「団塊の世代」と「全共闘」㉙ ――本音と建前、二分法の前景化

――「国家」ってのがもうあらかじめそんなに大変な争点になってた、ってことなんでしょうね。で、そんなものは崩壊する、死滅する、というのが理想郷である、と。なんというか、ラスボスとしての「国家」を想定してそれを倒すことが正義、というのは、まず想像力のありようとして興味深いなあ、と。後の「反体制」とか「権力批判」なんてのも、基本的に同じ流儀なわけで。自分もまたその「国家」なり「体制」なりの一部であって、そこに関わりながら変えてゆく、という発想にはならないし、と言って、鼓腹撃壌でそんなの知ったことか、と開き直りも当然しない。

 つまり、モルガンの賛美した「古代社会」観が、エンゲルスの「家族・私有財産・国家の起源」にそのまま移されたということだよ。吉本も当然、マルクス主義を意識していたから、それを踏まえて考えている。だから吉本は、「家族、私有財産、国家」を言い換えて、「家族、国家、そして芸術行為」の起源だと考えたわけだ。

――大枠はよく似てますよね。というか、下敷きにしてるんだから当然なんでしょうが。

 構造的に非常に似ている。これは何も吉本だけが似ているんじゃなくて、誰でも当時、既成の枠組みを睨んで、新たに自分の理論を出しているのが当たり前だったから、そうなるよ。ただ、吉本はここに「対幻想」ってのを新たな加えた。それが、当時の学生には非常に斬新だったんだよ。

――あれ、わかりにくいですよね。「対幻想」。「たいげんそう」なのか「ついげんそう」なのかでまず読み方からして悩む(苦笑)。

 私も最初に読んだときは、「対幻想」って何なの、としか思わなかったけど、でも、吉本の言っているのは非常に単純で、要するに、革命家が命をかけると言っても女に惚れたらどうしようもないだろう、と、それだけのことなんだよ。

――また輪をかけて身も蓋も……(笑)。

 どうして吉本がそんなことを言いだしたか、なんだけど、やっぱり彼は、文学を読んでいた、ってことだと思う。つまり、文学作品にある恋愛のリアリティに影響を受けたんだろう。もともと詩人でもあったしね。

 ただ、何か目的を遂行する過程で、個人的な恋愛感情でその大義を裏切る人間という類型は、文学史上ずっとあるわけだ。それは、日本においては忠臣蔵とその裏の世界だったりする。広末保(国文学者/一九一九│九三)がよく言うように、表の大義の世界の忠臣蔵に対して、裏の世界として生の恋愛というか、愛欲だ。そして、愛の情としての東海道四谷怪談などもあるしね。

 同時に、当時、西洋文学の方面では、たとえば伊藤整(詩人・小説家・評論家/一九○五│六八)、福田恆在(評論家・劇作家/一九一二│九四)、中村光夫(文芸評論家/一九一一│八八)のフローベールとか、そういう領域に関わる仕事がずいぶん出てきている。福田恆在なんかは、例のD.H.ロレンスの問題に関連して『現代人は愛しうるか』なんていうのを書いていた。そこで当然、吉本は、その伊藤整、福田恆在などが、いわゆる共産党的な価値観に染まらないところで発言したものを読んでもいる、と。だからこそ、革新系の人たちならば当時、その手の作品をくだらないものとして唾棄するのが当たり前だったのに、吉本はというと、「江藤淳は、何冊かを除いて、残りは評価できる」、福田恆在は「これとこれとこれは評価できる」、といった形で、逆にそういう共産党的、左翼的教条による作品評価を批判していたんだよ。


――江藤淳の方が福田より少し上だったんですね、吉本的には。

 そう。江藤淳は、いくつかの例外を除いて原則的に評価できる。福田恆在は、いくつかのものだけ評価できるという言い方をしていて、微妙に違うんだよね。だけど、保守系の中でこの二人は、その辺のチンピラ右翼とは違うんだ、という別格の扱いをしている。どちらもちゃんと評価はしてるわけだ。

