「馬」休刊、の周辺

 ホースニュース馬社が「休刊」しました。言わずと知れた、専門紙業界の雄。昨年の馬インフルエンザ騒動から、今年になっての大雪での開催中止、変更が最終的に引き金だったのでは、などいろいろ憶測は飛んでるようですが、どこに限らず専門紙業界が苦しくなっているのは周知の事実。遅かれ早かれこういう事態にはなるだろう、と言われていたことがいよいよ現実になったという感じです。
 以前にも何度か触れましたが、専門紙その他の現役記者やトラックマンなどが売れっ子騎手のマネージャーみたいなことをやる、そんな妙な慣例が近年広まっています。殺到する騎乗依頼を騎手に代わってさばいてあげる仕事。昔の寄席では「五厘」と呼ばれた、まあウラ稼業です。これってほんとにいいの? という問いかけをすると、いや、専門紙業界も苦しいんだよ、といった言い訳が返ってくる。でも、予想紙で予想を手がける立場の者が、乗り馬の選択を左右できるのは、ファンからすればとても納得いかない。それこそ、「公正」競馬の維持という意味でも問題があるはず。この悪習、JRAから始まって、今や南関東まで蔓延し始めていますが、このあたり主催者の機構だけでなく、これら競馬をめぐる現場のメディアの周辺も含めての大きな再編、改革が必要なことは間違いありません。
 実際、「馬」紙の「休刊」は、JRAよりも地方競馬にとって厳しい。特にホッカイドウ競馬ばんえい競馬にとっては大打撃です。事実、ばんえいではすでにオッズがもういつもと違う偏り方をし始めているようで、「人気」というのはメディアも含めて、ある意味バーチャルに作られてくるもの、ということを改めて思い知らされました。
 ファンはさまざまな「情報」を買っている。馬券レジャーとして発展してきた「戦後」のニッポン競馬は「情報競馬」である、というのはあたしの年来の持論ですが、馬券を介したファン=市場とのインターフェイスには、メディアと情報環境の整備を第一に考えないといけない。それはインターネットや携帯を介した新しいメディアの整備だけでなく、専門紙に代表されるレガシーメディアの側も全く同様に配慮されるべきです。でないと、いま、本当に競馬を愛して馬券を買い続けてくれている中高年のファンたちのニーズを切り捨ててゆくことになります。
 ばんえいの話が出たので、少しこちらにも言及しましょう。何かと話題のばんえい十勝、今年度の「民営化」(まだ不十分ですが)で単年度黒字がほぼ見えてきた由。それも予想以上の額になりそうとのことで、まずはめでたい。その努力は他の地方競馬に比べて賞賛に値しますが、ならば儲かった分から一部でもいい、ギリギリで耐えている現場の厩舎に還元すること、これが絶対に必要です。何もばらまけというのではない、賞金の一部、わずかな手当でもいいから、儲かった分はこうやって少しでも現場に戻すんだ、ということを前例として示さないことには、なけなしの信頼関係が崩壊します。
 聞けば、来年度はさらにナイター日数を増やし、老朽化したスタンドなども改修、と攻めの経営をする構えだそうですが、でも、現場の厩舎は賞金や手当ての削減を呑んで、今もギリギリで頑張っています。彼ら厩舎のモティベーションを削いだままにしていては、せっかくの「民営化」の果実もあっという間に腐ってゆくでしょう。ファンに向ける視線は、同時に厩舎の暮らしぶりにもきちんと向ける、それが信頼される主催者の器量ってもんです。
 同時に、このところの飼料の高騰も厩舎を圧迫しています。国際金融の変動が穀物市場に影響してのことで、これは厩舎の経営努力や個々の主催者ではどうしようもない。寝藁の欠乏もすでに慢性化しています。肉牛乳牛などの畜産には緊急支援で補助が出ることになったようですが、競馬関連は例によってカヤの外。平地のサラブレッドもさることながら、ことばんえい重種馬は肉用馬としての意味も同時に大きいわけですから、市場の維持安定のためにも、農水省レベルでの対策を考えるべきではないでしょうか。
 もうひとつ、さらにこわいのは、ばんえいに使う重種馬の生産頭数自体が減り始めていることです。一昨年の存廃騒動以降、生産をあきらめる生産者が増えて、廃用になる繁殖牝馬が跡を絶たない。このままでは秋からの新馬戦に馬が揃えられない、という懸念も現場から出始めています。「北海道遺産」と高橋知事自身、お墨付きを与えたのならなおのこと、産業としてと同時に文化コンテンツとしての意義も含めて、もっと包括的に、ばんえいに限らず北海道と「競馬」について、提言をしてゆくことが望まれます。
 折から、夏には洞爺湖でサミットが開かれます。「競馬」と北海道の歴史的、文化的つながりについて国際的にアピールする、いい機会だと思うのですが、いかがでしょうか?