食物「偽装」疑惑の背景

 さて、次はどこがやり玉にあげられるのでしょうか。食物がらみの「偽装疑惑」がじゅずつなぎの件、です。

 主として「○○産」の産地偽造に「賞味期限」の改竄、といった罪状ですが、思えばあの不二家なんか序の口だったわけで、北海道の白い恋人ミートホープのハンバーグ、赤福に御福のお伊勢参りの名物コンビに、長野のトマトジュースや鹿児島のたくあん大根、淡路島の玉ねぎから秋田の比内鶏まで入り交じって、ああ、大騒動に。全国おみやげ品ランキング上位から星取表にしてる不埒者もいるくらい。底なしの体です。

 でも、これって「被害者」は一応、まだいないんですよねえ。これら「偽装」で腹こわしたりした人は一応いない、と。「だまされてた」という納得いかない気分だけはありますが。

 「外食」というもの言いの内実を、そしてそれに「産業」がくっついていった経緯も含めて、もう一度「歴史」として静かに省みましょう。家の外でカネを払ってできあいの食べ物を購うのは基本的に危険なことで、かつては「買い食い」という戒めの言葉もあった。逆に言えば、まっとうな「食」とは家族なり親族なり仕事の場なり、手もと足もとで同じ火を使った調理過程を踏んだ食べ物を共に食べること、という認識があればこそ、でした。ひるがえって今、賞味期限も産地も表記するようお上に決められ、「安全」がうたわれていても、要は路上のできあいの食べ物なわけで、そんなルールをかいくぐってしのぎを削るのも商売の現実。ならばそのルールと現実の間をどうやりくりするか、売る側の「良心」と買う側の「自己防衛」をどう均衡させてゆくか、という問題です。で、どうやらそのどっちもがどこかでヘンになっている、と コンビニやスーパー、ファストフードなどの「食」の現場で働いたことのある人なら、できそこなったり賞味期限が切れたりした品物をそっと持ち帰ったことも、一度や二度はあるはずです。まして「もったいない」精神が未だ健在らしいニッポンのこと、鼻で匂いをかいでも味見をしてもまだ普通に食べられそうな食べものを、規則だからってそうそう無碍には捨てられない、という気持ちも一方にはあったはず。

 はっきりした被害者のいないこの騒動。「食」の輪郭自体が見えなくなり、手もとで制御できなくなった現在ゆえの不安も介在しているようです。そもそも、製造年月日の表記が賞味期限に消費期限というわかりにくいセットになっていった経緯自体、案外知られていないかも。いい勉強の機会にさせてもらいましょう。