08年はどんな年に?

 いろいろな領域で「煮崩れ」が起こり始めているのが、よりいっそうわかりやすくなるんでしょうね。もとの形が何だったのかわからなくなる。大根だったのかかぼちゃだったのか、輪郭が崩れて中身もぐずぐずになり、煮汁と一緒に溶け合わされてしまう、そんな感じ。

 「戦後」レジームからの脱却、と大きな風呂敷を広げた安部内閣が一朝にして崩壊、続けて登場した福田内閣はというと、とにかく平身低頭、良くも悪くも官僚的な無難さだけで何とか運転している感じで、小泉、安部と続いたキャラ立ちの強い内閣とは全く様相が違う。野党は野党で相も変わらず「何でも反対」モードのまま、その中身はというと呉越同舟どころでない寄り合い所帯の押し合いへし合い、これも「戦後」のしわ寄せがわかりやすく出ている地点なのですが、これまた自ら正常化してゆこうとする動きもなく、本来手段のはずの「政権交代」を目的化して単に選挙対策で互いにしがみついているばかり、共にめざす未来についての理念も政策もぼやけて見えません。

 「政治」もまた「煮崩れ」で、そんな大文字で仰角の視線どころではなくなっているようです。

 「教育」については、あの「ゆとり教育」が世紀の大失政だったことを他でもない文科省自身が認めてしまいました。

 初等中等教育に始まり、いまや大学まで「しつけ」や「生活習慣」の対応に追われる惨状なわけで、あまりにも遅きに失したわけですが、じゃあ誰が悪かったのか。責任はどうとるのか。旗振りやっていたあいつが、いや、中曽根と臨教審が、自民党が、そうじゃない日教組が、と相も変わらぬ責任転嫁の押しつけ合い。現場では当の生徒学生の「煮崩れ」もさることながら、「モンペ」と称されるモンスターペアレント=「消費者」の横暴までまかり通り始めて、「戦後」の枠組みから発想も行動も抜け出せない教員はひたすら御身大事で逃げをうって、鍋の中で煮こごるばかり。

 こういう総「煮崩れ」状況の中では、もとの形を身の丈から見通そうとする視線が、それぞれの現場で必要なことだけは、ひとまず間違いないようです。