不良デンパガイジン跋扈す

まあた、こういう不良デンパ系ガイジンがなんかやらかしやがったなあ、と。

講談社から邦訳が出るはず、だったのが、宮内庁および外務省から内容の事実誤認などを指摘されたこともあり、すったもんだで出版中止になって今なお悶着継続中、の書籍『プリンセス・マサコ』の一件であります。

断っときますが、あたしゃ現物見ていない。訳稿見てないのは出版されてないんだから当たり前として、悪いがあちらで出された原著も眼にしとりません。でも、言います。これ、書いたガイジンがヘン。ベン・ヒルってオージー。肩書きは、え~と、オーストラリアのなんとかいう新聞の東京支局の記者とかなんとか。

原著はこんなの。

http://www.benhills.com/books/PrincessMasako/index.html

タイトルは、邦訳すると『雅子妃――菊の玉座の囚われ人』、って感じですかね。

向こうで出版されたのは去年、それがここにきて一気に問題が表面化したのは当然、邦訳版が出ることになったからでしょう。ただ、もともと外務省は内容について把握していたはずで、駐オーストラリア大使館経由ででも報告があったはず。そこから宮内庁にも、というこってしょうか。まあ、その程度には仕事してるんでしょうな、外務省のお役人も。そう言えば、三笠宮妃は麻生ローゼンの妹だっていうし、そりゃなあ、身内の恥を毛唐にバラされたんじゃ、ローゼン黙っちゃいないよなあ。外務省にネジ巻いて……いや、特に巻かなくてもそのへんの機微を察知して手下はみんな動くってもんでしょ。

一応、13日の外務省報道官の記者会見記録じゃ、こんな感じです。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/hodokan/hodo0702.html

報道官会見記録(平成19年2月13日(火曜日)15時05分~ 於:本省会見室)

「Princess Masako」の著者及び出版社に対する抗議

(報道官)昨2月12日、ベン・ヒル氏が著作した「Princess Masako」という本に関し、著者及び出版社に対し、上田駐オーストラリア大使発の書簡及び渡辺宮内庁侍従長発の書簡を手交の上、抗議を行い、先方に対し、謝罪及び速やかに適切な措置をとるよう強く求めました。この「Princess Masako」は、皇室に対する事実無根の侮辱的・抽象的な内容を有する極めて問題の多い書籍であったために、今回の抗議を行うに至ったものです。なお、同じ2月12日、上田駐オーストラリア大使より、グレイ豪州外務貿易省副次官に対し、本件に対する我が国の取り組み、考え方等について説明の上、我が方の重大な懸念を伝達しました。

(問)配布された資料の日付は2月6日になっているのですが。

(報道官)手紙を書かれたのは2月6日ですが、それを現地に届け、実際に先方に渡して抗議の旨を伝えたのは昨日2月12日のことです。

(問)「事実無根の極めて侮蔑的な記述」と書いてありますが、具体的にどこがどう違うのかということと、なぜこれがこの時期に宮内庁ではなく外務省なのか、外交的意味を含めたのかということをお願いします。

(報道官)まず後者の質問からお答えします。なぜ外務省からなのかという点ですが、この書物については、「日本国の象徴」であり「日本国民統合の象徴」としての立場にある天皇陛下をはじめとする皇室の方々、更には日本国民を侮辱するとともに、実態と乖離した皇室像を描いていることについて、日本政府としてこのような書物を看過することはできないということで抗議を行ったものです。同時に、渡辺侍従長より、天皇陛下の御公務について、明らかに誤った記述があるということで、特にハンセン病の件についての天皇陛下の御公務について、常にお側におられるお立場から、侍従長が公務内容を詳しく説明し、先方に回答を求めるという書簡が同時に発出されているという形になっています。内容に関して、どの部分が侮辱的なのか、どの部分が誤りなのかという点についてはいくつかあるわけですが、特に、御公務についての誤った記述というものは、渡辺侍従長の書簡、これは先程、宮内庁の方で記者に書簡の写しが配られているかと思いますが、そこに詳しく誤りの内容が記載されています。更に2・3の例ということで申しますと、例えば、186ページに、女性の着物について、これは従属の象徴であるという記述が見られ、これは事実を誤認していると思いますし、更に、200ページに、日本の政治制度に触れた中で、これを欧米スタイルのいじけた猿真似であるという記述があります。これについても、日本側の長きにわたる民主的な制度に対する明らかな事実誤認であり、かつ、極めて侮辱的な表現であると受け止めています。

