対談・富野由悠季

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 佐世保小6女児殺害事件に関する大月隆寛氏のルポルタージュは、あの事件に対しての多くのメディアの視点いわゆるネット、チャット、『バトル・ロワイヤル』(高見広春の小説。'00年に映画化)というものとは違い、彼女の生まれ育った場所と置かれた環境から、パソコン的日常が彼女の心性にどう作用し、事件に至ったかを読み解こうとするもので、これは“いなか、の、じけん”だととらえた氏の慧眼には、なるほどと感心しました。またアニメもそこに含まれるらしい“サブカルチャー”なるものに対する大月氏の考えもお伺いしたく、対談をお願いしました。文化庁が音頭をとって、アニメ、マンガなどのオタク文化を日本を代表するカルチャーとして世界に広げようとしている。笑うしかないようなこの現実は、一体どうとらえるべきなのでしょうか。*2


富野 大月さんは雑誌『諸君!』でお書きになられたルポの中で佐世保小六女児殺害事件を“いなか、の、じけん”だとおっしゃっています。実際に現地に行ったら、そういう言葉が降ってきたんですか?

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大月 そうですね。直感的にこの土地はヘンだぞと思いました。小6の彼女がパソコンやってて、ネット上のトラブルがあってというメディアの物言いは間違いじゃないんだけど、彼女が日常、生きて生活してる場ってあるじゃないですか。それを無視して、巷で言われているそういう〈おはなし〉の図式だけでこの事件を処理しちゃうと絶対落ちる部分があるぞ、と。それを理屈じゃなく現地に行ってみて感じたんです。

富野 僕の場合は、大月さんのルポを読んでから現地に行ったからスポンとわかっちゃったんだけど、小学校から彼女の家までバスで十分ちょっと、距離で数キロしかないのに、まるで孤立した山の中という、あんな隔絶した場所があるというのにはびっくりしました。

大月 そうでしょ。あたしもそこなんですよ、引っかかったのは。わずかあれだけの距離ですよ。なのに、生活のあり方がこんなにも違う人たちが共存してるという。

富野 街を手の届く距離に見下しながら、街の暮らしから隔絶されている自分を11年間感じ続けるという暮らしは凄まじいなと思いました。あそこは隠れ里ですよね。

大月 そうなんですよね。それこそ“世に遠い一つの村”なんです。

富野 そんな場所で暮らしていた子が、ネットやチャットをいじり始めてしまったら絶対そこになびくし、その中で、その子が本来土着として身につけなきゃいけない足場を与えてあげられなかった。でも、佐世保にはああいう場所は珍しくないらしいんですね。ああいう場所に寄留した朝鮮半島の人間はいただろうし、大陸の人間もいただろう。そういう人たちが徐々に北上して弥生文化が広がっていったんだなというのを、痛烈に感じたんです。彼らが北上していく過程の中で、気も狂わずに日本人のアイデンティティみたいなものを手に入れたんだろうなと想像してしまいました。でも、21世紀というのは不幸な時代で、真っ当に北上していくだけの、つまり自力をつけていく教育論や社会論がパソコンを使っている我々にはないんです。

大月 いまは、パソコンや携帯のような情報機器が発達してますから、たしかに便利ですよね。それはもちろん使っていいんだけど、暮らしの基点がわからない。ゼロポイントがないまま情報機器の便利さに振り回されると、自分の容量を超えちゃうんですよね。扱いきれない情報量がいきなり押し寄せたら、そりゃおかしくなりますよ。おっしゃるように、人間は生きていく成長の過程で自分のキャパを身につけていく。それで何とか自分のゼロポイントを知って、俺はこれだけの器なんだっていうのをわかった上で、身を落ち着かせる。でも、今はそれを抜きに何か大きなものがいきなり覆い被さってくる。それに耐えられない恐さや不安、みたいな部分は、特に若い世代にはすごくあると思います。

富野 ありますね。佐世保の事件のあの子が着ていた服のブランドがどうだっていう報道もありましたよね。それは身の丈を越えたものに何とか近づこうというあの子の努力だと思うと、あまりにもせつないですよね。