 これはまさに、思想が等身大の日常にどう寄与するか、という話だと思うね。吉本の一つのイデオロギーがあるとしたら。そういう意味で評価できる。思想だ何だかんだ言ってても人間、寝て、惚れたら終わりだってこと。吉本は自分でそれを知っているし、まただから、誰かが女を好きになってそれで駆け落ちして大義を裏切るということもあり得る、と認める気持ちも当然持ってたんだよ。本居宣長(国文学者/一七三○│一八○一)なんかも近いようなことを言ってる。戦のとき、武士も残してきた妻子のことが気にかかる、これは女々しいんじゃない、現実そのものなんだ、と。まあ、吉本もその程度のことを言えるくらいの教養はあった、ってことだよ。というのは、それまでの文化人、知識人は共産党的なものしかなかったから、みんなどこかで疑問を持ちつつも、やっぱ「獄中十八年」に対して何も言えなかったんだよね。でも、吉本はそれが言えた、と。

――だからヒーローになれた、ってことですね。

 そのへん、畏友浅羽通明がかつて『ニセ学生マニュアル』で明言してます。80年頃、吉本がコムデギャルソン着てファッション誌のグラビアにまで出て、資本主義を肯定するようなことを言い始めた、ってだけで「転向」だなんだ、と当時一部で騒ぎになったことについて、吉本隆明を左翼おじさんだと思ってたのは団塊の世代だけで、こっちにとってはそんなの当然だった、だから呼応しよう、こいつは味方だと思った、と。価値相対主義的な当時の気分と、吉本のそういう「芸としての論争」のケンカ屋作法とが期せずとしてシンクロしたんですよ。結局、吉本=左翼、という理解の仕方自体が、彼をヒーローに仕立てた同時代の気分というか、まさに構造のなせるわざ、だったわけで。


 ついでに付言しておくと、80年前後の状況で当時の学生に代表されるような層――浅羽のもの言いに従えば「知のおたく」の気分としては、現実の肯定、もっと言えば高度経済成長による「豊かさ」の肯定、ってことが共通してありましたね。もっとも当時、それはあまり表だって言われなかったし、ほとんどは半ば無意識の同時代気分、だったとは思いますが、でも、それは自分たちの生まれ育った〈リアル〉の失地回復という気分をはらんでいたし、その後90年代半ばくらいから盛り上がったナショナリズムの前提にもなっていた。「おたく」が「保守」となじむことの意味をあの時点ではっきり考察しようとしていたのはあたしと浅羽の『図書新聞』での対談だけだったはずです。


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 それまでの思想、論壇系パラダイムの内側では、「豊かさ」はそのように肯定されるものじゃなかったじゃないですか。資本主義はいけない、だからこういう風に「豊か」なのもどこかうしろめたく思える、って刷り込みが学校含めてされてきた経緯があって、でもだからってこっちはもうかつての生活に戻れるわけがないし、何よりそういう生活の手ざわりからよくわからなくなってる、と。親たちの生活体験と全く違う〈リアル〉を生きている自分たち、って自己規定はまず骨がらみでしたね。


 その失地回復の志、みたいなものは、今でもなおずっと通底しているとは思います。最近の「昭和レトロ」的な志向にしても、その背後にはそういう現代史の失地回復がはらまれているはずです。


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 六○年世代にしろ、私たち全共闘団塊にしても、個人の主張とか、欲望、衝動を、出してもいいとまでは言わないけど、言うぐらいのことは言ってもいいんだろう、少なくとも葛藤があることは恥ずかしいことではないと、肯定してくれた。

 建前と本音じゃないけど、本音を言ってもいいんだ、と、誰かにオーソライズしてほしかったわけだ。それをしてくれた者が今度は自分たちの知的ヒーローになる。まさに吉本はそれで、本音でいいんだぞ、とオーソライズしてくれたんだよ。しかも、それをはっきり対幻想という形で「社会は幻想として成り立っている。個人幻想と対幻想と国家幻想によって成り立っている。これは重要なものですよ」ということを言ってくれたわけだ。それは、私があれを最初読んだのは、たぶん一九歳か二十歳ぐらいのときだから、(対幻想を含めて重要とか)そんなことを言われてもなあ、としか思わなかったんだけど、一、二年たってくるうちに、ああ、そうなのか、エンゲルスと照らし合わせて考えたら、こういうことを言ったのか、と納得がいったね。