(問)抗議の書簡を、なぜ著者と出版社だけでなくオーストラリア政府という著者の国を相手に出したのか、その点について教えて頂けますか。

(報道官)今申し上げたように、大使からグレイ副次官の方に伝えたわけですが、これは、日本国の象徴である天皇、更に国民に対する侮辱ということで、オーストラリア政府にもこのような事情を知っておいて頂くということと、同時に、日本政府として大変懸念しているということを、オーストラリア政府にも伝えておくことが適当であると判断したものです。

(問)先方の反応というのはどういうものだったでしょうか。

(報道官)昨日、先方に伝えたわけですが、先方は、本著作について特段の問題はあるとは考えていないという立場を述べつつ、いずれにしても、今後の対応については検討したいということを述べています。更にグレイ副次官は、豪州政府としては、一般論として、国家元首に対ししかるべき敬意が払われるべきだろうとした上で、本件については、出版社、著者と日本側との問題であるので、事態の推移を見守りたいといった反応でした。

(問)政府として特定の書物にこうした抗議をされたことというのはこれまで何度かあるのですか。

(報道官)最近の事例で、特に皇室関係ということで申しますと、2002年6月に、ジャパンタイムズの報道で、陛下の御公務に関連して、日本国民に触れ合う機会が少ないのではないかという、これは元駐日英国大使であったヒュー・コータッツィ氏の文章がジャパンタイムズに掲載されたものに対して訂正を要請するということがありました。更に最近の事例ですと、2005年6月、南ドイツ新聞に雅子様の結婚に対する考えについて、これを後悔しているといった趣旨の記事が出まして、これに関し、大使館の方から、先方に対して訂正を申し入れたという事例があります。過去、古きにさかのぼって全てどうだったのかという点までは調べていません。

(問)大概は皇室に限ってということなのですか。それとも、他にも。

(報道官)外国の様々な報道が、日本政府の立場あるいは総理、閣僚等についてコメントする中で、明らかに事実関係を誤っている、取り違えているというケースにおいては、しばしば我々は訂正を求めたり、意見投稿というのでしょうか、意見をそれぞれのメディアに伝えるということをしています。その意味では、むしろ皇室以外の関係で非常にしばしば行っていると申し上げた方が正しいと思いますが、皇室に関して、特に外国のメディアに限れば、先程申し上げた2件が最近の事例と承知しています。

(問)今挙げた訂正を求めた2つの例なのですが、2回とも、先方の反応というのはいかがだったのでしょうか。

(報道官)ジャパンタイムズの2002年6月の報道については、訂正といいますか、事実関係に関わる説明がなされています。2005年6月のドイツの新聞の事例ですが、これは翻訳上のミスがあり、内容が逆に捉えられたというケースだったようで、つまり、「雅子妃殿下が結婚を後悔しているということはありません」という関係者の話を、「後悔しています」と取り違えたという翻訳のミスがあったという説明がなされたと承知しています。

(問)事実関係の確認なのですが、出版社は、これもオーストラリアの出版社ということでよろしいでしょうか。

(報道官)ランダム・ハウス・オーストラリアという出版社です。

求めているのは「謝罪、およびすみやかに適切な措置」ということで、まあ、事実誤認があるから素直に詫び入れて、その部分は訂正してよね、ってことでしょう。講談社もそれを受けて、著者のヒルというおっさんと話し合って手直しした邦訳草稿を準備していたのに、なんかこの件で取材を受けたヒルのおっさんが「あやまることはないもんね」と開き直っちまったのが聞こえたから、「あ、こりゃあかん、やっぱりアブないヤツだわ」と講談社が一気にバック踏んじまった、という感じです。

