「大学」という場所のいまどき(往復書簡)⑥

拝復

 いわゆる偏差値世代が知らず知らずのうちに抱え込んでしまった「優秀さ」について、世間はまだ充分に自覚していないように、小生には思えます。

 偏差値教育の弊害についての議論はすでに百花繚乱、当の文部省ですら報告書などの中では「改善」しなければならない、てな論調のようですが、しかし、偏差値教育がもたらした効果や効用の方については、未だ正面から語られたものを見たことがありません。少し前、高校進学がらみの内申書の問題で世間が見せたような、とにかく偏差値さえなくせばいいのだ、という悪い意味での偏差値狩りへの発情は、このような偏差値教育のもたらしたものについての落ち着いた、平衡感覚を伴った視線の欠如に下支えされているようです。

 前回、小生が「首都圏私立進学校のツラ」と表現して違和感を表明した偏差値的世界観の勝者たちの顔つきは、しかし好むと好まざるとに関わらず、我々の同時代人のある突出した部分に備わってしまったものでしょう。彼らの顔つきも含めたありようにある憧憬を覚えてしまった部分もあることを貴兄はやや自虐的に表明されていたようですが、まずもって彼らが当たり前のようにやってこなす数学や理科といった教科がどうしようもなく「できない」ということを思い知ってしまった小生などは、憧憬を抱くなどという大それたことよりも先に、まるで人間が違うという自覚の方が先に立ってしまうのが常でした。もちろん、自分もそうなれたらいいとは思わないでもありませんでしたが、それはそんなに切実なものでもなく、少なくとも高校へ入ってから後はもう「そういう連中」と自分との距離感に葛藤するようなことはほとんどなかったように思います。だって、「できない」というのは本当に、もうどうしようもないくらいに「できない」んですから。


 長谷川伸に『ある市井の徒』というほぼ自伝と言っていい作品があります。去年だか一昨年だかに中公文庫に入ったおかげで入手しやすくなりました。実はそのせいもあって、今年受け持っている東大駒場と外語大と法政大の講義でゆっくり読もうと思っていたのですが、こういう素材の選定が悪いのか、それとも小生に人徳がないのか、履修登録した学生はどこもわずか。身近な水準からの「歴史」への覚醒を促すのはほんとうに難しいものです。

 それはともかく、その中のまえがきにあたる部分で長谷川伸は、ロクに小学校も通えなかった自らの境遇を省みつつ、かろうじて残っている小学校一、二年の頃の成績表に記されている七十二人中二十五番だったという記録を紹介して、「秀才とは縁のない、そしてビリの方ヘも行かれない児だったのだ、新コは」と言っています。

 この「秀才とは縁のない、そしてビリの方ヘも行かれない」というもの言いの向こうに宿る屈託について、小生などはうっかり涙すら流しそうになります。

 あるいは、これも最近のこと、とある四十代の人類学者と話していたら、哲学も科学史もやっていず、微分積分はおろか因数分解もできず、はたまた第二外国語も読めず、それでも悪びれず平然と学問をやっているつもりらしい小生や小生のまわりの人間たちを知った時は本当にびっくりした、としみじみ言われました。その人は神奈川県の名門私立進学校から東大へ進んだという経歴の持ち主ですが、人格的にも円満で信頼できる人ですから、別に皮肉や悪意でこのようなことを言ったわけではないはずです。なるほど、そのような折り目正しい知的形成をしてきた人から見れば、それこそ私立文科系三教科と気合いだけで大学受験をくぐり抜けてきて、その分自分でももてあますくらいにサブカルチュアの空気を呼吸し淫してきた、そんな知性のありようはなんとも信じられない珍種だったのでしょう。でもなぁ、そんなこと今さら言われても対応に困るぜ、てなものですが。


 そういうこれまでの当たり前からすれば外道の、奇妙な知性のありようというのが厖大にふくらんでいったのが、いわゆる偏差値世代の知性の特徴かも知れない、と、他でもないおのれのことも含めて、小生は思っています。妙な言い方ですが、知性の社会的生産様式にも社会的背景や歴史的要因がからんでいるのだとしたら、この国の高度経済成長とそれ以降の過程がはらんできたいわゆる偏差値教育のもたらした効果についても、これから先はきちんと語ろうとするべきだと思います。

 たとえば、すでに耳タコになりつつある「日本の学生は外国の学生に比べて劣る」というもの言い。あれも、実はそうでもないのでは、と小生は思い始めています。ただし、どういう部分で優秀なのか、ということが、外国どころではない、当人たちからしてよく自覚できていないというのが大問題なのですが。