「民族」という都市伝説


 改めていま、問いなおしてみたい言葉があります。ひとつではない。いくつもある。だから厄介です。

 すでに解体過程が始まり、ぐずぐずに煮崩れてきているのいまやが誰の眼にも明らかになってきた「戦後」の言語空間を省みる意味で、そのような言葉たちと、それらが個々の具体的なもの言いとして使い回されてきた来歴との関わりを、〈いま・ここ〉からつぶさに振り返ってみる作業は、個々の持ち場や専門の違いなどを超えて、いま、何よりも切実に求められているものだと思っています。

 ひとつ例を挙げるならば、「民族」という言葉。あれはいま、どんなイメージと共にあるのでしょうか。

 たとえば、「民族主義」という言葉は、未だにある一定のイメージがつきまといます。

 いわゆる右翼を「民族派」などと呼びならわす慣習もメディア周辺などではなお健在。そこから派生して、「日本人単一民族説」などとくれば、その中身の是非、文脈に即したこまかな解釈や定義沙汰などとは全く別に、それ自体でもう何やらアタマの悪い、時代遅れの意見のようにとらえられてしまう。いま、日本語を母語とする範囲で、「民族」がからむもの言いに対して一般的に抱かれているイメージとしてはそんなものでしょう。

 ところがその一方で、海の向こうの事柄ならば、「民族問題」だの「民族主義」だのとさして抵抗もなく使われ、受け入れてしまうのもまた事実なわけで、このあたりの二重性はまさにイデオロギーしか言いようがない。つまり、全くよその国、他の土地の民草のよそごとならばまだしも、こと日本人、自分自身に関わったところで「民族」という言葉を使うことには何となく敷居が高い、というあたりが、いまのニッポンの世間の気分の最大公約数のようです。

 

 

 思えば、ネイティヴ(native ) を「土着の」とやらかすこと自体、忌避されるようになっていった経緯もあります。「原住民」でも何となく腰が引けるし、せいぜいが「現地の人」程度。ましてや「土人」だの「蕃族」だのは悲しいかな、いまや差別語扱いで論外です。個人的には「生蕃」「理蕃」なんてのは、青年期近代の気分横溢で大好きなもの言いなのですが、意味から説明しないと通じなくなっているのが情けない。

 そもそも何をもって「民族」と呼ぶのか。その定義とは、そしてそれに伴う「日本人」とは何なのか、といった系列の問いとも、これらは密接につながります。そして、これまた言うまでもなく、広義の思想史 (この看板もまた、昨今の文科系の溶解、解体と共に忘れられつつありますが) 以下、広義の文科系の脈絡での研究も山ほど蓄積されていて、何よりもそれらが必要とされる時代状況があり、またその中で改めて自分たち「日本人」とは何か、という問いが大きく意識されていった「戦後」の言語空間があった、そんなこんなを全部ひっくるめてすでに「歴史」の過程として眼前に横たわっています。

 けれども、すでにそんな「戦後」から、好むと好まざるとに関わらず、半身くらいは抜け出しつつある現在のわれわれにとって、「民族」というもの言いがそれほど意味のあるものとしてとらえられているかというと、どうやらそうではないらしい。「日本人」という意識は一応あっても、それを「民族」といった脈絡でとらえることは現実にはあまりないはずで、まして「同胞」だの「同族」だのといったもの言いにはなおのこともうなじみがない。そのことの是非はともかく、〈いま・ここ〉の感覚としては概ねそんなものです。それはおそらく、「家族」に代表される身近なつながり、かつての地縁や血縁のような“逃げられない関係”が日々の暮らしの中であまり感じられなくなってきたこととも、どこかで連絡していることのように思えます。「豊かさ」の帰結とはそういうものです。

 そう、いまのわれら日本人にとっての「民族」問題とは、そのような生活環境、暮らしのありようとの関わりの中でとらえなおす態度を介在させないことには、国内はもちろん、海の向こうとの間においてさえもきちんとした議論にもなりようのない、そんな難儀な屈折を介したものになっています。

 

 