文書で出したのは、宮内庁の方がどうやら先なんですね。1日付けですが。侍従長渡辺允 の名前で出されてます。

http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/hills-letter.html

2007年2月1日

ベン・ヒルズ氏へ

 貴著「雅子妃ー菊の玉座の囚人」について、この書簡を送ります。

 長年皇室報道を専門としてきた或る老練な新聞記者が、この本を読んで、「各ページに間違いがあるのではないかというくらい」不正確な箇所が目につくと書いています。また、より実質内容に関わる観点から、政府は、この本の描いている皇室像が如何に歪んだものであるかに驚き、対応ぶりを検討しています。その間、ここでは、天皇皇后両陛下の側近にお仕えしている立場から、両陛下に直接関わり、しかも明らかに事実と異なる一つの箇所に絞って、問題を提起します。

 この本の第七章で、貴方は、「天皇には、年間に千件以上・・の公務があるといわれるが、いずれも、・・当たり障りのない行事への、負担のない形式的な出席ばかりである」と述べた上で、「日本の皇室が、ダイアナ妃による・・レプロシー・ミッション・・への支援のような論議を呼ぶ事柄に関わりをもつことはありえない」と断定しています。

 ここで貴方は、両陛下が、四十年にわたってレプロシー、すなわちハンセン病の問題に大きく関与してこられたことを全く無視しています。日本には、全国各地に十三箇所の国立ハンセン病療養所があります。両陛下は、1968年、皇太子皇太子妃の時代に、鹿児島県の奄美大島にある療養所をお訪ねになって以来、2005年までの間に、これらの国立ハンセン病療養所のうち青森、群馬、東京、岡山(二箇所)、鹿児島(二箇所)および沖縄(二箇所)の各都県にある九箇所を訪ねてこられました。

 これらの療養所のご訪問に当たっては、入所者と膝をつき合わせ、手を握って、病いと差別、偏見に苦しんできたその人々の苦しみを分かち合い、慰められるとともに、園長、医師、看護師など入所者の世話をしている人々の労をねぎらってこられました。

 1975年に沖縄県の療養所の一つをお訪ねになった時には、入所者が、御訪問を終えられてお帰りになる両陛下を、沖縄の伝統的な別れの歌を歌ってお送りし、また、後に、感謝の意をこめた詩をお送りしました。これに対し、天皇陛下は、沖縄特有の定型詩を詠んで、この人々の気持ちにお応えになっています(陛下は、さきの大戦で唯一地上戦が行われ、その後1972年まで米国の施政権のもとに置かれることとなった沖縄の人々の苦難を理解する一助として、沖縄の古典文学を学ばれました)。2004年、両陛下は香川県高松市をお訪ねになりましたが、その折、市の沖合にある小さな島の療養所から入所者が来て、両陛下にお目にかかっています。また、翌2005年の岡山県ご訪問の際は、ほぼ一日をかけて、島にある隣接した二つの療養所をそれぞれお訪ねになりました。 これまで入所者にお会いになることができなかった三箇所の療養所については、皇后陛下が、それぞれの園長をお招きになって、現状をお聞きになっています。また、皇后陛下は、政府の委託によって過去の日本政府のハンセン病患者隔離政策を批判的に検証した2005年の報告書が出版された際には、関係者をお招きになって、説明を聴取しておられます。

 両陛下のこれらの活動は、常に静かに行われてきましたが、両陛下とハンセン病問題に関わる以上の事実は、全て報道され、記録されており、初歩的な調査によって、容易に知りうることであります。

 また、天皇の公務は、「当たり障りのない行事への、負担のない形式的な出席ばかりである」というのが貴方の見解でありますが、例えば、1975年に皇太子同妃として沖縄を訪問された時には、ご訪問に反対した過激派が至近距離から火炎瓶を投げつけたにもかかわらず、全く予定を変更することなく訪問を続けられました。1995年、戦後最悪の自然災害となった阪神・淡路大震災が発生した際には、被災地に飛ばれ、本土と淡路島の双方にわたって、被災者の避難した小学校の体育館などを回ってその人々と一日を過ごされました。1994年、終戦五十年に先立ち、両陛下は、硫黄島に赴かれ、日米双方の戦死者のために祈られました。2005年には、終戦六十年に当たり、さきの大戦で激しい戦闘の行われたサイパン島を訪問され、炎天下、島内の日米韓各国民と現地島民の戦没者のための慰霊碑や大勢の婦女子が戦争の末期に身を投げた崖などで心をこめた祈りを捧げられました。

