「キャラ」渡世の品格

 「コメンテーター」が、テレビに跋扈するようになって久しい。よろずいっちょかみ、何かひとことコメントする、それだけが生業。専門も現場もあってないようなもの、ということは、世間のどこでどのように生きているのか詳細不明、わけのわからない存在、ではあるのだ。

 これらコメンテーター跋扈前夜、学者が芸能プロダクションに所属している、というのを知ってびっくりしたのは、確か栗本慎一郎が最初だった。ホリプロだったな。へえええ、文化人も芸能人みたいにプロモーションの対象となるんだ、こりゃほんとにこれまでとは違う時代に一歩踏み込んだかもなあ、という感覚が確かにあった。80年代の終わり頃、世はバブルへ向って吹け上がり始めた時期だ。

 確かに当時、「朝生」に代表される討論プロレス番組からクイズ、ワイドショーなど、彼ら文化人が今で言う「コメンテーター」的に使い回される局面もそろそろ珍しくもなくなってはいた。仕事があるならその上前はねる商売もあるのは道理、なわけだが、そんなゼニカネがらみの理屈以前に、インテリ/知識人が芸能プロで仕事とるなんて、という違和感の方が先にあったのだ、まだ当時はかろうじて。つけ加えておけば、これはあたしがそのへんに偏屈な、絶滅品種系だったからだけでもないはずだ。

 もっとも、今じゃ大学教授なんてのは株価大暴落で本業としても値打ちがなくなってるから、それ以外、弁護士や医者が旬らしい。橋下徹西川史子あたりが代表格。こいつらも経歴詐称でなけりゃ国家試験をパスしてるんだろうが、でも、実際の医者や弁護士としてどれだけの実力があるか、といったあたりはすでに世間の思案の外。「東大卒」や「帰国子女」、あるいは「エイズ」や「身障者」や「ゲイ」などで底上げしている女優やタレントと同じ「キャラ」なのだ。なにせ、政治家までもがとっくに同じ水準に並べさせられ、どこまで自覚してるのか喜々としてテレビに出たがる代議士、とりわけ若手のツラには与野党問わずいや〜なヤニのようなものが浮かぶ松下政経塾系が標準仕様のご時世。おのれの体験をもとに積み上げた“プロ”としての揺るぎない自信を背景にした凄み、てなものはまるでなく、単にその場で目立って「キャラ」を示せればそれでよし、という軽薄才子ぶり全開。なにせ「キャラ」だから、生身はどんなにからっぽでもいいらしい。

 要は、広告のゼニカネがまわっている生態系で効率的にエサを拾ってくるために必然のシステム。まずはテレビにラジオ、それから広告収入だよりで誌面をこさえるような雑誌、さらに企業タイアップの提灯企画や講演、イベントなども含めていい。本業が大学教授であれ、作家であれ評論家であれ、少なくとももの書き系の生態系で棲息していた、その程度に文字/活字で自意識こさえてきたインテリ/知識人の類が、情報環境の生態系の変貌と共に絶滅してゆくその過程での適応の一種、と言えば言える。
 もの書き、文化人ってのは、もはやそのようにしてしか食ってゆけなくなった、少なくともあっさりそう思い込んでしまうしかない手合いが増えちまった、そんな状況の反映なのだと思う。インテリ/知識人系の生きものが場違いながらもメディアにツラをさらし続けるということ、マスコミ周辺で食ってゆく、というのは今やそういうことらしい。

 なるほど、メシを食うのが正義。医者でも弁護士でも政治家でも学者でも、何でもありの「キャラ」渡世、それもいい。けれども、その道で確かな経験を積んできたことを背景にした凄み、プレゼンスといったものを感じさせてくれるような生身がほぼ絶滅してしまったらしいこと、それらはいまのメディアの舞台では忌避されるらしいこと、そのことが何より情けない。反射神経でものを言う、場の流れに応じて気の利いたことを言える、そんな能力は、おそらく文字や活字の速度での思考や思索、と本質的に相反するところがある。もちろん、高度成長以降の世代にはそのズレもある程度埋められるような「才能」も宿るようになっていたにせよ、ことの本来として違うもの、なのは変わりないはずだ。

 テレビで西川史子と同席したことのある医者が、こうこぼしていた。

 とにかくレベルがひどい。医師としての常識もない。あんなのが医者だと思われたらほんとに困る。

 まあ、そうなんだろう。で、似たような感想は、橋下徹香山リカ、「TVタックル」系議員サマなどに対しても同じく、常に同業界隈からもれてきている。陰に陽に。

 しかし、その「あんなの」もまた医者であり弁護士である、という〈いま・ここ〉が残念ながら現実。そんなの認めねえ、と頑張る気持ちはわかるが、「キャラ」ありき、のメディアの舞台じゃまずそんなもの。世間の側も実態なんざ知ったこっちゃない。かくて、“プロ”の「権威」なんざ今やそこら中でどんどん煮崩れてグダグダに、という次第。

 この手の「キャラ」渡世のコメンテーター乞食を「吉本文化人」と喝破したのは、小田嶋隆だった。これ、具体的には吉本興業所属で世渡りする勝谷誠彦をさしてのことだったけれども、「岩波文化人」という古典的もの言いを下敷きにしつつ、「岩波」から「吉本」への距離感で「文化人」というもの言いにまつわってきたあれやこれやのもっともらしい思いこみを一気に脱臼、脱力させるという手練れの技に喝采したものだ。そう、吉本文化人。この語感にこそ、「キャラ」を頼りにコメンテーター渡世でしのいでゆく芸能プロ所属の文化人のどうしようもないはずかしさ、情けなさが込められている。

 それでも、だ。今のこんな「キャラ」独裁のメディアの舞台でも、マジもんの“プロ”の生身はまだ表出し得る、それをかろうじて信じているところが、まだあったりする。

 かつて、竹中労が最晩年、体調悪化する中、テレビに出まくっていた頃、山口令子という当時少しは売れっ子だったオンナライターとさる番組で同席、例によってちょこざいな能書きをペラペラさえずりつっかかってきたそのオンナに向って一喝。

「山口サンッ、あたしゃこれでもこの道で三十年メシを食ってきているんだッ。黙って聞きなさいッ」

 思わずその場がピリッとしまったのがテレビ越しにも伝わった、その時のことを今も覚えている。ああ、役者が違う、っては要するにこういうことなんだなあ、とも。

 だから、あきらめちゃいない。「キャラ」もまた、生身のゆったりとした修練の上にもっと違う形で、メディアの舞台であり得るかも知れない、そう思っているからだ。「キャリア」というあのけったくそ悪いカタカナ日本語も、ほんとはそういう凄みと共に血肉化されるべきもの、のはずなのだからして。