政権交代百万遍

 西方よりいかなる飛翔体が飛来しようとも、政権交代間近と大音声で繰り返し聞かされ続ける野党第一党党首の金権十八番が露わになる醜聞が発覚しようとも、決して動じることなく、憤ることもとりあえずせず、おくびにも出さず、ただひたすら日々のよしなしごとだけに意識を集中、いや、それよりもなお、いまのこの生業、生きる糧を手にする行いに時間と精力を費やし暮れてゆく24時間だけがほとんど全て。ラ・ヴィーダ。それが人生。この世の現実。

 そして、そっとつぶやくように電網の虚構に向かって書き込むひとことの、あえかな確かさ。

あんまり日本舐めてるとキレちゃうよ。

60年ぶりに…

(´・д・`)ばーか

てめーんところに憲法九条落としてやるから、ビビッてまってやがれボケ。

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  /ノし   u;  \   ;/(>)^ ヽ\;

  | ⌒        ) ;/  (_  (<) \; やっやめろ・・・

  |   、       );/   /rェヾ__)⌒:::  ヾ; 話し合うぞ・・・

  |  ^       | i   `⌒´-'´  u;  ノ;; そんな事したら話し合うぞ

  |          | \ヽ 、  ,     /;   

  |  ;j        |/ \-^^n ∠   ヾ、

  \       / ! 、 / ̄~ノ __/ i;

  /      ⌒ヽ ヽ二)  /(⌒    ノ

 /       r、 \ /  ./   ̄ ̄ ̄/

 嗚呼、平和とは、民主主義とは何ぞ。かつて、原子爆弾を立て続けにふたつも頂戴してまで授かったこの飽和してむせかえらんばかりの豊かさ、安心が、時は移り変わり60年以上、還暦を通り越した地点で振り返ってみれば、何やら壮大な不条理、国家国民まるごと身体を張ったかのごとき滑稽が静かに身についていたとは。

 あれだけ侃々諤々、国論二分するとまで言われたすったもんだの末に成った郵政民営化も、のどもと過ぎれば何とやら、思い返せば改めて癪の種とばかりに死んだ子の歳数えるような恨み言を蒸し返す既得権益擁護の士が未だうそうそと湧いてくるのも現在。都市部住民の傲慢、地方や高齢者へのサービスの切り捨て、などもっともらしい理屈はいまなおいくらでも繰り出してこれるらしいが、その当の末端、現実にその成果がどのようなものか直面するところでは、こんなスケッチも淡々と。

プルル…プルルル

俺「はい、もしもし」

西濃「おるかーー?」

俺「え…?ど、どちらさまでしょうか…?」

西濃「よーし、おるな!いくわ!」

俺「え、え!?」

ピンポーン、ガチャ

西濃「ここやで、トントン(はんこ押すとこを指で叩きながら)」

   西 濃 は ネ申

19:40

「今日の夜にエクスパックの再配達お願いします」

「かしこまりました」

20:30

「大変申し訳ありません、本日の再配達は無理でした」

「え?何でですか?」

「大変申し訳ありません」

「どうしてなんですか」

「明日の午前ではどうでしょうか?」

「だから、何で配達できないんですか?」

「申し訳ございません」

 郵 便 局 は ネ申 (昨日の実話)

 慇懃無礼という、ほとんど忘れていた四文字を目の当たりにできるほどの本末転倒、極上の猫撫で声で開陳される「お客様」目線の能書きのあれこれも、悲しい哉、長年親方日の丸にあぐらをかいてきた公務員気分抜けぬままの生身に対面していては、どんな美辞麗句も空虚に響くのみ。否、むしろかえって腹立たしさをかき立てる。ならば、何の飾りも気配りも初手からなかったかのようにむき出しの実利、文字通りの奉仕=サービスだけをごろりと放り出す「民間」の方が、はるかに信頼できるというもの。同じことは、もちろん学校でも。

愛国心を持ってる人って、云うのは病気なんだよ」

 そう言ってる先生がいた。 でも、自分はどっちかと言うと、この国が好きですねと言うと、その先生は、「それは自分が気が付いていないだけで、怖い病気なんだ。治療しよう」 って、言いだして、日の丸と天皇写真を床に敷いて、「それを力一杯、踏みつけてごらん。きっとすぐに病気が治るよ」って、言われて、踏んだのだが、さっぱり分からなかった。