 両陛下は、社会福祉の分野全般にわたって、この四十七年、困難を抱えた人々をたゆみなく励まし、慰めてこられました。これまでに、全都道府県の四百箇所を超える福祉施設知的障害者身体障害者高齢者、幼児などのための施設)を訪ねられ、外国においても、英国のストークマンデヴィル身体障害者スポーツ・センター(1976)、いくつもの福祉施設が集まり、人々がナチス時代にも障害者たちを護り通したドイツの町ベーテル(1993)、米国のナショナル障害者サーヴィス・センター(1994)など様々な福祉施設をたずねてこられています。貴方の母国オーストラリアでは、皇后陛下が、パース・リハビリティション病院(1973)を訪ねておられます。

 貴方は、両陛下のなさっていることが、無意味で形式的なことばかりであると示唆しているように見えますが、仮に、そうであるとするならば、何故、世論調査で、現在の形の皇室に対して、常に七十五パーセントを超える支持があるのでしょうか。また、何故、両陛下が地方に旅行される度に、何万という人々が両陛下を歓迎するために喜んで沿道に出てくるのでしょうか。

 以上の諸点について、著者はどのように考えるのか、少なくも、事実関係のはっきりしている皇室のハンセン病への関与に関して、回答を求めたいと思います。

           侍従長 渡辺 允

外国人でジャーナリスト(笑)で、ってだけでなんかゲタはかせてしまう性癖、ってのも、こちとらポンニチには確かにありました。ええ、一時期までは。

古くはあのイザヤ・ベンダサン(もちろん正体は……でしたが)なんかもそうですが、そこまでいにしえにさかのぼらなくても、近くはたとえば、『人類を幸福にしない日本というシステム』のウォルフレン(最近、どうしてるんでしょうか)とか、『菊とバット』や『東京アンダーグラウンド』(この本、ゴミです)ホワイティングとか、もっとマイナーだとマンガ評論のフレデリック・ショット(この人の書くものは割とまとも)とか、音楽関係だとピーター・バラカン(何して食ってるのか謎)なんかもこの類に入れていい。あ、逆にもっと色モノで、かのデーブ・スペクターを忘れちゃいけないですし、最近だとベンジャミン・フルフォードなんていうあなどりがたいデンパ物件もあります。ともあれ、なんというか、90年代に入ったあたり、サヨク/リベラル系の風向きがあやしくなり始めた頃から、しつこくこういう白人系のリベラル風味の書き手というのが仕込まれてきているように思えるのは、はて、偶然なんでしょうか。

で、今回のこのヒルというおっさんも、書き手のキャラ、立ち位置として、まさにそういうリベラル風味のガイジン文化人パターンの劣化コピー、という臭いがプンプンします。事実誤認がボロボロある、というのは、まあ、ガイジンだから割り引くとして、抗議された後の対応がサベツ主義丸出し。「先進国じゃあり得ない」「言論弾圧だ」とまあ、わかりやすいファビョりっぷりで、お里が知れたってもんです。

で、さらにこんなハナシも聞こえてきた。

「プリンセス・マサコ」の著者ベン・ヒルズ

その妻は在日の金森マユ

金森マユ=週刊金曜日にも出ている左翼。

在日三世

母親はホリプロ専務

http://www.mayu.com.au/wedding/index.html

Mayu Kanamori, was raised in Roppongi, Tokyo where her family still lives. She was educated at the American School in Japan and grew up bilingual in English and Japanese. She migrated to Australia in 1981 and studied philosophy and writing at Toorak College in Melbourne.