●●

 最近だと、例のアイヌ先住民族、という問題が、身近なところでこの「民族」がらみで浮上してきた事柄のひとつかも知れません。

 そもそも、アイヌ先住民族なのか、というと、それだけで専門家の間でも見解がわかれています。個々の議論や問題点の整理が趣旨じゃないので端折りますが、ただ、民俗学者からすると、にも関わらず、その「見解がわかれる」ということ自体がおおっぴらに世間に表明されにくくなっている、そっちの〈いま・ここ〉のしがらみの方がとても気になる。そして、そんなしがらみが専門家の間の意思疎通やまっとうな議論などをあらかじめ阻害してしまう不自由な構造というのも、かの歴史認識の問題などと全く同じ、〈いま・ここ〉のニッポンの光景です。

 だから、「先住民族」というもの言いもいまやうっかりと転がり出てくる。もちろんそれは“善玉”のもの言いとしてなわけで、それに対して先の「単一民族」というもの言いが“悪玉”として想定され、そこから「多様性」だの「個性」だのといったジャーゴンもぞろぞろと芋づる式に引き出されてくる。行き着く先はもちろん、ああ、今日も今日とて相変わらずな「プロ市民」系主導のから騒ぎのやりきれなさ。

 またもそもそも、ですが、何をものさしに「先住」と呼ぶのか、という問題があります。英語表記としては indigenous peoples というのが一般的らしい。indigenous というのは「特有の」とか「固有の」、ないしは「土着の」「原産の」といったところが辞書的な一義ですが、ならばさて、果たしてどういう文脈でこの横文字が「先住」という日本語表記に置き換えられるようになったのか。どっちにしてもいまや権利だの何だのがこってりからんでくる政治的もの言いと化しちまってるわけで、その分、本当に実のある議論をしようとするなら、まずそのへんの経緯から知っておく必要があるはずです。なのに、この「先住民族」を好んで振り回す方々は、海の向こうのエスキモーだのインディアン (あ、これらもとっくに差別語まがいの扱いになってましたか) を下敷きに、わがニッポンの国内にも同じ問題が、という図式で騒ぎ立てるのが定石。このへん、立ち位置を問わず、前世紀末あたりから何度となく繰り返されてきた、わがニッポンの「運動」のお約束、です。

 その「先住民族」も、一気に翻訳してしまえば「弱者」というもの言いが一発で代表してくれるようなもの、になっていてわかりやすい。あらかじめ「被害者」であり、いわれのない迫害や不利をあらかじめ蒙っている、そんな存在。で、彼らをそんな状態に押しやっている何か理不尽で強大な「力」 (往々にして具体的な「暴力」を伴う) が当然あるというのが自明の前提で、まずもってこの時点で絵に描いたような“善玉vs.悪玉”の対立図式になっています。

 「戦前の日本」であれ「大日本帝国」であれ、そこに収斂されるような属性ならば何でも、この「力」=“悪玉”の側に置かれることになる。それに対して“善玉”は基本的に自由自在。代入されるものが何であれ、それは構わない。「在日」であり「被差別部落民」であり「女性」であり「アイヌ」であり、「ゲイ」であり「性同一性障害」であり「エイズ」であり、何が契機でもいいからいわれなき差別や弾圧や迫害にさらされている、と思ってしまっている何ものか。それが「弱者」という表象の内実です。

 そして、こっちが本質的なのでしょうが、そのような何ものか、というのが他でもない自分自身と無媒介に重ね合わされるか、少なくとも自省抜きにそちら側に自分が立つという前提が盤石のものになっている。いまどきの「プロ市民」が基本的に「自分語り」大好きのココロのヨワげな方々だったりするのも、むべなるかな。そんないびつな「自分」をかろうじて回復するための方程式に考えなしになだれ込むのが彼ら彼女らの正義であり、いたいけな信心の現れ、なのですから。

 この方程式、どれくらい便利で使い回しのきくものだったのか、逆に言えばそれくらいいびつな「自分」というのがうっかりと増殖していったのか、ある時期以降、この方程式がひとり歩きを始めるようになったその経緯をもう一度、わかりやすく振り返ってみることも必要になっています。それは、単に間違い探し、居心地のよくない〈いま・ここ〉に対する犯人捜しに血道をあげることでもなく、むしろそのような図式の横暴を許してしまった自分自身のココロのからくりに、ひとりひとりが自ら気づいてゆくことに他なりません。