 その事を正直に言ってみたら、「それはきっとね、心から踏んでいないからだよ。見ていてごらん」 と、いって、その先生は力一杯ガシガシ踏み始めた。

 そこまでは、よくある光景だったが、何かのスイッチが先生に入った。

 「滅びろ、日本!!死ね、ヒロヒト!!!」

 絶叫しながら爆笑する先生の顔は今まで見たどんなホラー映画よりも、怖かった。

そんな教育を受けて、洗脳されると、

国際交流とか何とか言って、半島で平謝りするオバサン連中が出現したり、

日韓の学生交流とかいって半島からの留学生の言い掛かりに「ごめんなさいって、

とりあえず謝った」とマヌケな報告をするバカ学生が現れるわけです。

 とは言え、そんな荒涼たる現実にも、ひとかけらの良心は保たれたりする。それもまた人間、というよりそれ以前に、われら日本人。

中学時代(平成一桁東北地方)、ほぼ学校丸ごと日教組だった為に、学校の図書室がやたら偏って充実していた覚えがある。 ただ、唯一まともな定年間際の技術教諭がおもしろい例えをしていた。

曰く、 「回路の基板をネジ止めするっつう時は、右廻しに適正圧で締め付けるモンだ。 締め過ぎりゃ止めるべき基板が傷付くし、左に廻し過ぎりゃそもそも基板が止まるわけがねぇ。」 「この適正圧ってぇモンが時代によって変わるから面倒だ。 ただ、右廻しが基本なのは忘れんなよ。」 「まぁ物の中には左ネジで止める代物もあるが、そいつはあらかた特殊な機械で、普通に世間で生きる分にはまず不要だっつう事を覚えてりゃいい。 ……人間の思想も一緒だぜ?」

近頃、今は鬼籍に入ったこの教諭の言葉がよく思い出されます。

●●

 「バブルの頃って、どんな感じだったんですか?」

 こんな問いかけをたまにされる。もちろん若い世代から。そうか、思えばその頃に生まれた世代でさえもう二十歳。すでにこの世に生を享けていたとしてもものごころ付く前でおぼろな記憶しかない者なら、三十代にさしかかっていてもまず当たり前。かくて、体験は足もとから知らぬ間に歴史に繰り込まれてゆく。

朝から課のメンバーで集合して早朝割引のソープ行ってた。 夜もファッションヘルスにソープ三昧、終電無くなり月の殆どをホテルから出社。 しょっちゅう部長達に連れられてちゃんとしたクラブでショーを見ながら酒盛り。 1500万でクルーザー借り切って派遣社員を招待してサンセットクルーズパーティー。 封切前の新作映画で映画の上映会。 会社のイメージガールが居た。会社の金で飲みに行くのは毎日の様だったし、会社が引っ越し費用全額もちで賃貸の費用も2/3持ちとかしてくれた。 その他諸々だなぁ。 とにかく幹部連中は会社の金を使いたくてしょうがなかったみたい。

「ラーメンでも食いにいこか」と思いつきでそのまま香港に行ったりしてた。

名古屋の高速でテスタロッサ同士がぶつかって、跳ね返ったテスタロッサディアブロに当たったってニュースがあったなw

バブルの頃高校生だったから、馬場や青山のデニーズでウェイトレスしてたけど、フィリピンパブみたいな女性の集団が一番気前よかった。机いっぱいになるまで料理やサラダを注文して、一口ずつ手を付けて全部残して帰るじゃぱゆきさんたち。

妻がダイヤモンド位じゃ最近喜んでくれないお...→だから海の見えるリゾート(お値段約3,000万円~)をプレゼントするお!

↑これ、89年のエンゼルリゾート伊豆稲取のCMな。

1989年10月バブル絶頂期の頃のCM

http://www.youtube.com/watch?v=1suMt5pGN80

money make you crazy バブル時代の金持ち

http://www.youtube.com/watch?v=JPbmFi2epvM

もはやコントw

 もはやコントにしか思えぬくらい「ほんの昨日のこと=only yesterday」は遠いものに。遠くなればなるほど、現在は昨日と不連続であり、これまでの経験則、そういうものと深く気にせずにきた習い性なども役に立たない、という感覚が常態に。かくて、先の見えぬ不安、漠然とした閉塞感は叢雲のごとくわきおこり、五里霧中を羅針盤もなく漂流しているような気分が時代の最大公約数に。おのれの立ち位置すらわからなくなるくらいなら、何でもいい、いっそわかりやすいものさしを。たとえ多少難あり、つくりも雑であっても、骨組みだけはしっかりした、そして手にとればそれなりに持ちおもりのする「日本」を。

バブルキチガイ景気だけではなく、ここ半世紀の日本が極めて異常な形で逸脱しているだけ。 麻生政権は大幅な軌道修正をかけているだけ。

親の失業なんかオレの子供時代からいくらでもあった。 親はニコヨンしてでも子供を学校にやることを考えた。 貧乏で昼の弁当も持ってこられないものもいた。 それでも国が悪いなどと聞いたことなんかなかった。豚の餌集めの仕事や子守りで駄賃を稼いだ。中学卒業したら皆上京したりして働き、親に仕送り、定時制高校卒業したものも沢山いた。 要するに今の世代は政府の金=国民の払った税金をあてにして、裕福な者に嫉妬しながら不平不満タラタラ国からのおんぶにだっこを夢みて共産主義の腐った根性の持ち主ばかり。