大月 彼女はあの年代にしてはませた子だったと思うんですよ。ファッションにも気をつかっていた。ところが、殺された子はあの年でプーさんのトレーナーを着てるんだよね。この落差ってスゴいと思う。でも、そんなのは本来ならば、日常の子供同士の付き合いの中で解消し、吸収できるものだったはずですよね。でも、そういう機能がもう、どこかで破綻しているんですよ。

富野 問題は、大人がそういう子たちを気にかけてやる目線をなぜこうも失ってしまったのかということなんです。戦後50年、アメリカに追いつき追い越せで、倫理観や、何よりも日本人が土着として持っていたものを投げ捨てすぎたからじゃないかと言うことはできます。でも僕自身は投げ捨ててきた覚えはないんですよ。

大月 意識的に捨てたわけじゃないですよね。高度成長が達成した豊かさの中で暮らしていると、必然的にそういうものは置いていかざるをえないところがあって、普通に生きてきたらこうなっちゃったというのがほとんどじゃないかと思います。


■優等生カルチャーの最も病的な部分がニューアカデミズム
富野 僕はサブカルチャーって言葉を初めて聞いたとき、びっくりしたのね。そしたら、アニメもサブカルチャーに入るっていうじゃない。たしかに広い意味での文化だとは思う。文化の端っこにいる何かだとは思うけど、カルチャーなんて自分で言うなよ。似たような言葉にライトノベルってのがあって、今やライトノベルが文芸の主流だみたいなことが新聞に書いてあるわけですよ。言うに事欠いて、売れりゃあ何でも正義かって。

大月 角川書店でそれを言われても(笑)。なんか最近、サブカルはアートだなんて言い出してる連中がいるじゃないですか。ホント恥ずかしいよね。フランスやイタリアに“オタク”を持ってったりして。

富野 ベネチアビエンナーレ展で“オタク”展をやってますからね。

大月 で、やっぱりうれしそうなんだ、あの岡田斗司夫でさえも(笑)。ああ、そうか、彼らオタクも、実は「ニューアカデミズム」をやりたかったんだな、って。ニューアカデミズムっていうのは、80年代にそれこそ「ポストモダン」なんて言い方と共に流行った、学校教育の優等生カルチャーの最も病的な部分なわけで。実はこれってオウムのときにも言ったんですよ。オウムはたしかにおかしい。けれど、これはバグであって、オウムと同じ自意識のままエリートカルチャーの中に入った奴らがいっぱいいるんだ、と。弁護士、医者、大学教授、政治家、官僚、ジャーナリスト……こいつらが将来ひどい組織犯罪起こすよって、もう10年前から予言してたんです。で、実際にもう起こり始めてるでしょ、いろんなところで無責任なことが。

富野 そんなの放置してたら駄目じゃん。どうしたらいい?

大月 痛い目に遭うしかないです。

富野 だけど、そこで痛い目に遭うのは我々の子供だったり孫だったりするわけよ。

大月 そうですね。佐世保の事件のように、それこそ何の罪もない、たまたまそこにハマり込んだ人たちがひどい目に遭う。でも、それは強くなれとしか言いようがないですね。それぞれが強くなるしかない。いじめられっ子に何を言えばいいかという問いがあるじゃないですか。強くなってもいいんだよっていうのもありですよね。不条理だと思ったら、もっと強くなったってかまわないんだよって。でも、それを誰も言わなくなっちゃったんですよ。かわいそうだね。君の気持ちはわかるよとしか言わない。ケンカして帰ったら、すぐに勝ったか?って訊くような、そんな大人がいなくなっちゃった。全部が全部それじゃあ困るけど、いてもいいんですよ、そういうヘンな大人は。それの対極にあるのがさっきのニューアカデミズムやポストモダンで、あれは早い話、単なるチャート式なんですよ。心にもない言葉、体重乗ってない言葉をいくらでも操作できる技術がスゴいだけ。自分がお勉強できるのをほめられたい、それだけなんです。現われが右であれ左であれ、リベラルであれ保守であれ、何でもいいんですよ。状況に応じてあいつらは何でも言う。エクセプト・ミーなんですから。自分だけは違うと思ってる高みに立ってるんですよ。そんなのツラ見りゃわかるもん。あたしにとっての敵ってのは、ああいうツラした奴らなんです。

