日本の大学どこがダメか?

 今さらながらに大学の空洞化が言われ、改革があちこちで唱えられているが、最近出た『日本の大学どこがダメか』(メタローグ)には、現在の大学教師たち四六人による赤裸々な現状告白が集められていて、これがなかなか興味深い。

 大学教師と言っても常勤、非常勤とり混ぜてではあるし、また、執筆者も主に文科系に限られているが、それでも、ここに書いているような人たちは大学の外でもそれなりに通用する仕事をしている、その意味では大学教師の中では優秀で常識的な人たちなのだろう。その彼らが、すでに日本の大学は大学として機能していない、という認識において共通しているのだから、やはり事態は相当深刻である。

 大学が「『総力戦』型のたたかいにこだわり、いつまでたってもそこから乳離れできない」と嘆く山折哲雄。「研究と教育と大学運営と、社会的活動が調和することを可能にする方策はただひとつしかない。ヨーロッパの大学のように、十一月開校、六月終業、四ヵ月の研究期間を設定することだ」といささか自暴自棄気味に吠える若桑みどり。「私学などのフトぽっかり空いた大教室に、突然超有名人の講義が実現する。バタバタと立看板広告が出、当局が何か言ってくる頃には人っこ一人いない」というニセ大学の構想を語る高山宏。「戦前・旧制の気楽さ、いい加減さに、アメリカ型の大衆化路線を見てくれよく上乗せしたというのが、戦後の新制大学ではなかったか」と評する佐伯彰一。大衆化と市場原理導入への戸惑い、知識人ギルドへの不信感、学生に対する絶望、そして根強い余計者意識、などなど、単に大学の内情のみならず、大学という場所に典型的に現われる戦後知識人の心理の最大公約数もまた透けて見えるのが、“ひと粒で二度おいしい”のだ。(鴻)