 

 

●●●

 「民族」がらみで悪評の高い「単一民族国家」というもの言いも、ネーションステート(nation state)の訳語だとも言われます。とすれば、何のことはない、「国民国家」ともとは同じ。つまり、「国民」=「民族」なわけで、この限りではネーションの訳語としてそんなに錯綜して考えなくてもすみそうなものですが、けれども、これに「単一の」とわざわざくっつけるようになったあたりから、一気にことがおかしな方向に転がり始めます。

 この「単一」というのが、とにかく気に入らない人たちがいた。けれども、どうしてそれが気に入らないのか、については自分たちも実はよくわかっていない。とにかく「単一」の「民族」はいけない、そんな「日本」は認めない、という信心が基本。ここでもまた、民間信仰です。

 それら民間信仰がここまで一気に表面化した背後には、小熊英二の『単一民族国家の起源』がさまざまに影響している、という説があります。「単一民族国家」論というのは神話に過ぎない、という、優等生モードのイデオロギー暴露一発のあの本を、半ば聖書の如く持ち回って掲げる「プロ市民」たちがいたのも、まあ、事実だったわけで、けれどもそれは、ある意味アイロニーでもありました。

 

 こういうことです。「戦後」の言語空間自体が90年代に至って情報環境の変貌などによって十分に相対化され、すでに「ムラ」社会になっていた。だからこそ、そこに流通していたさまざまなもの言いも、〈いま・ここ〉の〈リアル〉との接点を失い始めて民話=フォークロアと化して浮遊するようになっていた。いまに連なるいわゆる「マスコミ」批判の基調音とはそういうことです。そんな時期に、そこに安住するムラビト=(メディアの現場や学界に代表される)「戦後」イデオロギーの常民たち、に向かって、大丈夫、あなたたちの信じている神は未だこのように正しい、と、その信仰の正統性を証明してみせる大演説、それがあの本が期せずして担った最大の効果でした。その結果、著者が獲得したのは、われらが「ムラ」=「戦後」の言語空間を護持するためにありがたくも降臨した最後のエヴァンジェリスト、というありがたい役回り。この時期、同じ役回りを授けられた伝道師としては姜尚中なども典型ですな。

 けれども、それは信心にまだ〈リアル〉の裏打ちがあり得た「戦後」から一歩違う環境に足を踏み出し始めた、まごうかたなきニッポンの80年代ポストモダニズムの手癖によるものであり、その意味で「みんなが何となく感じていたことをうまいことまとめて言葉にしてくれた野郎」という意味で時代の子、だったということになります。

 思えば、彼らポストモダンの申し子たちは、どんなにうまく言葉をあやつって見せても、それらとのっぴきならない関係を結ぶ生の実存、おのが生身の身体性というものを意識的にか無意識にか、何にせよ無視するのがお約束でした。「ああ言えばこう言う」の空虚な身体。ただ、その「ああ言えば…」がそれまでにちょっと見られなかった程度に手際よく見事だった分、うっかり騙されてしまうおぼこい世間=「戦後」を生きてきたオトナ、というのも当時まだ立派にあったわけで、それらが共に手に手をとってにわかにはしゃぐことができた、というのが、今から思えば80年代の、「戦後」の煮詰まり始めの光景、ではありました。

 「戦前」に対する反省のあまり、近代の国民国家の一体感をも全部忌まわしいものにしてしまった考えなし。「戦後」の豊かさを前提にした「個人」の「自由」を謳歌することがそれをさらに後押ししました。そう言えば、「全体」主義、なんていうのもファシズムの置き換えでしたっけか。思えば、ファシズムにももっといい、内実に伴う訳語をそろそろ見つけてやらないといけません。

 「複数」であり「多様」であり「人それぞれ」であり、何であれそのような「色とりどり」こそが理想の状態である、という発想。それはもちろん、十九世紀から二十世紀にかけてふくらんでいった「統一」「全体」といった表象がもたらした現実に対する過剰な反省のひとつの現れ、に他なりません。「個人」である「自分」と、そのような「全体」とは常に対抗関係にある、という図式。その「全体」が「家族」であれ「ムラ」であれ、「会社」であれ「組織」であれ、そして「国家」であれ、「自分」の「自由」を制限されかねないような枠組みという限りにおいて無条件に拒否反応を示す、というルーティン。「自由」には責任も義務も伴う、という当たり前の言い方が敢えて必要になっていったのも、そういうルーティンが「戦後」の「民主主義」の通俗的理解として、言い換えればフォークロアの水準における「民主主義」として流通してゆく中での反作用といった面がありました。

