「新馬戦」の響きを守れ

 ああ、もう何を考えてるんだか、さっぱりわかりません。とにかく今のニッポン競馬の、主催者はもちろん、競馬に責任あると称する立場や部署で仕事をしている方々の頭の中を、端から全部カチ割ってその中身を確かめてみたい衝動に駆られているのは、さて、果たしてこの僕だけでしょうか。
 JRAが「新馬戦」を改称すると言い出しました。それも今月下旬、阪神、函館、福島で始まる二歳戦から、もういきなり。どう変えるのか、というと、なんと「メイクデビュー」だそうで。

  「メイクデビュー○○」は、「They make their debut in ○○」の省略形を表します。 (…) 「メイクデビュー○○」という愛称の設定により、「新馬競走」という競馬特有の用語を、 少しでも「わかりやすく」また「身近に感じられる」言葉に置き換えてメッセージを発信し、 今まで以上に「新馬競走」を盛り上げます。 (JRA広報リリースより)

 つまり、「新馬戦」ということば自体を扼殺する、ということです。「新馬勝ち」という、あのわくわくする語感そのものも無視してしまうということです。ただでさえ馬主が激減しているこの状況で、主催者自らこんな迷走をしていては、もうこの先、いったいどこのどういうお人好しかわざわざ馬を持とう、買おう、と思うのでしょうか。
 この「わかりやすく」「身近に感じられる」といっただらしないもの言いの向こう側に、果たしていま、どんな観客やファンを想定しているのか、それが問題です。どうしてここまで売り上げ低下が深刻なものになり、まだなお底が見えない下落を続けているのか。かつて、「家族そろって中央競馬」というスローガンを敢然掲げ、世間の失笑を買いながらでもそうやって市民権を獲得しようとしなければならなかった時代状況、競馬をとりまく厳しい環境から数十年、その後自分たちが達成し、現在に至る足もとのこのニッポン競馬のありようについて、未だに何ら見識も哲学も感じられないまま、ただ売り上げ低下に形だけの右往左往するばかり。どうしていま、競馬がファンからみるみるそっぽを向かれ始めているのか、今のJRAというのは、組織ぐるみ、本当に危機感をもって身にしみてわかろうとできなくなっているのでしょうか。
 新たに馬を買う。デビューさせる。初めて競馬を使う。だからこその「新馬」戦でしょう。ああ、社長、例の新馬、来週おろしますから――そう電話でレース日程を伝える調教師の昂揚感、それを耳にする馬主の期待と感慨、そしてもちろん厩務員や騎手や馬をとりまく人たちのさまざまな想い……そんな語感からそこに宿るさまざまな気分や思惑もぜんぶひっくるめて「文化」でしょう。
 この暴力的かつ一方的な名称変更は、そういうものが全部一気にないがしろにされるに等しいものです。それぞれの馬主会に対してどのように根回ししたのかしないのか、そのへんは全く知りませんが、こんな改悪を唯々諾々として受け入れるのだとしたら、馬主会の見識というのも問われます。少なくとも、僕は問います。JRAに対するのと全く同じ憤りと共に。
 これは、悪い意味でのPOG感覚とでも言うべきなのでしょうか。競馬を司り、その運営に責任を持つのが仕事である当事者であるはずの主催者たちの気分が、ペーパーオーナーゲームの血道をあげるいまどきのファンと同じ水準、ほとんど変わりない質のものになっている、そう感じられてなりません。競馬について大した思い入れもない、いや、仮にあったとしても、そこから先、この現状をよくしようと自前で少しでも勉強してみよう、足腰も使えば汗もかいてみようという構えや傾きはあまり感じられない。単なるお仕事、それもいまや「勝ち組」就職先の代名詞にめでたく成り上がったJRAで、安定した高給をとれればそれでまあいいや、という気分が蔓延しているのだとしたら、それは正しくいま世間で広く糺弾されている「公務員」気分、最も卑しい意味での「親方日の丸」の腐敗ぶりそのものです。
 かつて、あれは確か安部譲二さんでしたか、「痴れ者たちの好き放題で、わたしたちの愛する競馬がめちゃくちゃにされてゆきます」みたいな言い方を、以前、どこかでしていました。こういうもの言いを単なるオヤジ世代のノスタルジー、懐古趣味とだけとらえていては、ニッポン競馬そのものの将来はもちろん、これまでやってきたことまでも自ら傷つけ、貶めることに他なりません。
 どうかお願いです。ニッポンのこの競馬をこの先、どのようにしてゆきたいのか。どういう未来、どういう明日を確かに見ようとしているのか。その最も前提となる見識や哲学というものを、まず見せてください。少なくとも、見せようとするくらいはしてみてください。たかだかあなたがたの「国際化」一辺倒、このところずっと深い遮眼革のかかったままの不自由な眼でだけ、なけなしのこの競馬の未来を見通そうなどという傲慢不遜なことを、これ以上しないでください。競馬そのものに対する眼には見えない失望、あきらめ、無力感……そんなやりきれない気分はますます、〈いま・ここ〉のファンの間に広がってゆくばかりです。