「女帝」問題の陥穽

 皇室の「女帝」問題について、ひとこと述べておく。

 ご懐妊と期を一にしながらにわかに議論のテーマになってきた問題だが、なにせ「国民の象徴」として「戦後」を生きてきた皇室のこと、国民感情からすれば「オンナの天皇だって、もう別にいいよね。だって、海外には女王様だっているんだし」程度の認識が普通だろう。で、是非は別にしてそれは感情として正しい。そもそも皇室とは、伝統とは、といった議論だけでそれら国民感情に抗するのも、何やら蟷螂の斧。

 ひとつだけ、まだ誰も言っていない大事なことを、うっかり言う。靖国問題ともからむのだが、さて、今後天皇が女性になっちまった場合、いわゆる「恋闕の情」ってやつは、果たしてどういう始末になるのだろう。虚実含めて天皇に恋いこがれた心情は、今となってはほぼ理解不能、歴史的産物になっちまってるが、だからといってこういう局面でも配慮できないのはまた別だ。

 天皇は神であり、神という約束ごとの下に国家的忠誠というのもあり得た。それはむくつけに言えば、性的な領域も含み込んで成り立っていた制度なわけで、少なくとも明治このかたの皇室とは国民感情との関係においてそういうもの、だった。そこらへんが「戦後」、なかったことにされて、

 皇室は性的な領域にも根深く関わっている。俗流フェミニズムのお利口さんたちに扱ってもらわずともいいが、それでも戦後、どうして人間になんかなっちまったんだよ、という感情が、国民のある部分に確かにあった。そのことを忘れた「歴史」沙汰、「伝統」議論など、民俗学者の眼からは茶番に過ぎない。