富野 わかる。なんでそういう大月さんの言葉が、きちんと世間に伝わらないのかなぁ。

大月 いや、それはまったく不徳のいたすところで(笑)。

富野 その不徳が何かというと、最初から怒りの気分で文章を書くと、人は読まなくなるんですよ。これだけの学識をお持ちで、フィールドワークもなさってるんだから、もう少し伝わる言葉で書かなきゃダメですよ。これだけ文章がお上手なんだから。読んでて、若いんだよなぁって思っちゃった。

大月 ああ、でも、これでもだいぶ年とりましたから、もう大丈夫ですよ。あとは自分がどれだけ楽に生きているかを示すしかないでしょ。こいつ自由にやってるなとか、仕事もないのに好き勝手やって楽しそうだなと思われたら勝ちだと思ってますから。あんなヘンなおじさんがいてもいいよなってなれたら、それが最高の教育だと思う。


■大衆化したオタクにいエリートのオタクが飲み込まれていく
大月 アニメでもマンガでも何でもいいけど、好きなものを通して自由になるやり方がみんなわからなくなっている気がするんですよ。ただ漠然と「好き」だとか、あるいは好きなだけで正義だと思ってるでしょ。私が好きだから、で全部許されると思ってる。最初はそれでいいけど、大人になったらそうはいかないじゃないですか。

富野 そう。好きが許されるのは学生までであって、世間に出たら好きっていうのは一番危険なことです。

大月 ですよね。いちばん「危険」でヤバい。だから、それを仕事にするという守り方もあるし、趣味にするという守り方もある。いろいろあるけどお前はどうするの? って話になってくる。それがまさにそれぞれの生き方じゃないですか。

富野 でも、そういう言葉づかいを、今、ホントに聞きませんね。

大月 みんな聞きたくないからでしょうね、きっと。だから、オタクって昔っからほんとは大嫌いですもん。

富野 大月さんからいただいたメールにオタクについて書かれていましたよね。「オタクがもっと大きな違う何かに飲み込まれつつある。そんな状況が90年代後半このかたあらわになってきていて、佐世保の事件もそういう大きな何ものかに関わっているような気が強くします。高度経済成長の豊かさを野放図に享受してきた第一世代の生活感覚やカルチャーを反映した“オタク”なる現れが、それ以後の現実によって包囲されつつあるということなのかもしれません。それは基本的に健康なことであり、真っ当な方向だなぁ」と。これをもうちょっとわかりやすく説明してください。

大月 オタクって結局、高度経済成長の豊かさがなきゃ成り立たなかった意識のありようだと思うんですよ。岡田斗司夫とか唐沢俊一なんかはある意味典型です。親は大金持ちだし、子供部屋が何十畳っていう、こんなの普通ねえだろ、っていう環境で、カネとヒマを惜しみなく投入したからああいうヘンなもんが出てきた。だからといって、あれを目指しちゃいけない。たまたまああなっちゃってるだけなんだから。ただ、彼らオタク第一世代は間違いなくある種のカルチャーエリートであったわけですよ。たまたまマンガやアニメに向かっただけで、学校の勉強やらせたらそこそこできるくらいの能力はあった。オタクってのはだからプライドもあったし、エリート同士の付き合い方も作法もあったんだけど、それが今は商品化されて薄く広まっちゃったでしょ。つまり、大衆化したオタクにかつてのエリートとしてのオタクが飲み込まれつつあるんですよ。

富野 わかりやすく言うと、食玩なんてのはそうですよね。

大月 そうですそうです。そういう意味じゃ、海洋堂はいかん!(笑)

富野 僕は結構好きだけどね(笑)。彫刻もやりたかった人間としては、三次元のモノをあのサイズであの精度で仕上げられるのはスゴいと思います。

大月 あれって、ほんとに江戸時代の根付職人あたりからの伝統ですよ。チョコエッグなんて、もともとはイタリアのホントにチンケなおもちゃだったわけですよね。それをあそこまで無駄に精緻なものを作る日本人って偉いとは思う。でもそれは日本の文化が偉いんであって、今のオタクが偉いわけじゃない。

