「良心的」出版社という幻想


 

 大学の教員、ないしはそれに準ずるような「学者」「知識人」方面を、著者としても読者としても、主な相手にして成り立っている出版社がある。

 文部省科研費の出版助成などをアテにした事実上買い取りに等しいような企画で糊口をしのぐ会社もあれば、目立たぬながら珠玉の専門書を手がける「良心的」出版社もあって、その内情はもちろん千差万別だろうが、しかし、それら出版社のベテラン編集者のもの言いや物腰、立ち居振る舞いには、なんとも言えないある共通する条件と雰囲気とがあるような気がする。たとえば、「センセイ、お原稿の方はいかがでございましょうか」だの、「ここはぜひご助力を賜りまして、充実した内容にしたいものと」だの、何にせよそういう型通りのもの言いをまさに型通りに平然とできる、なんてのもそうだ。

 これはその編集者個人の性格というより、それらの商売の場が蓄積してきたこれまでの歴史が言わせているようなものだろう。だが、だとしたらなおのこと、その程度の空虚なもの言いで立ち上がる関係の上にこれまで宿ってきた大文字の「良識」とか「真実」ってのはいったいなんだったのか、とも思う。これは、日常における儀礼的身ぶりやもの言いの効用、てな議論とはひとまず別の次元でだ。

 いずれまともな手立てじゃ儲かりようのない出版稼業のこと、「おたがいひと儲けしましょうや」では仕事が回らないのなら、せめて書き手にゼニカネ抜きでいい仕事をしようと思わせるための風通しの良さくらいは正しく保証しておく努力をするべきだ。なのに、型通りの慇懃無礼でゼニカネの現実を棚上げし、とうに根拠のなくなった「良心的」という幻想で仕事の質を問わずにすませるこの種の横着は堪え難い。とは言え、このテの出版社ってまた若手は若手で輪をかけて横着で、てめェの作ったものがどう読まれてるかという自省の回路など詰まりっ放し。ビョーキとしては文科系大学院生と同じだったりするんだよなぁ。