「学者」世間の疎ましさ・メモ

 「学者」の世間の、いったい何がそこまで疎ましかったのか。  

 「学会」「学界」の揺籃におさまりながら、指導教員や先輩たちの視線に対してまっすぐに身構えつつ、しかし生身の自分の内側には確実にアンビシャスでもの欲しげな「功名心」の気配を満々とたたえつつ、とりあえずは与えられた範囲での堅実な仕事をこなしてゆく、そのコントロールは確かにされている「自分」のたたずまいが、ということだったんだろうと改めて思います。

 そんなものとひとまず関係なく、ただの布衣、一匹の知性としてつきあってくれる作法を持つ人ももちろんいた。まれには、なのは世の常のこと、致し方ないにせよ、なるほど確かにいました、どこかに必ず。

 彼らはそんな「功名心」を前面には出していなかった。もちろん内に抱えているのはあたりまえだとして、それらを自分という存在のまわりに平然と放射してしまうことを自ら恥じるような、だからこそ禁欲できているような、そんな気配があるのが通例だった。

 こちらがどんなに取るに足らない、彼ら彼女らの世界観ではどうでもいいような立ち位置にある存在であっても、コトバ本来の意味で「平等」に、「対等」にまず対峙しようとしてくれていました。

 ガクモンの「自由」、といったものを身にしみる機会が多少でもあったとしたら、たとえばそういう彼らとの遭遇において、だったと思います。

 そのような主体のあり方は、それぞれの「生き方」と必ず関わるようなものでもありました。そしてそのような「生き方」の水準が、ひとりひとりのガクモンの質や手ざわりまでも否応なしに規定し、関わってこざるを得ない、そんなものでした、平然と。

 生き方が卑しくなると、ガクモンもまた引きずられて妙なものになってゆく。事に臨んだ際の身の処し方を誤ると、確かにその後の仕事に陰に陽に影響というものが出てくる。これはもう、見事なまでにそうでした。他の言語、よその国の世間においてどうなのか知りません。ただ、少なくとも日本語を母語とする知性のあり方の実感において、そのような相関関係は必ずかたちになって現れるものだった。

 ですから、と言っておいていいのでしょう、生き方を正しくしよう、身ぎれいにしておこう、そういう処世の心得は、誰に教えられるものでもなく、いつしか自分の内側に宿っているものでした。それをそのままに実践できているかどうかはともかく、少なくともそうありたいと念ずることにおいて、ガクモンもまた「サムライ」のココロとどこかでつながっているようなものだったのでしょう、当時はまだ。

 余計者、珍獣としての知性、という立ち位置、昨今の若い衆ならば「キャラ」と呼ぶかもしれないそのような属性は、しかし、常に裏返しにその時代その時代の「知性」の外延を透かし見ることを強いられるめぐりあわせになっていたようです。

 味気ない、心萎えるような失態、醜態の瞬間を、だからいくらも見聞してくることになったらしい。たとえそれらがやり過ごしてしまうのが当たり前な程度の些細で些末なものだったとしても、しかし余計者、珍獣にとっては必ず何かの痕跡を身の近くで残してゆくようなものでした。

 いやだなあ、と小さくつぶやいてしまわざるを得ない瞬間は、それと意識せずとも常に、一定の頻度である時期までの日常に連続していたらしい。

 あれだけ他人と、まわりのニンゲンと手に手をとっての「わかる」を標榜しておきながら、そしてまたそれを相当程度に本気に、誠実に信じていながら、現実に振り返ればそのような「わかる」へ向かうための第一歩からして、つまづかざるを得ない。

 大学院へまぎれ込んだばかりの頃、先輩に連れてゆかれた学会の懇親会の、あれはそのまた流れの二次会みたいな席でのこと、東大の院生たちが若手の助手や講師クラスの連中と集っている場に何の間違いか立ち混じってしまった時に、同学年とおぼしき東大の院生が言ったことば。「そんなの、文部省に言いつけてやればいいんですよ」が、未だに耳の底に残って離れません。

 あれは確か、学会費をちゃんと払わないやつがいる、といった話からだったと記憶します。「文部省に言いつける」ことが、どのようなペナルティになるのか、当時はまだ全く、ほんとにきれいさっぱり何のことやらわからない、その程度にボンクラ丸出しでした。いや、その後もまだしばらくの間、意味がわからなかった。要は、カケンヒ(これが科学研究費というものであることを知るのもさらにその後、でしたが)など、研究費をふんだくる時にいろいろ不具合を生じさせてしまえばいい、ということだったらしいのですが、その場では意味不明だったそのことも、ただ「文部省」に「言いつける」というもの言いだけが異様にくっきりと、違和感と共に刻み込まれました。

 学会を裏方含めてうまく切り盛りしてまわしてゆく、それもまたわれわれ院生の、正確に言えば東大などアタマのいい大学の院生の仕事なんだ、というある種のプライド、優越感と共に表現されるもの言いであることは、とりあえずビンビン伝わってきました。

 学会に集まってくるさまざまな欲得づくの、あるいは自尊心や自己顕示欲がらみの物件たちをうまく踊らせながら、接待しながら、自分たちの学会「選良」としての地位をしっかり守り続けてゆく、その暗黙の了解の共同性を初めてくっきりと、目の当たりにした瞬間だったと思います。

 大学官僚、というもの言いはまだ自分の中でも発見されていませんでしたが、でも間違いなくそういう存在、そういうニンゲンに向かう道筋と、そこにしっかりはまりこんでいる物件を生身として見てしまった。ああ、そういうことね、という印象だけは確かなものでした。

 それまでの、たとえば芝居の世間で似たような感覚、近い印象を出会い頭に抱いたようなことがあったかどうか、定かではありません。人間関係のドロドロや自意識がらみのめんどくさい事態がつきものとされてきた芝居の世間でも、しかしこういう大学官僚とその予備軍のような、あっけらかんとくっきりしたプライドの輪郭をぬけぬけと丸出しにした物件が、しかもたむろするような場には遭遇しなかったように思います。