更新される「ロシア」

 ウクライナをめぐる事態が、この数ヶ月の世界を一気に、これまでと違うものに染め上げているような印象すらある2022年の春、です。ここは何か少しはもっともらしいことを言わねばならないのかもしれない、でもさて、敢えて言うべきことは何か。

 現在、現地で何がおこっているのか、それはいまどきの情報環境のこと、さまざまなメディアを介して、それこそ時々刻々、真偽ごったにされて手もとにやってくる。そんな現状で、自分の裡にあった「ウクライナ」や「ロシア」のイメージ自体がみるみるうちに書き換えられ、更新されてゆくのを感じます。そういう意味では、これまでも正直、ごく漠然とした印象でしかなかったウクライナよりも、むしろロシアの方が、そういう既存のイメージの変貌については気になったりもする。

 もっとも、そのロシアにしたところで、自分に限らず、おそらく本邦世間一般その他おおぜいにとっても、それほど輪郭確かなイメージが抱かれていたわけでもないでしょう。今回の事態で、改めて地図上で眺めてみればわかるように、北方領土などほんとについ眼と鼻の先、日本海はさんだ沿海州ウラジオストクあたりでも驚くほど近い「隣国」であるはずなのに、意識の裡でそういう感覚は稀薄でしたし、休暇めがけた海外旅行の対象として考えられることも、まずなかった。

 日露戦争は教科書で習う語句以上でなく、ロシア革命マルクス主義も、戦後冷戦下の立ち廻りもその後の崩壊も、単なる知識・情報としてなら断片的にあったにせよ、それが相互に関係づけられて、〈いま・ここ〉に存在する具体的な「隣国」として合焦する機会はありませんでしたし、何も戦後圧倒的なイメージとしてわれら同胞の脳内に君臨することになったあのアメリカほどでなくても、それこそ韓国や中国、東南アジアの国々ほどさえも、ロシアというのははっきりイメージできない、実にぼんやりとした形象でしかあり得ませんでした、ついこの間までは。

 それが今回、ウクライナの事態をきっかけに、一気に「ロシア」が前景化した。軍事的に強いロシアというイメージが見事に覆されたのに始まって、同時に、それまで単なる断片としても記憶の奥に押し込められていた第二次大戦前後の「ソ連軍」にまつわるさまざまな記憶が、一気に意識の水面に湧き出てくるようになった、そんな印象があります。

 自分が北海道にいるから余計にそう感じるところがあるのかもしれませんが、樺太やシベリア抑留の記憶や、そこに抜き難くまつわるラーゲリ(強制収容所)での苛酷な体験などが、ふだんはもうほとんど語りなおされることなどもなかったはずなのに、ここにきて、ほんとに市井の普通の人たちの何でもない日常会話の中にも、ちょいちょいうっかりと顔を出すようになっている。

 「ロスケ」という語彙が、はっきり混じるようになりました。もちろん、おおっぴらにというより、まだ声も表情もひそめてのことですが、でもだからこそその分、間違いない感覚の根っこの気配と共に、低いくぐもった調子で。「いやぁ、やっぱロスケはロスケさぁ」といった相互に確認しあうような気配と共に。

 ご当地北海道名産と銘打たれ、観光客はもとよりデパートの物産展などでも大人気のカニイクラなどの海産物の多くは、すでにロシア産になっていますし、そういう界隈ならば、仕事としてロシアとつきあいのある向きもそれなりにある。小樽あたりだとロシア人の船員相手の商売も、ひと頃ほどでなくても、地元のなりわいになっていますし、何も海産物だけでもなく、中古車や中古家電に関わる業界などでも、ロシア相手のビジネスは成り立っています。そんな状況ですから、眼前の現在形としてのロシアは生身のロシア人を介しつつ意識にあった、そのはずなのに、ここにきて一気に、「ロスケ」という響きに籠められるある種の怨恨含みの感情の隆起と共に、過去の記憶の裡にくぐもっていた「ロシア」のイメージが、具体的な「ソ連軍」の所業や抑留体験に紐付けられた記憶のかけらたちを介して期せずして21世紀、令和の御代を生きる生身の人がたの〈いま・ここ〉の意識の水面に、海底から湧いて出るガスの泡のように湧いてきているようです。

 眼前の同時代のできごととしてのウクライナの事態の推移と共に、そういう二次的、派生的に起こっているらしい、「ロシア」という表象の本邦日本語環境での書き換え、更新のありようもまた、注意深く見つめておかねばならない、たまたまであれ、北の国境地帯に蟠踞している身だからこそなおのこと、と思っています。