宮崎駿の「引退」をめぐって

 

宮崎駿はいかにして「国民的映像作家」となったのか。どのような作風が国民の心をつかむに至ったのか。また、商業的成功を支えたバックアップ体制に独自のものがあった、などということはあったのか。具体的なエピソードなどもあれば、それとともに。

 「国民的映像作家」の称号にふさわしい人ってこれ以前にいましたっけか。いや、冗談でなく。山田洋次とか黒澤明小津安二郎とかですかね、ごく一般的に考えれば。いわゆる実写系の映画以外に広げた意味で「映像作家」なんでしょうか。特撮なんかはどうなるんでしょうか。動画以外も含まれるならマンガ家なども入っていいんでしょうかね。

 茶々入れはともかく、よく言われてるように鈴木敏夫プロデューサーとのタッグが安定的な商業的成功をもたらした、というのはその通りなんでしょう。関連して、徳間書店というある意味伝統的な「パトロン」「旦那」との出会いがアニメを受容する観客がマスとして成立し始めた70年代後半というタイミングで可能だったこと、新聞や週刊誌といった「活字」中心の編成からテレビ、ラジオを経由したメディアコンプレックスが情報環境として成り立ってゆく過程で、結果的にそれらの過程にうまく波乗りすることができていった、というあたりのことは総論的にはまず言えると思います。

宮崎駿を「戦後日本アニメの最高峰的存在」として受け入れ、評価してきた戦後日本社会の状況について。宮崎アニメを受け入れた「戦後日本社会の土壌」とはどのようなものだったのか。

 戦後民主主義の高度経済成長以降の時代状況におけるありよう、があることは概ね誰が見ても明らかでしょうが、それら総論とは別に、各論としてひとつ案外明確には意識されていない要素として、いわゆる「少女マンガ」的世界観や価値観とでも言うべきもの、があります。70年代に明確化したものですが、宮崎駿が題材としても、また作品内キャラクターや設定としても、それら「少女マンガ」的世界を意識していたのは結構重要だと思っています。そのような要素があればこそ、俗に言われる「戦後民主主義」「リベラル」な世界観や価値観も、どこかで「オンナ子どもの正義」とでも言うようなものに変換されてゆく。それまでアニメの世界でも決して中心的な評価を得ていたわけでもなかった宮崎駿とその作品が、一気に「国民的」という形容に見合うような成功を獲得してゆくのは「となりのトトロ」(88年)以降、いわゆるバブル期に向けて「戦後」過程が「瀕死かつ最高」の状態に到達していた時期より後のことだったのは、そういう意味でも象徴的ですね。高度経済成長の「豊かさ」前提にその後さらに拡大していった高度大衆社会&消費社会状況は、そのような「オンナ子ども」的自意識がこれまでになく表面に、かつ臆面なくおおっぴらに、バブルを極相とした「豊かさ」任せに浮上してゆく過程でもありました。「宮崎アニメ」を支えてきた意識とは、そのような意味で「戦後」も高度経済成長を介して後、それまでとはまた違う様相を呈していったポストバブルの「失われた20年」の過程を反映しているのだと思います。

宮崎駿の引退宣言により、『風立ちぬ』は最後の宮崎の長編作品となる。これは戦争の歴史を描いた物語だが、宮崎は、同じく「国民的作家」だった司馬遼太郎と生前親しく交際し、戦争の歴史に関する対談なども多数行っている。一方で宮崎は『もののけ姫』にあるように、網野善彦的史観の理解者ともされてきた。特に最新作『風立ちぬ』を見たとき、宮崎の歴史観とはやはり「司馬史観」であるのか。宮崎と司馬には、同じ「国民的作家」としての何か共通したものは存在するのか。

 う~ん、司馬も網野も、その時その状況でのある種知的な大衆的日本人の「教養」として彼もまた受け入れてきた、ということなんじゃないですかね。敢えて言えばそれ以上でも以下でもないような。「歴史観」とでも言うようなものがあるのだとしても、それは司馬や網野などとは違う水準、ありようの異なるものと考えた方がいいと思います。

 「風立ちぬ」に限って言えば、あれは黒澤明の最晩年の「夢」みたいな位置づけになるんだろう、と。これまではアニメという枠組みで子ども向けにという縛りの中で作品づくりをずっとしてきたものが、最後になって自分自身の情緒や美意識、生身の人生観みたいなものをかなりストレートにぶつけるような、イマジネーション的な要素の強いものになっているなあ、と。堀辰雄だの何だのも、そんなに深い意味はないと思いますよ。要は宮崎駿の個人的情念というか、生身の自分を介して結像することのできたイマジネーションとしての「歴史」であり「世の中」像なんじゃないですかね。だから「トトロ」や「ポニョ」「ナウシカ」的な期待で子ども連れで観に行った、それこそ通俗的な宮崎アニメイメージを最も素直に消費してきたような人たちはおそらく相当拍子抜けしたり不満を持ったりしたでしょうけど、ただ、彼自身の「職人」的価値観や美意識、「おたく」的、と言い換えてもひとまず構わないような意識や感覚へのロヤリティなどは割と素直な形で表出されていたように感じました。

 「戦後民主主義」とひとくくりにされる現われにも、いろいろ微細な違いやアヤみたいなものはすでに含まれるようになってきているわけで、そう考えてみれば宮崎駿の「歴史」や「社会」についての見方考え方みたいなものも、仮に強引に抽出してみたとしたところで、総論そういう「戦後民主主義」を基調にしながら、そこに団塊の世代段階の同時代感覚情報リテラシーを補助線にした「原おたく」≒「職人」「マニア」的求道者感覚と、それらの感覚を共有する者たちの共同性への連帯感や信頼をいくつかの変奏曲として織り込んでゆく、良くも悪くもその程度のものしか当面、見えてこないように思います。