Mayu started her career in journalism in 1992 as a researcher and photographer for The Sydney Morning Herald and The Age newspapers' Tokyo Bureau. For the past ten years, Mayu has been working as a freelance photo journalist, writer, radio broadcaster and photo media artist based in Sydney.

As an artist, Mayu employs her experience as a journalist to create multi media art documentaries, working in collaboration with artists from other disciplines, including theatre and installation works. She exhibits her work in galleries and in theatre venues, often as part of arts festivals in Australia and overseas

She is the creator and director of The Heart of the Journey, and has received a commendation for United Nations Media Peace Award Promotion of Multicultural Issues in 2000 for its radio program on ABC Radio National. She is also the recipient of the 2001 Broome NAIDOC Non Indigenous Reconciliation Award for the sound and slide documentary performance The Heart of the Journey. Her radio feature Chika was finalist for 2004 Walkley Awards for Excellence in Journalism. In 2005, Mayu's digital and photographic works have been chosen as finalist for 2005 Harries National Digital Awards, 2005 Olive Cotton National Photographic Portrait Awards, and 2005 Conrad Jupiter's National Art Prize.

As a photo journalist, Mayu has contributed to a wide range of publications including magazines, newspapers, and news services both Australian and international. Mayu has taken the photographs for four books.

Photograph of Mayu : Gillianne Tedder

ほんとかどうか、調べてみると、金森美彌子、ってのが確かに、ホリプロ専務取締役でいらっしゃる。肩書きはその他、スポーツ文化・ファクトリー事業担当、だそうで。グループ会社の「ホリプロブッキングエージェンシー」の社長でもあるらしい。仕事としては、舞台のプロデュースがメインのようで、蜷川幸雄の芝居なんかが得意のようです。昭和21年1月24日生まれ、ということは現在、61歳。ホリプロ入社が昭和59年ってことは、38歳の時。それまで何やってたのか、謎であります。

ホリプロブッキングエージェンシー 所属タレント

http://hba.horipro.co.jp/talent.html

で、この金森マユが金森美彌子の娘かどうか、はとりあえず不明。ですが、サイト全体にみなぎるプロ市民キチガイ臭は、かのイラク三馬鹿などにも通じるデンパぶり。オーストラリアに「留学」、哲学だの何だのかじってそのまま住みつき、自称カメラマン、というわけで、アートとガイコクで自分探しで国籍不明に、という顛末がありあり。もちろん、こういう物件(なんで、写真や映像系に逝くのはキチガイ率高いんですかねえ)になっちまう前提は、単なるカネ持ちのバカ息子&娘の勘違いというのが、かなりの確率でお約束。あたし的には限りなくクロ、であります。で、こういうのをヨメにするくらいですから、ベン・ヒルっておっさんも相当アレなタマなわけで。講談社がドン引きしても、まだ三つの出版社が邦訳の出版を希望している、と言ってますが、さて、どこのサヨ系版元なのか。あ、鹿砦社が元気なら飛びつくんでしょうけどね(笑)。



●編集後記

 で、肝心の(というか、もうすでにどうでもいいかも)本の内容ですが、こんなコピペが出回っているようです。もちろん、真偽は不明です。

このキチガイ本の内容

試験管ベビー愛子の事実は、天皇の命を受けた宮内庁と日本政府により隠蔽された

・プリンセス・キコが男児を産む可能性があるなら堕胎させるべき、と宮家が主張した(悠仁様出産前に出版されてる)

天皇皇后が障害者施設へ赴くのは、幽閉から来るストレスを発散させるためである

・障害者の手を強く握り、彼が苦痛で顔を歪めるシーンは日本のテレビでは放映されない

・正しい日本人は天皇制を打破して、”冤罪囚人”たる皇族を監獄から解放すべき

・日本では、天皇が中国皇帝・韓国皇帝の忠実なる使者として君臨していることは6年間の基本教育で習う

・日本では天皇制に疑問を持つ国民が7割を超えている

・ローマ法皇天皇に会わなくなったのは、天皇はカルト宗教・神道の精神的指導者だから

・皇室を支えるために使われる費用だけでマレーシアとベトナムが買える