テレビの現場

 この春から週一回、テレビの現場につきあうことになっている。『図書新聞』紙上では以前酷評されたNHKの「ナイトジャーナル」である。申し訳ない。

 半年近くやってみて改めて感じるのは、なんだかんだ言ってもやっぱり自分は“文字の人”でしかないんだな、ということだ。あるいはもっと正確に言えば、文字以外のメディアが存在することを考慮して表現することをほとんど訓練してこなかったんだな、とか。当たり前と言えば当たり前なのだが、でも自戒を込めて言えば、どんなものであれ原稿を書いて世渡りする“文字の人”って、案外そういう当たり前のことを自覚する契機が少なかったりする。だって、ついついテレビ批判をしてしまう“文字の人”のノリって、やっぱりどこかで「文字はエラい」「文字は責任が重い」てなスローガンが脳味噌に点滅してるからこそ、だったりしません?

 企画から構成、ロケ、編集、スタジオと「テレビ番組のできるまで」をそのまま現場でつきあうわけで、いやはや小学生の社会見学じゃないけれども、映像メディアが「事実」を組み立ててゆくその約束ごと技術、あるいはそこで発動されてゆく文法のありようなど、素朴に言って勉強になる。おまえの勉強で番組につきあうなよ、と言われそうだが、何が悪い。「文字はエラい」「文字は責任が重い」でがんじがらめになって世間から棚上げされたまま、今やうっかりするとただのクラい変人としか見られなくなっちまった“文字の人”の足場を組み直そうとするからには、こういう小学生の社会見学並みの勉強も切実に必要なのだ。こうなりゃ乗りかかった船、きっちり〈それから先〉のための肥やしにしてやる。

 ひとつ最近痛感したのは、「テレビは映像メディア」という“常識”の大ざっぱさ。テレビの人からすれば、今さら何言ってやがんだ、だろうが、テレビはやっぱり言葉のメディア。映像なんて、そこにつけるコメント一発でいくらでも意味を変えてゆけるんだから。