 「多様」で「人それぞれ」であることと、「全体」「みんな」ということの絶対矛盾。その双方をむりやりまとめようとすると、「世界にひとつの花」の「それぞれ独自のオンリーワン」という何ともステージのあがったお花畑全開、古めかしいもの言いを持ち出すならばそれこそ「絶対矛盾の自己同一」になったりもします。これもまた、〈いま・ここ〉のアイロニーでもあります。

●●●●

 「戦後」の言語空間において一気に肥大し、膨張させられて収拾のつかなくなっていった「われわれ」「みんな」という自意識。それは、ある意味で「戦後」という言語空間における都市伝説、といったところもあるのかも知れません。「民衆」「庶民」といった「われわれ」表象自体がそれらの代表だった。少なくとも、「戦後」の言語空間においてはそうだった。そしてそれは、最も悪い意味での「宗教」であり、その意味でカルトに等しかった、ともうはっきり言っていい頃です。はっきりまずそう言ってみることから、改めて次の一歩、を踏み出してゆくしかない。

 というわけで、いまや「民族」も同じこと。しょせんはフォークロア、それこそ都市伝説なんだから、といったくくり方をまずしてしまうこと、そしてその次が重要なのですが、そこから改めて、ネーションに見合うだけの何ものか、はさて、この先どうやって構築してゆけばいいのか、ということでしょう。日本人が「単一民族」だろうがなかろうが、そんなことはとりあえずどうでもいい。理屈として、ガクモンとしての見解はそりゃいろいろあるだろうけど、〈いま・ここ〉を生きるわれわれにとって、この国この社会で機嫌よくこの先生きてゆくために必要な「われわれ」感覚、というのがあって、それを最低限にものさしにしてこれから先を考えてゆくしかない、そのあたりが最も素朴で〈リアル〉なネーションの根拠でしょう。ゾルレンでなく、まずはザインとしてのネーション感覚。てやんでえ、インディジニァス、なのはてめえらじゃねえ、他でもないこちとらの方だい、そもそもこの先この土地この国で一緒にうまくやってこうって気持ちがあるのかないのか、そこんところをまずはっきりさせてからゴタク並べやがれ、といった感覚をまずきちんと身についたことばにして共有してゆけるようにしておかないことには、アイヌであれ何であれ、「先住民族」や「多様性」や「独自性」といった気色の悪い大文字のもの言い振りかざしてゴリ押しの政治沙汰が、さらにどんどん横行してゆくことになるでしょう。

 かつて、われらの先輩たちが「民族」という言葉を敢えて持ち回ってきた、その初発の問いというのは、何がわれわれにとっての「ネーション」なのか、ということのはずでした。そしてそれは歴史的に、学問的に、ということと共に、それと同じくらいの情熱でもって、〈いま・ここ〉を生きるわれわれにとって、そしてそのようなわれわれからこの先、引き継いでゆく未来の同胞にとって、という文脈において考えねばならない、ということでもあるはずでした。かつて、「戦後」がまだ若かった頃、未来も先行きも共にまだ自ら作り出してゆくしかなかった時期には、間違いなくそうだった。それから半世紀以上たち、いまや ナショナリズム、というのもカタカナ書きの日本語そのものが何やらあやしげな印象になっていますが、ならばそれを、ネーショナリズム、といった具合に訳してみたら、少しはラクになるでしょうか。ネーション中心の考え方。ならば、それって「社稷」でいいじゃん、と個人的には思ったりするのですが、これはまた別の話。いずれにせよ、「民族」でも「弱者」でもない、それら「戦後」の言語空間の内側ですでにフォークロアと化したもの言いでない、新たなネーションの手ざわりを共有しようという素朴な意志を共に確認できたた上で初めて、それがアイヌであれ在日であれ、はたまた昨今問題にされる外国人労働者であれ、同じ土俵で論じ、考えてゆくことができるはずです。