ファシズム「上等」(改)

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 未来は選択できる――かつてそう言った碩学がいた。過去は一過性でとりかえしはつかずとも、未来をどうするかは選べる。民主主義ってのも、もとはそのための仕組み、だったはずで、だからこそ「みんなで」「話し合って」選ぼう、というのがタテマエだった、とりあえず。

 だが、そのタテマエからしてもう、守れなくなり始めている。無理もない。社会保険庁以下、税金食いつぶしが仕事の公務員、新聞・テレビ以下の各種マスコミ、銀行以下よろず金融関係から、何よりそう、国会議員、それも一党の党首さえもが選挙応援で国会を抜け出して全く恥じない。いずれ「公」に準じる、そんな仕事に従事する立場への不信感というのは、今やそれこそ、戦前は昭和初期に渦巻いていた「財閥」「門閥」への怨嗟に匹敵するほどにふくらんでいる。どうせ選挙で投票したところで、今のこの状態がよくなるとはとても思えない。何も国や自治体、大企業だけでなく、いちばん身近なそれぞれの仕事の現場、学校や地域のつきあい、いや家庭の中でさえも、共に話し合いながらよりよい方向に動かし、未来を選ぶことがしにくくなっている。っていうかさ、この民主主義ってほんとに役に立つわけ?――そんなホンネも、きっと静かにまた。

 なんの、民主主義なんざ初手からタテマエ。だからこそ、そのタテマエはうまく演じられるべきなのだ。その覚悟もなくした野暮天ばかりの世間に、芸あるタテマエなど宿るはずもない。かくて、ああ、選ばれるべき「未来」はどんどん窮屈になってゆく。

*1:剣呑と言われたので手を入れてみました。元原稿はid:20080126