた八女の小学校時代の恩師の印象「難しい質問をよくしてくる子供だった」といったものとは、微妙に違う。地元八女では優等生でも、久留米では目立たない子、になったのだと思う。その印象は後に、東大に入ってからも同学年だった某女子アナも言っている。「苦学生かと思った」――当時、90年代に「苦学生」というもの言いが出てくるのもすごいが、そんなアナクロさがあるくらい違和感があったということだろう。せっかく現役合格した東大もろくに通わずじきに中退してしまうのも、そんな学校エリートたちの共同性になじめない何ものか、が彼には根深くあったのかも知れない。

「安月給のサラリーマン家庭で育った。親の経済力と子供の能力は無関係です。経済的理由で力を伸ばせない子供はたくさんいるはず」(堀江自身の発言から)

 ありふれた、決して裕福とは言い難いサラリーマン家庭の、しかも母親が早い時期に家を出た、かなりスパルタ教育の父親のもとで、ホリエモンは育っている。片親の家庭において母性という受け皿のない九州マッチョイズムによる抑圧と屈託。子弟の教育に集中投資するのは近代このかた、恒産なき常民の世渡り術のひとつだが、西南日本、特に九州ではその傾向は著しかった。小倉や博多、熊本など旧幕藩体制下の城下町の有為転変の中、そんな教育熱は異様に加熱した。大正初年に新設されて数年で全国有数の進学校になり、勉強しすぎで殺される、とまで言われたのは、徹底軍隊式教育の小倉中学だったが、久留米もまた、藩校の伝統を引き継ぎ、明治初年にすでに三潴郡だけで寺子屋が百軒を数え、武家子弟の就学率は60%あまりに達していたという。没落士族も、そして新たに勃興する持たざる者=近代常民たちも、身を立てる術として教育に熱中する。敗戦から戦後に至るも、その記憶は地下水のように受け継がれる。高度経済成長期、それまでにない「豊かさ」が現実になってもなお、親の世代が遺伝子として継承する「教育」熱はそれ自体半ば自動化してうなりをあげた。巷間言われる「受験戦争」「偏差値教育」問題の片側には、そんな遺伝子として刷り込まれた「教育」の記憶が抜き難く関わっている。そこに九州マッチョイズムのスパルタ式が加われば、間違いなく屈託を生み出す素地になり得るだろう。

祖父の代に開拓の為に八女に来たらしく、もともと八女の血統ではないようだ。在日出身かどうかは正直微妙。でも、カネへの執着心を見ると十分在日ではあるが....

 後に、「幸福な家庭なんてあるんですかね」と露骨にシニカルな発言を繰り返す彼の原風景である。父親の指示で、中学から高校の六年間をずっと自転車で通っていた、という話もすでに有名だ。八女から久留米市内までは約20キロ。十代の男の子とは言え、往復40キロはやはりきつかっただろう。通っていた久留米大附設中・高は九州では有名な進学校で、久留米市南東の郊外に位置するから、八女市内岡山の自宅までは久留米市街の東側を南北に通る国道三号線か、その間道を通っていたはずだ。筑後川矢部川流域にあたるこの界隈の沿道には、古墳群がいくつも残っている。百科事典が友だちで、裕福な家庭の子弟があたりまえにいる進学校へ孤独な自転車通学をしていたホリエモンは、通学途上でこれら古墳群に夢踊らせていたのか。

 八女には帰りたくない――そんなことも彼は言っている。故郷に錦を飾る、といったかつてならば成功者があたりまえに抱いていたようなルサンチマンは、彼にはひとまず欠落しているように見える。あらかじめ風土から引き剥がされた身体。先行する同郷人、孫正義が、在日三世としてのハンデをバネに、自らのルサンチマンを「海外」に向けて発散させることができたのは、まだそれだけ風土から実存への逆照射、トポスの恩恵といったものがあったからこそ、だったはずだ。それに比べてホリエモンはというと、ああ、百科事典と古墳!である。初手からバーチャル、つくりものの手ざわり。かけがえのない現在、どうしようもない「自分」の立ち位置から必ず一歩離れたところに像を結ぶしかないイメージの銀幕。情報としての知識のタペストリーに内なる屈託を吸い取られたまま、彼は「受験」という風洞をくぐり抜けてようやく東大にまでたどりついたのではなかったか。そしてそこで出会ったのがインターネットだった、と。

 かくて、久留米の風土は彼の身体から疎外され、そこに放り出されたままだ。幕末から維新にかけて西南雄藩の間で右往左往して蹉跌した久留米藩と有馬氏の顛末も、からくり儀右衛門も、三越を興した日比翁助も、久留米絣も月星化成もアサヒ靴もブリジストンも、アメリカにわたって「馬鈴薯王」と呼ばれるようになった牛島勤爾も、「南風」を描いた夭折の青木繁も、馬に執着し続けた画家、坂本繁二郎も、何よりあの肉弾三勇士も「勇猛果敢」で鳴らした久留米第四八連隊も、いずれ「郷土」久留米とその周辺にまつわるそんな「歴史」に収斂してゆくあれこれは、おそらく彼の身体にほとんど目立った痕跡を刻んでこなかったのだと思う、少なくとも意識の上では。

九州男児の肝の太さ 

 

[上海特派員二十三日発] 自分の身体に火の点いた爆弾をしばりつけて敵陣の鉄条網に飛び込んで、爆弾もろともに木っ葉微塵に粉砕されて、活動写真に見られる以外事実としてあり得ぬような壮烈極まりなき空前の戦死を遂げた久留米工兵大隊三勇士の行動につき、○団司令部宮脇少佐は感激の涙にひたりながら語る。

 

 全く素晴らしい豪胆さだ。悲壮だ。何とも言いようもない壮烈の死だ。九州男児はどんな肝っ玉を持っているのか底が知れない。三勇士の万に一つにも生を期していない犠牲行為があったればこそ、混成旅団が楽々と廟行鎮を占領して、しかも今後における郡の行動を極めて有利に導いたことはもちろんだ。実に我が陸軍精神を極度に発揮して遺憾なきものだ。三勇士に対しては、いずれなんらかの特別の沙汰があると想う。

 拘置所の中で、さて、ホリエモンは自分のうちの「九州男児」に、ふと、思い至ったりすることはあるだろうか。そして、その向こうに八女や久留米の、抜きがたく土地にまつわってくる微細な記憶は………

 「風土」とIT、情報環境の変貌と「歴史」の位相について、そして何より、株式市場や金融が司ってきた「経済」の手ざわりについて、もう一度自前で言葉にして考えようとする時に、ホリエモンライブドアが期せずして垣間見せた「幕末」は、おそらく、これから先もっと誠実に吟味され、味わわねばならないものになってくるのだと思う。それは、「拝金主義」だの「儲け優先思想」だのといったありきたりの惹句で片づけられていいようなものでは、断じてない。

 彼らの〈リアル〉にもっと穏当な、言葉を与えようとすること、そしてその先に「風土」や「郷土」、「国柄」といった水準にまでつながり得る可能性を見せること、その力技の有無がこれから先、思想としてライブドア騒動を考えようとする態度には求められている。法律論や道徳論とはまた別に、であること、言うまでもない。