富野 その趣味の一点の部分だけで海洋堂は偉い。でも、一般大衆っていうのはね、2、3年で趣旨替えをするんですよ。オタク文化もそういうふうに大衆に飲み込まれて、完全に遺物化してなくなっていくものなんでしょうか。

大月 なくなりゃしないとは思いますが、ただ、オタク文化がオタク以外の層にも享受されることによって、オタクの特性が目立たなくなってきたのはたしかで、かつてのようなエリートカルチャーとしてのプライドが保てなくなった。だからこそビエンナーレだなんだってあがき始めるわけでしょ。江戸の根付職人は別に幕府のお抱えになろうなんて思わなかったからね。あたしゃいい仕事したよ、って、それだけで喜んでたんだから、それでいいじゃないですか。今のオタクがそうなれないのは、やっぱりどっかイナカもんなんでしょうね。フランス人やイタリア人にほめられてどうするんだっていうの。オタクが世界なんか制覇するかっての。ましてそんなもんの市場が日本を支えるわけねえだろって言いたいですね。

富野 僕はアニメも日本経済を支えるとは思えない。

大月 支えるような国ができたらそれは間違ってます。韓国なんかやってること自体が大間違いです。あのままやってたら国の方向間違えますよ。ありえない。そりゃあ、トヨタは日本を支えてますよ。でも海洋堂じゃ支えられない。支えられるような国があったら〈おはなし〉としては面白いけど、ありえない。あっちゃいけない。あたしゃそんな国には絶対住みたくないもん。

富野 そこで初めてサブカルチャーという言葉が浮かび上がってくるわけで、しょせんサブなんだよね。

大月 そのサブの部分にプライドを持ちなさいよって言いたい。

富野 そうです。下位の文化なんだから、それでいいってことです。

大月 何でお抱えになろうとするの。エラくなって、顔の見える仲間や信頼できるご贔屓筋じゃない、どこかの漠然とした誰かにほめられたがるの。なった瞬間、梁山泊と一緒で負けるよ。どんどん死んでくよ。

富野 僕も絶対そう思う。


■外に向かって表現した瞬間に、公共に対しての責任が生まれる
大月 昔は、マンガは児童漫画って言われてて、子供のためにいいお菓子を与えなきゃっていう感覚があったじゃないですか。決して主食ではないけど、子供には必要なものだからできるだけいいものをという使命感が昔の漫画家にはありましたよね。恐らくアニメでもある世代まではそうだったと僕は思っています。ところがいつの世代からか、自分のためにマンガを描き出しちゃった。もちろん最初はそれでいいんですよ。でも、どこまでいっても自分のためにしか描かない作品ってあるじゃないですか。なんかそれってイヤなんですよ。いつまでもそれでいいのかって思っちゃう。

富野 いつまでもそれでいいわけないんですよ。さっき大月さんが言われた好きで全部が許されないということと一緒で、それを出版したのなら、それが500部だろうが千部だろうが関係ないんです。

大月 ええ、枠がコミケだろうが何だろうが社会的責任は一緒ですよ。

富野 外に向かって発表した瞬間に、それは作品でなければならない。表現というのは公共に対しての行為ですから、公共に対して責任を持たなければならない。簡単に言うと、それだけのことです。じゃあ、どうして我々はこうも公共という言葉を喪失してしまったのか。個性が一番という考え方ゆえなのか……でも、個性なんてのはとても怪しいもので、そんなのは本来作家に求められるものではないんですよ。必要なのは、公共に対して責任がとれるかどうかなんですね。

大月 少なくともそれに対する反応や評価は自分で引き受けられるものでなきゃいけない。

富野 もちろんそうです。作品には自分の名前がつくんだから。

大月 ところが、今やインターネットだブログだって、自分で責任持てるかわからないものでも、ボタンを押せば世界中にばらまけちゃうでしょ。

富野 それが佐世保の事件以来気になってることで、つまり、公共というものに対して意識の持てないところで発表されているものに関しては、本来発言でもなければ意見でもなくて、しょせんそんなのは私見にすぎないんだから、そういうものに振り回される必要もないし、それを憶測する必要もない。そんなのがその人の人格に関わるかっていうと関わらない。

