ばんえい競馬のナイター開催が、ひとまず終了しました。
この四月から事実上「民営化」に等しい形態で再生を賭けた新生「ばんえい十勝」として、初年度の目玉となる試みだったわけですが、ひとシーズン振り返ってみて、まずは大成功、と言っていい結果を出しました。売り上げの数字が伸びたこともさることながら、それ以上に、地元帯広以下、道東に住んでいてもこれまで競馬に関心のなかったような人々(これが結構多い)が今回、ナイターをきっかけに興味を持って、競馬場に足を運んでくれるようになった、とにかくそのことが何よりも大きな成果です。これまでは、売り上げにつながらない女性や子どもがいくら来てもしょうがない、といった言い方を、ばんえいに限らずどこの主催者も平然としてきたものですが、冗談じゃない。馬券がめあてじゃなくても構わない、とにかくまず人に来てもらう、競馬に、競馬場という場所に興味を持ってもらう、という客商売としてのイロハのイ、の努力すらまともにしようとしてこなかった、そのツケはほんとに大きいと改めて痛感します。
まず競馬を、競馬場がある、ということを地元の人々に確実に認知してもらう、どんな競馬場であれ、それが再生の第一歩です。でないと、存廃騒動が立ち上がってから、助けてください、支援をお願いします、とあわてて叫んでまわったところで焼け石に水。主催者以下、地元マスコミぐるみで「廃止」モードで動き始めたサイクルに歯止めをかけることは現実的にはまず無理、です。これまでつぶれていった競馬場にはほとんど足を運んで、及ばずながらつっかえ棒をするようなことに奔走してきた僕でさえ、いや、そんな僕だからこそ、かも知れませんが、いったん「廃止」の方向に傾いた流れを自前で食い止めることの不可能さを思い知っています。少なくとも、ニッポンの競馬が「お役所競馬」である限り、それはほぼできない相談だと思っていいでしょう。
中央と地方の「格差」、ということがこのところ、政治の世界でも言われています。でも、競馬の世界から見れば、そんなものずっと以前からあたりまえ。しかもこの期に及んでなお、競馬マスコミの視野には地方競馬というのはまともに意識に入っていないらしい。馬産地直結の北海道や岩手、華やかな南関東くらいまではまだしも、軽種馬流通の「下流」になるそれから西の競馬場については、あれ、まだ競馬やってたの? つぶれてなかったんだ、といった程度の認識が珍しくない。先日も、ある高名な競馬記者が地方と中央との交流について言及している原稿で、まるで農水省の役人サマのような目線でしかものを言っていないのを見て、愕然としました。JRAとの交流だけが「交流」らしいのです、彼らにとっては。
なるほど、「交流」というのは中央と地方の間においてだけ、大きく語られてきた経緯があります。確かにそれは、以前に比べてずいぶん進んだ。馬については、かつてのように「ウチの馬で中央の馬を負かす」という気概は正直、持ちにくくなっている面はありますが、でも、騎手についてはアンカツや岩田などJRAに移籍した地方出身騎手たちの素晴らしい成績もあって、どうせオレは地方だから、と必要以上に引け目に思うことはずっと少なくなっている。若い世代は特にそうです。でも、その一方で、地方同士の交流というのはまだまだ旧態依然、タテ割り行政の世界観に縛られた「お役所競馬」の弊害が、ある意味JRAと地方との関係よりもずっとしぶとく生き残っているように思えます。
たとえば、高知と福山、九州地区も含めた西日本の小さな競馬場同士の交流は、他の地区に比べてまだ、何とかしよう、という姿勢の見えるものです。互いの開催日程のすき間で騎手を招待しあって馬券を売り合う試みはすでに定期的なものになってますし、自場の中堅から若手のジョッキー同士を交流させるシリーズ企画も少しずつやり始めている。馬同士の交流にはいろいろと制約も出てくるし、何よりカネがかかるけれども、とりあえず騎手の交流ならば、というわけで、「貧乏人が隣同士でミソや醤油を貸し借りしあってるようなもんだから」と、地元の関係者は苦笑いしてますが、なんの、たとえ場外として一日数百万円程度の売り上げしかあがらなくても、自場の騎手が遠征していれば地元のファンはやっぱり馬券を買ってくれるし、向こうでもふだん知らない騎手が乗りに来れば話題にもなる。互いになじみもできる。何より、そんなささやかな売り上げでも確実に拾ってゆこう、まずできることはそれしかないんだ、という、客商売からすれば当たり前すぎるくらいの姿勢そのものが、これだけ窮地に追い込まれていてもまだ、多くの地方競馬の主催者には欠けています。
馬インフルエンザの余波は、現役馬の流通が活発になるこれから、眼に見えないところで影響が出てきます。風邪で使えないなら廃馬にしちまえ、という馬主もあちこちで出てきた。それほど地方の馬主経済は崖っぷちということですが、さらに賞金や手当ての削減の話があちこちから聞こえ始めている昨今、報道されるような「存廃」騒動でなく、馬も馬主もいなくなって「枯れる」ようにいつの間にか競馬がなくなっていた、という以前から懸念していた事態がいよいよこの先、ほんとになりかねません。つぶさないぞ、という気持ちだけでなく、即座に腰を上げてやるべきことをやる、その機敏さがいま、必要です。