せり場の「元気」

 せり、のシーズンが始まりました。すでに九州でのトレーニングセールなどは日程が消化されていますが、札幌競馬場での二歳馬トレーニングセールとそれに引き続いて、ひだか東でも、ほぼデビュー可能なところにまで仕上がった二歳馬たちが市場に姿を現わすせりが行われました。

 購買状況や市場の様子など、詳細は本紙の記事に譲るとして、ひとまず元気な若馬たちをこの時期、見ることのできるのは、毎年、素朴にうれしいものです。どんな問題や課題があるにせよ、毎年こうやって新しい世代が生まれてきて、競馬を支えてくれる若い馬たちが具体的に姿を見せてくる、そのサイクル自体が稼働している事実こそが、こんな苦しい時代になお、競馬を仕事にしてゆこう、という気持ちを折れずに支えてくれています。

 言わずもがな、生産頭数の落ち込みは深刻です。ニッポン競馬自体が産業として市場規模が縮小を続けているわけですから、競走馬生産も減ってゆかざるを得ないのは状況的に仕方のないところでしょうが、それでも、前々から問題視しているように、果たしてどこまで下げ止まれば一応の安定が見られるのか、この競馬逆風の状況をどのあたりで食い止めて全体のバランスをとろうとしているのか、その大きな方向性が正直、まだ見えないまま、というのが相も変わらず大問題。まさに、who cares? (誰が責任持つんだよ?) という感じです。

 眺めていても、少し前まで、せり場で必ず顔を見ていたような、昔ながらの馬喰さんやエージェント、あるいは地元で顔の売れた牧場関係者、といった人たちの姿が、少なくなっているような気もします。もちろん、世代交代という側面はある。せり場でお客さんと対応するのが、若い世代の、それも明らかに育成牧場あたりの自ら馬にまたがって仕上げる仕事に従事する、いわゆるコンサイナー系の人たちが近年は主流になりつつあるような。それに比べて、馬を買いたい馬主さんたちの側はというと、こちらは若い世代がそれほど眼につかず、顔ぶれは変わっても世代的にある程度年齢の高い人たちがまだ中心、といった印象。そんなもの、馬を持とうという人の経済的背景からすれば当たり前、と言われるかも知れませんが、それでも、ITバブルの頃などは、ああ、これまで馬の世界にいなかったタイプだなあ、といった身なりや身のこなしの、30代そこそこといった年格好のお客さんの姿が結構、いたものですし、また彼らが実際のせりで購買に参加するたたずまいは、その勢いよさとあいまって、ある種の「元気」を市場に与えてくれていたように思います。

 そういう「元気」の源となるような若い世代が目立たない、というのは、たとえは適切でないかも知れませんが、過疎のムラと同じこと。子どもや若い衆が当たり前に身のまわりにいる、そんな環境がなくなってくることが、実はどんな経済的、政策的な理由よりも、日々そこで生きている人たちにとってはいちばんこたえることだというのは、長年そんなムラを見続けてきた民俗学者たちの実感です。自分たちの明日を受け継いでゆく者たちの姿が具体的に見えにくくなった社会は、その時点でもう、枯れてゆくしかないサイクルに入っている。

 でも、先日のブリーズアップセールなんかはもう少しお客さんの層が違ってたよ、と言う人もいます。これも近年、注目を集めているJRA主導のブリーズアップセールは、なるほど、売却率も高いし、何より購買価格にしても一般のトレーニングセールより割高の結果が出ていて、その分、「元気」を運んでくるような若い世代のお客さんも多いのかも知れません。

 ただ、正直疑問なのですが、あのブリーズアップセールというやつ、せりとして好調なのはいいとして、生産界全体としては結果的に、それ以外の「民間」の市場を圧迫することになっていないのでしょうか。JRAの、相対的に潤沢な資金と恵まれた人的資源を背景に育成馬を扱って、実際に結果も出ているということでお客さんも集まっているわけですが、かつての抽選馬育成事業と意味はすでに異なり、明らかに市場のビジネスに参入している。「民」への圧迫なわけで、このへん、生産者団体などがどう考えているのか、不思議です。

 千葉や青森のトレーニングセールに上場馬が少なくなっててなあ、という声も聞こえてきました。千葉や青森でまだ生産やってるのか、といった心ない意見も一部にはありますが、それでもこれらの土地でもトレーニングセールを、というのは地元の競馬産業を支えようとする懸命の努力なわけで、千葉などは早くから船橋競馬場での展示をやったりいろいろ新しい試みを先駆けてやってきた地域。青森にしても、「青森馬」というもの言いが地方の競馬関係者の間で、コストパフォーマンスの高い馬という意味も含めてある信頼を獲得してきた歴史もあります。名簿を見ても、母系に戦後のニッポン競馬を支えてきた、それこそわが国土着の血統が混じっていることも少なくない。輸入の新しい母系が主流になってしまってすでに久しい日高の名簿に比べて、なつかしい名前がまだ頑固に維持されているのが見られるのも、間接的にではあっても、そんな市場の「元気」を支えるささやかな一因になっていたりもするはずです。

 あの自動車産業でさえ、未曾有の市場縮小の現実に直面しています。競馬もまた、産業として大きな再編期にすでに突入しています。春の天皇賞からクラシックシーズンに向かう競馬がいちばん美しい季節、それでもJRAの売り上げ低下は相変わらず、レース自体も盛り上がらないまま。季節はめぐって新しい馬たちは生まれてきても、競馬という仕事、産業としての基盤のゆくえが不透明なままでは、それを仕事として生きている人たちの安心は得られません。