大月 いちいち配慮する必要なんかない。

富野 そう。100個くらい悪口を書いた、その最後にひと言「でも、好きです」という言葉があれば、それですべてが済んでしまうかもしれないという言葉づかいを、本当は小学校の時代から学校で教えていくべきだったのに、それを我々はないがしろにしすぎたっていうのは、ちょっと感じます。

大月 なかったことにしてきたんでしょうね、あまりにも。

富野 だから、問題はネットでもチャットでもなくて、大事なのは、これはただのつぶやきなんだ、こっちは私に向けての言葉なんだっていう判断なんですよ。

大月 その判断ができなくなってるんです。全部自分に関係あると思っちゃう。

富野 それを、そうじゃないんだよとわかる言葉づかいをすぐにでも教えていかなきゃいけない。逆にそういう教養が身についていれば、少しはメールやチャットの内容も変わるかもしれないと思いたいんです。

大月 ほんとに真面目なんだなあ、やっぱ富野さん(笑)。もちろん、ほめてるんですよ。俺はそこまで余裕ないから、とてもそれは言えない。昔だったら言ってるけど。でも、たしかにおっしゃる意味はよくわかります。

富野 僕だって15年前はこんなこと言えなかった。この10年自己鍛練したから、こういう言い方ができるようになったのかもしれない。僕は、日々日露戦争に勝つまでの日本人の心性であってほしいんだよね、自分は。そう思うことが少しでも世直しにつながっていくかもしれないから。さぁ、今度は大月さん、あなたがやりなさい、お若いんだから。

大月 若くはないけど(笑)、やりますよ。でも、日本人ってバカだし、おかしな面はあるけど民度は上がってる。ただ、うっかり上がっちゃってるのがいけないんですよ。自分でもよくわからない、責任の持てないヘンな民度の高さがすでにある。

富野 だから、どこに足場をつけるかなんですよね。やっぱり日本列島という風土に足場をつけるということを意識するしかなくて、その自意識を涵養していくことは素養を訓練するということだから、基本的には情操教育ですよね。それに尽きるんじゃないでしょうか。

大月 つまり逃げられないものをどう認識するかってことですよね。親も生まれる場所も選べない、そういう条件の中で人間は生きているわけで、お前の個性で選べるものばかりじゃないんだ。でも、それは悲しいことじゃなくて、前向きにあきらめなさいよ。そうしないとゼロポイントなんてわかんないんだから。

富野 前向きにあきらめなさいか……今の若い人たちって、そこまで精妙な言葉づかいをしないと、すぐに言葉を疑っちゃうんでしょうね。つまり、頑張れと言われる黙るという。そこまで鍛えられてないんだ……。

大月 あえて言えば揉まれていない。それは力にというよりも、言葉に、等身大の関係に揉まれてないんでしょうね。

富野 それを揉む作業をしていくのが、今一番大事なことだと思う。ただ、この都市空間が持つ人をどんどん横着にしていくという性質。この環境は困ったもので、まずここから叩かなきゃいけないだけど……。

大月 でも、それを一気に変えようとすると、またおかしなことになりますよ。

富野 もちろん、そう。だけど、これから100年かけてそれをやるしかない。だって明治以後だって、100年かけて何とかこうやってやってきたわけだからね。         

*1:富野御大からのお声がかりでの対談とあいなった次第。このすぐ後だったか、秋葉原デジタルハリウッド大学でやった「マンガ夜話」関連の手打ちイベントにも富野御大をお呼びすることになったのは、確かこの時のご縁がきっかけだったかと。

*2:富野御大自身の仕切る対談連載だったので、これは御大自身によるリードというかおコトバ

*3: 『諸君!』掲載の論考だった。担当のM氏と珍道中だったが、メディアスクラム的になっていた現場で、週刊新潮記者の取材作法の外道ぶり(これは良くも悪くも)に改めて瞠目した記憶がある。