ジョッキーマスターズ、大成功!

だから前々からあれほど言ってたじゃないですが、絶対盛り上がるからやってみな、って。

21日、府中は東京競馬場で行われた13R、ジョッキーマスターズのことです。かつての名騎手たちがかつての勝負服に身を包んで、実際に競馬をやって見せた。かつての草競馬では、夜の13Rと言えば夜の「お接待」、馬主からうまやもんから一緒くた、バクチからオンナまで含めて勧進元が招待してのもてなし一般のことをさしたそうですが、いかにJRAとは言え、さすがにそこまで史実を踏まえたわけでもなさそうで、でも、ありがちなこの手のアトラクションのように昼休みにそそくさとやるより、最終レース終了後の方がよっぽど結構。本当は馬券も売れれば一番いいのでしょうが、それは法律的に難しいわけで、それでも多くのファンが最後まで残って観戦し、楽しんでいたようですからとにかく大成功でしょう。

勝ったのは河内。二着が本田で、このへんはまだ引退して間もないからほぼ現役みたいなものでしょうが、中野や根本、なんとあの岡部御大までが頑張って参戦していたのはうれしい限り。個人的には、柴田政や増沢、菅原泰、嶋田功といった名前がなかったのはちとさびしいですが(柴田政はスターターやってたようです)、たとえ馬券を売らないレースとは言え、パドック周回から全部本番通り、ちゃんとゲートから出て競馬をするというのがどれだけ大変なことか。なによりあの府中のマイル、乗るのは競馬学校の練習馬とは言え、あの長い直線を少なくとも格好つけるためには相当身体をつくってこないともたないはずで、出てもいいよ、と手をあげた人たちはみんなそれぞれ相当の覚悟、勝負服着て出る以上はヘタなところは見せられん、という意地があったと想像します。

ある地方の元ジョッキー、今は別の競馬場で調教助手になっていますが、なんでも能力試験のたびに、頼むからオレを乗せてゲートから出させてくれ、と駄々をこねるんだそうで。なあに、暗いからわかりゃしねえ、ちょっくら乗り替われや、と無理を言うので、鞍上の現役がなだめるのにひと苦労だとか。

それほどまでに、勝負服を着て競馬に乗るというのは、ほんとうに麻薬みたいなものらしい。しかもお客さんの前で、ヤジのひとつも飛ばされながら、それでも懸命に馬を追う、その素朴な楽しさ、おもしろさを今回、元スタージョッキーたちが理屈抜き、身をもって示してくれたこと、それこそが何よりも競馬の宣伝、まさに文化としての競馬の、最良のプロモーションじゃないですか。酸欠で真っ青になってあがってくるのもご愛敬。とにかく、ピントのズレたひとりよがりな「ファンサービス」がお約束のJRAにしては、粋な計らい、いい仕事とまずほめておきます。

実はこの種の企画、前例があって、僕の知る限りもうずいぶん前、福山でやったことがあるはずです。その時も、地元のオールドファンがたくさん集まってたいへんな盛り上がりようだったとか。直接売り上げにつながらないにせよ、とにかく古くからのファンに喜んでもらう、そういう意味でこれまでニッポンの競馬の主催者側にいちばん欠けていた部分。プロ野球でもマスターズシリーズってのがあるわけで、あれは選手会のチャリティみたいなところから始まったものだったはずですが、毎年シーズンオフに立派に興行として成り立たせています。競馬でもできないはずがない。まして、あのお堅いJRAでもできるんですから、身軽な地方ならなおのことやれるはず。南関東ならば佐々木竹、高橋三、赤間、山崎尋、辻野、岡部盛、牛房……なんてオヤジ連中が泣いてよろこびそうですし、その他それぞれの地区の競馬場でどんどんやったらいい。騎手だけじゃない、馬だってそういう番組をやってみればいい。前号少し触れた岩手のかつてあった寿賞などは、年齢制限ギリギリ(当時は九歳馬までしか岩手には在籍できなかった)の馬たちの「おつかれさま」レースでした。ならば元JRA在籍馬で八歳以上限定、とか、ここ二年勝ち星なしの馬だけのレース、とか、いくらでも工夫はできるはず。何なら新聞だって当時のままを復刻するとか、昨今のレトロブームじゃないですが、そういう記憶のメディア、思い出の依り代としての競馬場、というのもいまや大切な文化資源です。

戦後競馬もすでに半世紀以上、世代を超えてすでにファンの間に蓄積されている「われらの競馬」についての記憶を掘り起こすこと。目先の売り上げの増減に一喜一憂するのは当然としても、その競馬の根本からもう一度見直そうという気があるのならば、そういう言葉本来の意味での「文化」、同時代の娯楽としての歴史を見直すことから始めることでしょう。低落の止まらない売り上げもまた、そういうことから本当に底上げをしてゆけるのだと思います。