日本の本来の姿は、東南アジアや中南米あたりの諸国みたいな、反共親米傾向のある強権政府が支配する独裁強権国家でなければならない。国内は貧富の差が激しく銃犯罪が絶えず、さらに、経済的利権を独占する華僑や朝鮮僑と日本人との間に内戦に近いような武力紛争が頻発し、隣国との武力衝突も絶えない国であるのが、日本の正しい姿だ。

 「淋しさを、他人(ひと)に言うな/軽く、軽く、傷ついてゆけ」と、けなげにも唄おうとした時代。挫折も屈折も、しかし日々生きてゆく中でそれぞれのやり方でやりすごし、いなしてゆくしかない。ラ・ヴィーダ。それが人生、この世の現実。そのはずだったものが、身をまもろうとそうしてゆくうちに、ふと気がつけばまわりは薄く広く、ひとり肥え太ってしまった自意識に閉じこもり、静かにピッチを狂わせながら、しかしコースアウトするほどの往き脚もなく、微妙によろめいてゆく者ばかり。男も、そしてそれ以上に言っておかねばならないのは、男と全く同等、あるいはそれよりもなお深刻に、女たちも。

彼女が躁鬱ひどい。 今日なんか、風呂熱いの嫌だって言ったでしょ!って切れられた。

いつも風呂入る入るってずるずるダラダラだから、熱めに設定しているだけなのに。

付き合い始めると、わがままでどうしようもなくて、面倒なので別れよっていうと、「じゃあ死ぬ」っていう女が2人続いたんだけど。 どれだけ、面倒なんだよクソメンヘラ。

メンヘラ女はマイ七味やマイタバスコ持ち歩いて一度にビン半分くらい使う。頭おかしくなると唐辛子を欲するようになるんだろうか。

最近電車の中でずっと菓子食ってる女よく見るんだけどあれ何? 乗ってから降りるまで袋から指でつまんで口にポイ、延々やってんだが見ててイラッとする。

女は2次元に限る。

 家族も夫婦も親子も恋人も、人と人との絆などはとっくに虚構に向かって蒸発、あれほど焦がれた個人、ひとりひとりが人それぞれのものさしで生きてゆく素晴らしき西欧近代のお手本は、本家本元よりもある部分さらに透徹したところで成り立ってしまい、あれ、もしかしたらそうなのか、とにわかに気づいてみたところでどうなるものでもなし、逃げ場のなくなったおのれの始末に苦笑いしながら諸共に耐えてゆく日々の終わりなさ。世界情勢も地球環境も国際金融もマクロ経済も、みんな知ったことか。日々の風景にだけ焦点をあわせてゆけるようおのが身をチューニングしてゆくことだけが、いまの状況でおそらく最も確実な自己保存の鉄則。もちろん、その分目線は足もとの少し先、今週末までの仕事、月末までのthings to doあたりより向こうには決して届かせぬようにする。覇気がない、野心も見えない、と苛立たれたところで知ったことか。いまはただ、こうやって身を守ることだけがきっと正義。そしてそのためにこそ、この電網空間は最もこの時代、このわれら同胞にとって切実に必要なインフラになっている。

昼に良く同僚と近所に数件あるファミレスにランチを食べに行くけど、子連れのおかーさん達、まさに泥棒だね。ドレッシングやスティック・シュガー、クリームやティーバックなどを結構な数量をポケットやバックに入れて持って帰る。 それも若くて綺麗なママさんばかり。年配のおばさんなら分かるが。 だからサラダバーのファミレスが去年の9月に閉店した。ママさん達タッパに詰め込んで持って帰ってたし。 モンスターママさん、こわいっす!これ見ていたら、とても結婚なんか出来っこねえ!

困り事を相談されたからマジに解決案を答えたら『?』な顔された上に『あなたは話を聞いてくれるだけでいいのよ!?』って言われた。(´・ω・`)死ねよ女

「~しようと思うんだけどいいかなぁ?」と訊かれて「いいんじゃない?」とか適当に答えたら、それで失敗した後、「だってあなたがいいって言ったからやったのに!」だって。

年収幾らでもいいから、くいっぱぐれせずに、ダラダラ生きていければ幸せだ(;^ω^)

20年後の俺らは、「2009年頃って、超貧乏だったんだぜ」と笑っているか、

「2009年頃って、貧乏ぶってるけど今に比べたら全然ブルジョワだったんだぜ」と苦い顔で言うか、 どっちだろうな。 前者でありたいものだな。