――やっぱり一般教養としてのマルクスエンゲルス、ってのが十分活きてた世代ですねえ。改めてそれを感じます。

 友人でもある糸井重里(東京糸井重里事務所代表/一九四八│)が、コピーライターだけあってときどき勘の鋭いことを言うんだよ。この男も吉本信者だから困ったものなんだけど、だいぶ前に、こんなことを言ってた。「近頃、なんでも本音、本音と言うけど、あれは変だ。本音ばかりで世の中語れるはずがない」。これはなかなか鋭い見解だと思うよ。私も言われて、膝を打つ感があったもの。

 考えたら、本音と建て前を二項対立にして、本音の方に力点を置いて語る風潮は、この三十年来のことなんだよ。私の学生時代には、本音と建て前を分け、本音に力点を置いて語るとか、建前はいけないという議論の仕方は、まずしなかった。

――ああ、それはなんでもないことのようで、ディテールとしては結構大きい意味がありますね。「議論」ってのはそういうものだという理解があった、と。本音で語るのは潔くない、って感じだったんですか?

 そういうのは禁じ手というか、そういう二項対立でものを考えないのがそれこそ建前だったわけでさ。それが本音が常に尊重されるようになったのは、やはり七○年が過ぎてからだ。議論とはある意味、建前をかわすことで、本音だったらそれはナマの政治になってしまう。目的遂行のためには手練手管も辞さないという、身も蓋もない話になってしまうじゃないか。

 でも、本音というのはやはり欲望の肯定、あるいは個人性の肯定でつながっている。前述した吉本の「女を好きになっちゃうことは、しかたない!」。これは要は本音の肯定だ。

――それを吉本という当時のビッグネームが、率先してやっちゃった、と。

 そう。しかも吉本の場合、当時まだそういう本音の肯定が一般的じゃなかったから、より衝撃的だったんだよ。

 本音の肯定でもそれが思想になり得る瞬間というものがあり、それはたとえば、本居宣長の「武士(もののふ)の戦場に出でて君のため国家のためには一命をすててつゆ惜まず、いさぎよく死するは義士の常なり。これ死するに当って故郷に残しおきたる妻や子をば悲しく思はざらんや」、これは本音だよ。で、そう言ってしまえば、こんなことを言いだす輩がいるのかと叩かれもするけど、一方で、その独自性が輝くという、そういう種類のものなんだよ、吉本の発言も。

 でも、社会が当たり前のように「本音で言えばいいじゃん」となると、敢えて発言することに風当たりがなくなる。そこではもう、単に欲望を言っているだけになるわけだ。「立ち小便したいからしてるだけだ」という開き直りに等しい。立ち小便なら、ここでしたら警官が来るかもしれないとか、人が見るんじゃないかなどと意識し緊張するものだろうけど、単に赤ん坊が垂れ流すときは、そんな意識さえない。それが自然なことで、開き直る必要さえない。それじゃしょうがないだろ、ってことだよ。

――思想なり発言なりに何らかの抵抗値が設定されてないと、その輪郭も自覚できないままってところはありますね。あたしが年来便利に使っている「あと出しジャンケン保守」というもの言いと同じことで。福田恒存江藤淳がかつて、ああいう論陣を張っていたのは、左翼/リベラル系言説がデフォルトだった当時の状況を考えれば、まずそれだけで評価はできるしするべきだと思うんですよ。呉智英さんだって「封建主義」と言い始めた頃は、そのもの言いの響きだけで耳に立つところがあったからこそやっていたはずですよね。でも、近年の「右傾化」とひとくくりされている流れの中での発言は、完璧にもう安全地帯からものを言っているわけで、そういう自覚があまりにないままというのは、あたし的にはどうにも居心地が悪いですね。何かものを言う、自分の責任で発言する、ってことが良くも悪くも敷居が低くなっちまってて、事前に構える、緊張するってモメントがどんどんなくなってるって感じはします。